(元)登校拒否系

反学校、反教育、反資本主義、反歴史修正主義、その他もろもろ反対

登校拒否解放の(不)可能性 前編



近年、登校拒否解放運動*1は「バックラッシュ」(反動)に見舞われています。90年代は彼らの主張が一部マスコミに取り上げられ、「理解」が広がっていく時期であったとすれば、現在は不登校の「行き過ぎた肯定」が反省されつつある時期だと言えるでしょう。

そのような時代の転換を象徴するような論争が2001年から2002年にかけて『月刊子ども論』で行なわれました。論争の発端は、斎藤環さん、山下英三郎さん、藤井誠二さんによる、「本当ですか!?『不登校の子は、ひきこもりもする』」と題する座談会です*2。この座談会のなかで、斎藤環さんは、東京シューレや一部の精神科医について、「イデオロギー的に『不登校』を持ち上げていきすぎた」と批判しています。斉藤さんは、「『不登校はすばらしい』とか、『不登校にならない感性の鈍い子たち』というような言い方はいきすぎがあったのではないか」と指摘します。そのような考えのために、本来は必要な不登校の子どもへの治療的介入が遅れがちになってしまうと彼は言います。

これにたいして、東京シューレ主宰者の奥地圭子さんは同誌上で猛反発しました*3。奥地さんはまず、「持ち上げている」という批判に対して、未だに不登校は否定的に見られていると反論します。また奥地さんは学校に行っている子を「感性の鈍い子どもたち」と呼んだことはないと言います*4。奥地さんいわく、


学校へ行く、とか行かないとかの形が大事ではなく、登校、不登校でいい、悪いを評価するのはおかしい、という立場に私たちはたっている。私は、学校へ行っている子もいない子も、生命の重みは一緒であり、どっちが価値が重い、軽いはないと考えてきた。不登校を克服したり、治したりする対象と考えるのではなく、その子の在り様を、その子の成長の姿として社会が認め、自分にあった成長が、安心してできる状況がつくりだされることは私は望んでいるのだ。


1.マジョリティーの側は、なぜ登校拒否の肯定に反発するのか?

奥地さんは、不登校を肯定することは学校否定ではないことを繰り返し強調しています。また、学校に行かない子の価値を認めたからといって学校に行く子が劣っているということにはならないと主張します。つまり、現在の不登校差別を逆転させて、学校に行くことを貶(おとし)めることによって不登校を肯定するのではなく、どちらも価値あるものとして認められるべきだというわけです。

このような奥地さんからすれば、自らの主張が学校否定と受け取られたり、過剰に不登校を持ち上げているかのように思われるのは心外なことでしょう。自分は不登校への差別に反対しているだけなのに、なぜこのような「誤解」をされてしまうのか、理解しがたいことかもしれません。しかしこれは、本当に「誤解」なのでしょうか? 学校に行かないことの肯定は、学校に行く人にとって本当に脅威ではないのでしょうか? 学校に行くことと行かないことを同時に肯定することは本当に可能なのでしょうか?

奥地さんの枠組みで特徴的なのは、学校に行く人と行かない人のアイデンティティーが、それぞれ独立したものとして捉えられていることです。だからこそ、これまで差別されてきた登校拒否児を肯定しても、学校に行く人を否定しているわけではないことになるわけです。しかし僕は、そのような前提はおかしいと思います。むしろ両者は、お互いに規定し合うような、強いつながりをもっているのではないかという気がするのです。それは、マジョリティのアイデンティティーがマイノリティーを前提としていると思うからです。

現在の社会では、学校に行くか行かないかということは、決して選択の問題ではありません。むしろ学校は、全ての人に有無を言わさず強制されるものです。しかし一方で、学校は自然なものではなくて歴史的な制度ですから、学校に行かないことは、本来だれにでもできるはずのことです。学校は全ての人に押し付けられる一方で、同時に全ての人が学校に行かない潜在能力を持っている。だとすれば、この社会でマトモであるためには、つまり学校に行き続けるためには、「学校に行かない(ことができる)自分」を日々捨て去らなければならないと言うことができるでしょう。そしてそうすることによって初めて「学校に行くカラダ」ができるのです。

このように考えれば、登校拒否児とは、学校に行く人のアイデンティティーが形あるものとして確立するために、その外部にあると同時に、しかしどうしてもなくてはならないものであるように思えてきます。登校拒否児の排除・抑圧は、学校に行く人のアイデンティティーにとって必須の構成要素なのです。

