(元)登校拒否系

反学校、反教育、反資本主義、反歴史修正主義、その他もろもろ反対

(元)登校拒否児のためのブラック・フェミニズム入門講座 第2回 人種差別・国際資本主義と女性



西欧社会における女性のステレオタイプは、女性は「行儀よく、デリケートで、男性からの援助と保護を必要としている」*1、あるいはそうあるべきだ、というものだそうです。このような固定観念は、家庭に縛り付けるための口実になるという点で、白人中産階級の女性にとって抑圧的なものでした。しかし一方で、奴隷制度があった頃から家庭外でも働いてきた黒人女性にとっては、非常に縁遠いものでした。19世紀の黒人フェミニストであるトゥルースは、このことについて雄弁なスピーチを行いました。彼女は、1852年にオハイオ州で行われた女性運動の集会の参加者でした。ある白人男性の参加者が女性は「生まれつき男性よりも肉体的に劣った存在」であり、「肉体労働を行うには弱すぎる」*2という理由で女性が男性と平等の権利を持つことを否定したのに対し、彼女は以下のように応じました。


私を見てみな! 私の腕を見てみなよ! 私は土地を耕し、種を植え、収穫してきたんだ。どんな男にも先を越されたことはないね――で、私は女じゃないのかい? 私はどんな男にも負けずに働くことができるし(仕事につければね)、ムチにも耐えることができるよ――で、私は女じゃないのかい? 子どもは5人生んだ。ほとんどは奴隷として売られていったさ。母の涙を流しても、ジーザス以外だれも聞く者もなかった――で、私は女じゃないのかい?*3


Ain't I A Woman: Black Women and Feminism

Ain't I A Woman: Black Women and Feminism

  • 作者: Bell Hooks
  • 出版社/メーカー: South End Pr
  • 発売日: 1999/07/30
  • メディア: ペーパーバック

彼女自身の経験が、白人男性の主張に対する反証でした。奴隷として働いてきた彼女は、「女性」のステレオタイプがステレオタイプに過ぎないこと、それにあてはまらない女性もいるのだということを身をもって示したわけです。

このように、人種差別の存在は、女性の間に様々な違いをもたらします。もう一つの例は、白人女性と黒人女性にとって、「家族」の持つ意味が異なることです*4。白人フェミニストたちにとって、家庭は女性に対する抑圧の場でしかないものでした。しかし黒人女性にとっての家族は、ポジティブな役割も果たしうるものでした。それは、人種差別にさらされてきた黒人女性にとって家族は、抵抗の場でもあったからです。家族は、人種差別からの避難所となるものでした。

さてここまでは、黒人女性の特異な位置について見てきました。しかし、メイナードが言うように、「ただ差異に注目するだけでは……権力を理解するには不十分」*5です。だから彼女は、「ただ差異だけに分析の焦点を絞るのではなく、この差異を抑圧に転化する社会関係に目を移す必要性」*6を訴えます。白人女性と黒人女性は単に異なっているだけではありません。両者は階層的に関係し合っているのです。第一世界の白人女性が享受する特権は独立して存在するのではなく、黒人女性・第三世界の女性が搾取されているという事実と関係しており、その逆もまた真なりです。このことは、人種差別や国際資本主義が後者にとってだけでなく、前者にとっても重要なファクターであるということを意味します。アンシアスとユヴァルデイヴィスが指摘したように、「あらゆるフェミニズムのたたかいは特定の民族的な(そして階級的な)文脈をもっている」*7わけです。

ミースはこの点に関して国際的な研究を行いました。彼女の議論は、ウォーラーステインによる「世界システム論」に依拠したものです。ウォーラーステインによれば、第一世界の富は第三世界からの搾取の上になりたっています。って今回も相変わらずサヨクですね(笑)。この考え方にそって、彼女は主張します。


地球の両側の女性が分断され、しかし世界市場と国際・国内資本によって現実にお互いとリンクされていることを理解するには、コインの両側[つまり第一世界と第三世界]を見ることが常に必要だ。*8


Patriarchy and Accumulation on a World Scale: Women in the International Division of Labour

Patriarchy and Accumulation on a World Scale: Women in the International Division of Labour

  • 作者: Maria Mies
  • 出版社/メーカー: Zed Books
  • 発売日: 1999/07/09
  • メディア: ペーパーバック

「リンク」(つながり)は、彼女が第一世界の女性の「主婦化」と呼ぶ現象にあらわれています。ミースの見るところでは、彼女たちの男性への「依存」は第三世界の女性からの搾取によって可能になります。ミースいわく、


