(元)登校拒否系

反学校、反教育、反資本主義、反歴史修正主義、その他もろもろ反対

学校は社会を救えるか――「学校効果」論批判 第2回 方法論的欠陥



1. 入学する生徒のバリエーションを統計的にコントロールすることの困難

前回見たように、「学校効果」研究者は「学校効果」を直接測定できるわけではありません。スミスとトムリンソンはこう指摘しています:


学校の効果性を測定する際の基本的な問題は、子どもの到達するレベルは学校に加えて広範囲にわたる要因に影響されているということだ。それゆえ、子どものできばえは彼らが受けた学校教育の結果であり、したがってその効果性を示すものとは憶測することはできない。*1


The School Effect

The School Effect

ですから、生徒の教育結果が学校によって異なっていることを示すだけでは「学校効果」を示すのに十分ではありません。というのも、それは学校とは関係ないファクターによるものかもしれないからです。教育結果の違いのうちどれだけが学校によって引き起こされたものであるかは明白なものではありません。だから、「学校効果」を特定する前に、学校以外の要素を考慮することが必要になります。既に見たように、ルターたち*2は、学校が受け入れた生徒についての4つの変数を統計的にコントロールしようとしました。その上で残った差異が個々の学校に帰されました。

しかし、この4つが生徒の特徴を考慮するのに十分であるかには疑いがあります。ハーグリーヴス*3が指摘したように、このうち2つは実は学校のあり方に関係しています。「10歳時の言語推論能力のスコア……[と]教師によって記入された品行調査のスコア」*4は子どものバックグラウンドの指標であるだけではなく、学校教育自体に関わっています。だから、4つのうち残る2つの測定値――親の職業と移民であるかどうか――だけが真に非学校的な変数であると言うことができます。

しかも、これらの2つの測定値は包括的すぎるとハーグリーヴスは言います。たとえば、アジア系と西インド系の違いは無視されています。というのも、ルターたちは親が移民であるかどうかということにしか関心をもっておらず、出身国は考慮していないからです。これはとても問題のあるものです。なぜならば、この2つのグループは、教育への態度においても、その達成レベルにおいても、大きく異なるからです。*5「親の職業」の扱いも異論の余地のあるものです。ルターたちは、「ほとんど全ての目的のために我々は職業を3つの広いカテゴリーにグループ分けした」*6と言います。その3つとは、a) 専門職、管理職及び熟練非肉体労働、b) 熟練肉体労働、c) 準熟練及び非熟練肉体労働と失業者です。これでは、「社会学教授から書類整理係までを含む多様な職業が……[単一のカテゴリーに]組み込まれている」*7ことになります。だとしたら、入学者についてのルターたちの測定値は、「多くの異なる職種を包摂しており、大部分、互いを打ち消す」*8ものであると言わねばなりません。

これは深刻な欠陥です。というのも、「学校効果」は生徒のバックグラウンドの変数を十分にコントロールすることなしには測定できないからです。非学校的なファクターを適切に考慮しなければ、研究者の目には「学校効果」であるように見えるものも実際には学校外の要因の効果かもしれないのです。ルターたちは「[生徒の]バックグラウンドの特徴の影響の深刻な過小評価と……したがって学校教育自体の効果の重大な過大評価*9を犯しています。

一見、これは修正可能な欠陥であるように見えるかもしれません。多様性を考慮に入れるために、生徒の階級バックグラウンドの変数をもっと工夫できるかもしれない。人種や民族も加えることができるかもしれない。入学した生徒についてのより多くの測定値を導入できるかもしれない。しかし、それでも問題は消えません。というのも、十分な数の変数を考慮したとはいつまでたっても確信できないからです。私たちの目には見えない、なんらかの他のファクターが働いているかもしれません。よって、ルターたちが入学者の変数を十分にコントロールしそこねているということは、この領域の後のより洗練された研究にもついてまわるであろう原理的な方法論上の困難を示しているのです。


2. 「効果的な学校」の特徴を特定することの困難

研究者は、「学校効果」のサイズを測定することにおいてだけではなく、何が学校を「効果的」にするのかを説明することにおいても困難に直面します。学校は真空状態に存在するわけではなく、生徒・親・教師を含む様々な人々と共に存在しているので、学校生活のどの部分を学校自体に帰すことができるのかは明白ではありませんん。