そうだとすれば、学校に行く人にとって、またひいては学校に行く人が支配する社会にとって、登校拒否児を受け入れるということは、並大抵のことではないはずです。学校に行く人にとって、登校拒否児とは、いわばゲロやウンコのようなもの—安定したアイデンティティーの境界を設定するために自己から排泄(はいせつ)されたもの—なのですから。アイリス・ヤングいわく、


私が排泄物*5に嫌悪するのは、私の境界を保つためだ。排泄物は私に触れてはならない—私の中に染み込んできて、私の生に必要な内部と外部を隔てる境界、排除の過程で生まれた境界を消し去ってしまうだろうから。もしうっかりしてあるいは誰かに強いられて排泄物に触れてしまったら、私の内部にあるものを排除する反射神経が再び作動するだろう。つまり吐き気だ。


Justice and the Politics of Difference

Justice and the Politics of Difference

不登校への過剰な肯定」への批判は、この「吐き気」の表れでしょう。学校に行く人にとって登校拒否児は、自己から排泄されたものです。学校に行く人のアイデンティティーの安定が維持されるためには、そして学校制社会の平穏が保たれるためには、登校拒否児は蔑まれ、虐げられなければなりません。そうすることによってのみ学校に行く人の自己の境界は維持されるのです。その登校拒否児が肯定されるとすれば、それは境界の危機を意味します。自分から切り離したはずのもの、吐き出してしまったはずのものが戻ってくるのです。吐き気を感じずにいられるでしょうか。「ずる休み」という侮蔑と同時に嫉妬の込められた言葉は、この吐き気をよく表現しています。

両者がこのような関係にあるのだとすれば、「学校に行く子も行かない子も共に素晴らしい」などと言ってハッピーエンドに持ち込むことはできないでしょう。学校に行く側のアイデンティティーが維持されるためには、行かない側が否定され続けなければならないのですから。逆に言えば、行かない側が差別に異議を申し立てて自分たちを肯定しようとすることは、行く側に対する挑戦であり、行く側の支配する社会の変革につながるものであるわけです。主人のあり方に挑戦することなく、奴隷が肯定されることがありうるでしょうか。外国人への差別に反対すると言いながら、「日本」という幻想を不問に付す人の言葉を信用できるでしょうか。「正常」とは何かを問い直すことなく性的少数者を肯定することができるでしょうか。奴隷を、外国人を、性的少数者を肯定するということは、主人の、日本人の、正常人の拠って立つ基盤を突き崩すということです。同様に、登校拒否児の自己肯定は、行く側のアイデンティティーを撹乱するものであると思います。


2.なぜ一部のマスコミや文化人は登校拒否の肯定を受け入れることができる/できたのか?

このように考えると、奥地さんらの学校に行かないあり方への肯定が強い反発を受けるのも、無理からぬことであるように思えてきます。となると問われるべきは、なぜ不登校の肯定が反発されるか、ということではないのかもしれません。むしろ不思議なのは、特に90年代、なぜ一部のマスコミや文化人が不登校の肯定を受け入れることができた(かのように見える)のか、ということの方です。不登校の肯定は学校に行く人の側のアイデンティティーの崩壊に結びつきかねないものなのに、なぜ学校エリートである彼らが簡単に奥地さんらの主張に同調できるのでしょうか。

結論を先に書くと、彼らは本当の意味で登校拒否を受け入れているわけではないと僕は思っています。彼らが受け入れているのは、奥地さんやかつての僕自身も含めた一部の登校拒否児が提示する、排泄物の汚らしさを覆い隠した、「無臭ニンニク」ならぬ、明るく元気な「無臭登校拒否」にすぎません。

もちろん、奥地さんもかつての僕も、単に美しい面だけを編集しているわけではありません。奥地さんの本には、必ず暴力や神経症のエピソードが出てきます。しかし、その場合でも、それらが登校拒否の「本質」とは切り離されたものであることを強調するような構造の物語が用意されています。そのような仕組みは、たとえば、奥地さんの以下の発言に見ることができます。