植民地化と主婦化という二つのプロセスは、密接に因果的に結び付けられている。外部の植民地――かつては直接の植民地として、今日では新しい国際的な労働分業の中で――を搾取し続けることなしには、「内部の植民地」、つまり核家族と男性の「稼ぎ手」による女性の扶養を確立することは不可能であったことだろう。*9

このように、第一世界の主婦はある意味で家族という「植民地」に属しており、夫によって搾取されている一方で、同時に「[外部の]植民地における褐色のそして黒人の男性と女性両方の搾取の恩恵」*10を受けてもいるのです。

第一世界の女性が国際的な労働分業によって形づくられていることをミースが示したのに対し、エンローは彼女たちが世界秩序の形成において積極的な役割を果たしたことに注目しました。彼女は言います。


植民地化を男性によってのみ実行されたプロセスとして説明したのでは、男性植民者の成功が一部の女性の共犯に依存していたことを見逃すことになる。*11


Bananas, Beaches and Bases: Making Feminist Sense of International Politics

Bananas, Beaches and Bases: Making Feminist Sense of International Politics

第一世界の女性たちは「植民地行政官の妻として、宣教師として、旅行作家として、人類学者として、アフリカの、ラテン・アメリカの、アジアの女性に対する植民地支配という首輪を絞めるようなかたちで」*12国際政治に参加してききました。国際的な不平等は第三世界の女性だけにとっての問題ではなく、第一世界の女性もそれに影響され、また影響を与えてもきたと言えるでしょう。

ルッソは人種差別について同じようなことを言っています。彼女は、人種差別を自分自身の問題とは見なさず、有色人種のみに注目する白人フェミニストを批判します。彼女たちにとって、「人種差別の問題に取り組むことはこれらの[有色人種の]女性を「助ける」ことである。あたかも人種差別の問題が「彼女たちの」問題("their" problem)であるかのように」*13。そのような考え方に対して、ルッソは以下のように言います。


[白人フェミニストが]特権を認め、自分たちの生の条件が他の女性の生の条件と関係しており、それによって可能になるのだということを理解することが必要だ。*14


Third World Women and the Politics of Feminism

Third World Women and the Politics of Feminism

彼女は「焦点を有色人種から白人に移す」*15のです。彼女はこうすることによって、白人女性と黒人女性が関係し合っているのであり、後者だけではなく前者も人種差別と深い関わりがあるのだということを示します。

今や、第1回で見た「唯白論」がいかに誤ったものか明らかでしょう。「唯白論」的言説は黒人女性を見えなくするだけではなく、白人女性の状況をもゆがめるものです。というのも、ここまで見てきたように、白人女性の生は同時に黒人女性・第三世界女性の生を理解することなしには捉えることはできないからです。黒人女性・第三世界女性を見えなくすることによって、「唯白論」は逆説的にも白人女性の理解をも妨げてしまいます。黒人女性を理解するためにも、白人女性を理解するためにも、フェミニストはこのような思考法と決別し、性差別と人種差別を含む異なる社会階層化の形式が、お互いに絡み合っているのだということを認識する必要があるでしょう。


おことわり:一部文献のアマゾンへのリンクは僕が参照したのと発行年や出版社が異なります。


*1:Spelman, E. (1990) Inessential Woman: Problems of exclusion in feminist thought, (London: Women’s Press), 122

*2:quoted in hooks, b. (1982) Ain’t I a Woman: black women and feminism, (London: Pluto Press), 160.

*3:quoted in ibid., 160.

*4:Maynard, M. (1994) ‘“Race”, Gender and the Concept of “Difference” in Feminist Thought’, in Afshar, H. and Maynard, M. (eds.) The Dynamics of ‘Race’ and Gender: Some Feminist Implications, (London: Taylor and Francis), 9-25.

*5:ibid., 19

*6:ibid., 20

*7:Anthias, F. and Yuval-Davis, N. (1992a) ‘Contextualizing Feminism: Gender, Ethnic and Class Divisions’ in McDowell, L. and Pringle, R. (eds.) Defining Women: Social Interactions and Gender Divisions, (Cambridge: Polity Press), 107.

*8:Mies, M. (1984) Patriarchy and Accumulation on a World Scale: Women in the International Division of Labour, (London: Zed Books Ltd), 142.

*9:ibid., 110

*10:ibid., 143

*11:Enloe, C. (1989) Bananas Beaches and Bases: Making Feminist Sense of International Politics, (London: Pandora), 16.

*12:ibid., 16

*13:Russo, A. (1991) ‘“We Cannot Live without Our Lives”: White Women, Antiracism, and Feminism’ in Mohanty et al. (eds.) Third World Women and the Politics of Feminism, (Bloomington and Indianapolis: Indiana University Press), 229.

*14:ibid., 299.

*15:ibid., 299.