この問題は、ルターたちが学校の「効果性」と校舎や物理的な設備といった学校の有形の要素との間につながりを見出してはいないことに現われています。彼らは、その代わりに「エートス」(ethos)なるものによって「効果的な学校」の特徴を説明しなければなりませんでした。それは「学校全体の特徴となる一連の価値、態度、行動」*10と定義されます。このような心理学的な概念に頼ることには問題があります。というのも、コンクリートの建物とは違い、それは学校のファクターのみからなるわけではないからです。

この問題はレイノルズの論文*11にはっきりと見ることができます。彼は「組み入れ」(incorporation)と「強制」という二つの教育戦略を対比し、前者を「効果的な学校」と、後者を「効果的でない学校」と結びつけます。前者は、「生徒を学校の運営に組み入れることと親を学校のサポートに組み入れること」*12を含みます。このような戦略を採る学校では、生徒は授業に積極的に参加することを奨励されます。レイノルズによれば、「組み入れ」の戦略は生徒の間に反学校文化が芽生えることを防ぎ、生徒は学校に協力的になります。親も学校に関わるよう促されます。

一見、これは「効果的な学校」にとてもふさわしい特徴であるように見えるかもしれません。しかし、こう問う必要があります。「どちらが原因でどちらが結果なのか」と。学校が「組み入れ」戦略を採用しているから生徒と親は協力的なのか? それとも、そもそも生徒と親が支持的であったからこそ学校がこの戦略を採ることができたのか? 皮肉にも、戦略の選択についてのレイノルズ自身の説明はこの点で興味深いものです。彼は、教師が生徒や親をどう見ていたかによって選択がなされていたと言います。レイノルズいわく:


強制的な学校……では、教師は生徒が「性格トレーニング」と「コントロール」を必要としていると見なしていた。これは、初期の社会化における欠陥に根ざすものと考えられていた。学校は一種の管理主義(custodialism)によってこの欠陥を埋め合わせようとした。そのような認識が強制の学校エートスの創造の重要な種子となった。*13


School Effectiveness: Research, Policy and Practice (School Development Series)

School Effectiveness: Research, Policy and Practice (School Development Series)

また、教師たちは「親たちの協力が見込めないと考えた」*14ために彼らを「組み入れ」ようとしませんでした。

「強制的な」教師たちは生徒や親を誤解していたと主張することはできるかもしれませんが、生徒と親が少なくともいくぶんかは教師の認識に影響を与えていたということは否定できないでしょう。だとしたら、学校の「エートス」は、単に教師や学校自体に帰すことはできないはずです。生徒や親はそれから影響を受けるだけではなく、影響を与えてもいるのです。ルターたちやレイノルズが「効果的な学校」の特徴であると説明しているものは、学校自体だけではなく生徒や親によっても引き起こされているように見えます。しかし、生徒や親が学校に持ち込む影響は、「学校効果」を測定するためにはそもそも排除されていなければならなかったのです。


*1:Smith, D. J. and Tomlinson, S. (1989) The School Effect: A Study of Multi-Racial Comprehensives, (London: Policy Studies Institute), 19.

*2:Rutter, M. et al. (1979) Fifteen Thousand Hours: Secondary Schools and Their Effects on Children, (London: Open Books).

*3:Hargreaves, A. (1980) ‘Review Symposium: Fifteen Thousand Hours’, in British Journal of Sociology of Education, 1(2), pp. 211-216.

*4:Rutter, M. et al. (1979) Fifteen Thousand Hours: Secondary Schools and Their Effects on Children, (London: Open Books), 44.

*5:Swann, M. (1985) Education for All, (Cmnd 9453).

*6:Rutter, M. et al. (1979) Fifteen Thousand Hours: Secondary Schools and Their Effects on Children, (London: Open Books), 46.

*7:Hargreaves, A. (1980) ‘Review Symposium: Fifteen Thousand Hours’, in British Journal of Sociology of Education, 1(2), 213.

*8:ibid.

*9:ibid, 214.

*10:Rutter, M. et al. (1979) Fifteen Thousand Hours: Secondary Schools and Their Effects on Children, (London: Open Books), 179.

*11:Reynolds, D. (1992) ‘School Effectiveness and School Improvement: An Updated Review of the British Literature’, in Reynolds, D. and Cuttance, P. (eds.) School Effectiveness: Research, Policy and Practice, (London: Cassell), pp. 1-24.

*12:ibid, 10.

*13:ibid, 11.

*14:ibid.