不登校そのものは病気ではない。本人が登校することを心や体が拒否する何かの経験や感覚あるいは意識があってのことで、いわば学校制度に対する生き物としての反応をしたわけだ。ところが、日本社会は、不登校を容認しない。…不登校とからんで出てくる症状は、そういった社会状況の中で、存在が受け止められず、自分でも自分を肯定できず、強い不安にさらされたり、苦しい状況に追い込まれたりする中で発症しているものが多い。…私たちは、症状をどうにかしようというより、なぜ子どもはそんな症状を出しているのかを考え、子どもに共感し、家庭を居場所とし、社会の中にも居場所をつくり、がんばることよりマイペースと自己決定を大事にする姿勢でやってきた。とてもたくさんの例が、医者にかからなくても安定し、落ち着き、元気になった。医者にかかわって元気になった人もいるが、医療にかかわらないとダメということではない。

この枠組みのなかでは、「不登校とからんで出てくる症状」が、不登校自体とは別の、「プラスアルファ」のものとして捉えられています。こうすることによって、暴力、神経症、ひきこもりといった不登校にまつわる「汚物」を切り離して、不登校を美しいものとして提示することが可能になります。

「無臭登校拒否」のできあがりです。「登校拒否は病気ではない」し、不登校自体は無害なものなのだから、「存在が受け止められず、自分でも自分を肯定できず、強い不安にさらされたり」という状況さえ改善されれば、「安定し、落ち着き、元気に」なることができる。そして、学歴社会をものともせず自分を売り込んで就職することもできるし、結婚することもできるし、名のある大学に入ることもできる。現にA君は…だし、Bさんは…になったし、C君は…なんてことまでしている。学校に行かなくなったからといって、何を心配する必要があるだろう……。一部のマスコミや文化人が受け入れているのは、このような不登校の物語でしょう。

たとえば、東京シューレのスタッフが書いた『フリースクールとはなにか 子どもが創る・子どもと創る』という本があります。この本によれば、東京シューレ出身者の進路は、「進学ルート」、何らかの職業に就くルート、そして「バンド、絵、カメラなど、自分の趣味ややりたいことにエネルギーを注ぎ、いま収入につながっている」ルートの三つに分類することができるそうです。この本は、アニメやゲームに熱中することが就職につながった「ヒロキ」や、アルバイトの経験や調理師学校をへて現在は子育てと仕事をしている「タカコ」、保育士を目指して通信制短大に在籍する「シホ」、親の経営する縫製工場をへて現在は大工をしている「トオル」らを紹介しています。


フリースクールとはなにか―子どもが創る・子どもと創る

フリースクールとはなにか―子どもが創る・子どもと創る

このような「明るい登校拒否」の物語はとてつもなくウソっぽいものです。元登校拒否児の中で「マトモ」な社会人になってる人が、一体どれくらいいるというんでしょう。東京シューレはよく「登校拒否のエリートを集めている」と陰口をたたかれていましたが、その東京シューレ出身の僕の知り合いでも、安定した職業にありついた人は少数派です。定職についてなくて、さっきの三つの分類のどれにも当てはまらない人も多くいます。こういう人たちは、うっかり忘れられてしまったんでしょうか? それとも、「見せたくない」とハブかれてしまったんでしょうか?

だとしたら、疑問がわいてきます。「明るい登校拒否」の物語は、本当に登校拒否を肯定するものだったのでしょうか。僕はそうは思いません。この物語で示されているのは、登校拒否児でも学校エリートのようになれる、ということなのですから。ここで肯定されているのはあくまでも学校的価値であって、登校拒否ではありません。

だからこそ、一部のマスコミなどの学校エリートは登校拒否「肯定」言説を受け入れることができるのだと思います。このようなものであれば、彼らのアイデンティティーが脅かされることもないし、学校制社会のあり方が根底から揺らいでしまうこともありません。いや、むしろ、学校的価値を賞賛し、学校制を正当化すると言ってもいいでしょう。

ここに、奥地さんら不登校「肯定」派の、最大の弱点があり、また同時に最大の武器があると思います。奥地さんの主張は、あくまでも学校制言説の枠内にとどまるものです。だからこそマスコミや一部の親に受け入れられることができたし、シューレその他も一定の影響力を持つことが可能になりました。いわば「トロイの木馬」作戦です。だから、奥地さんらの主張は、簡単に否定することも肯定することもできないと思います。むしろその相矛盾する二つの性質がどうからみ合うのかを見極める必要があるでしょう。


3.なぜ登校拒否肯定派は「登校拒否=病気=ひきこもり」という図式に反発するのか?

斎藤環さんの功績もあって、「トロイの木馬」のメッキがはがれ、中に爆弾が入っていたことが明らかになりました。ひきこもりが目に見えるようになって、「明るい登校拒否」の物語が、登校拒否児の一部にしか当てはまらないといことがハッキリしました。明るい(元)不登校児たちが「不登校児として」語るハッピーエンドつきの物語は、実は「不登校の物語」ではなく、「不登校エリートの物語」にすぎなかったわけです。引きこもり、暴力、病気を切り離すことができたのは少数に過ぎず、かなりの人が20代・30代になってもそのような「プラスアルファ」と共に生きています。

これは、僕自身の実感でもあります。かつて「明るい登校拒否児」だった僕は、自らの「選択」に確信をもっていました。登校拒否への内なる差別を完全に克服できたと思っていたし、学校に行かなかったことで困難に直面することなどありえないと思っていました。80年代後半に稲村博さんが20代・30代になっても尾を引いて大変なことになるぞ、と警鐘を鳴らした時には猛反発したことを覚えています。

しかし、現に20代後半になってみて思うのは、「予言的中だなー」ということです。あの時は絶対にそうならないと思っていたけど、稲村博さんの言った通りになりました。具体的に何がどうと説明するのは難しいのですが、生きていくのが大変です。経済的不安があります。メンヘラーです。コミュニケーション能力が不足しています。将来何になったらいいのかわかりません。

このような困難に対処するノウハウは、「明るい登校拒否」の物語を読み直しても、見えてはきませんでした。むしろ、僕の登校拒否はそんなんじゃない、勝手に登校拒否を「代表」するな、という憤りを感じました(あ、いや、かつて「明るい登校拒否児」だった僕にそんなこと言う資格ないですが。っていうか自分が反省せい、っていう感じですが)。

そのような実感から生まれてきた疑問は、そもそも、なぜ奥地さんやかつての僕は、「登校拒否=病気」という図式に反発したのだろうか、ということです。なぜ「汚い」ものを切り離すことでしか、登校拒否を「肯定」することができなかったのでしょうか。さっき引用した本の中で、アイリス・ヤングはこう言っています。


…文化帝国主義においては、あらゆる主体の視点は、所属集団に関わらず、特権集団のものと一致する。…文化帝国主義の対象となる集団の構成員自身が、自分自身の集団や他の被抑圧集団の構成員に対して、しばしば恐怖や嫌悪を示したり、彼らの価値を否定したりすることがある。…つまり、こうした集団の構成員が支配的文化内部の主体の位置を引き受ける限りにおいて、彼らは自分自身の集団の構成員を排泄物のようなものとして受け止めるとことになるのだ。

これにならって、学校制社会においては、登校拒否児や登校拒否「肯定」派もまた学校的価値観に支配されていると言うことができるでしょう。学校制の枠内に留まる限り、登校拒否児自身もまた、登校拒否を本当の意味で肯定することができないわけです。登校拒否が学校に行く人の排泄物であるとすれば、不登校にまつわる「プラスアルファ」、暴力やひきこもり、病気は、「明るい(元)登校拒否児」にとっての排泄物です。だとすれば、「登校拒否は病気だ」、「登校拒否はひきこもりにつながる」と言われて奥地さんやかつての僕が我慢ならなかったのは、僕ら自身の内なる登校拒否差別ゆえであったと言うことができるでしょう。かつて自分たちが「明るい登校拒否児」というアイデンティティーを確立するために排泄した「汚物」を見せ付けられて、「吐き気」がこみ上げてきたのです。

これまでの登校拒否「肯定」論は、実は、登校拒否差別に基づいたものであったと言わなければならないと思います。かつて粉砕した(つもりだった)稲村博さんが斎藤環さんとなって再び現れたおかげで、そのことがハッキリしました。そうである以上、僕は次のように言いたいと思います。登校拒否は病気だ。登校拒否は暴力を生む。登校拒否はひきこもりにつながる。登校拒否は不自由だ。そして、そのようなものとしての登校拒否を肯定するのだと。

つづく


*1:これは僕が勝手に名づけたもので、運動の担い手たち自身はこのような表現は使っていません。

*2:2001年9月号

*3奥地圭子「『ほんとうですか? 不登校の子は、ひきこもりもする』に反論します。」『月刊 子ども論』2002年2月号

*4:これについては、奥地さんはそのような発言をしたことはないかもしれませんが、僕が所属していた80年代後半から90年代前半の東京シューレの””一部の””子どもたちにはそのような雰囲気がありました

*5:原語はabjection。一般的には「おぞましきもの」と訳されるようです。