(元)登校拒否系

反学校、反教育、反資本主義、反歴史修正主義、その他もろもろ反対

フロイト講演会「精神分析の起源と発展」 第一講義(3)



もちろん、犬がグラスから水を飲んだことによって引き起こされた嫌悪のために水を飲めなくなることの他にも、ヒステリーの症状が引き起こされる例についてお聞きになりたいことでしょう。しかしながら、計画通りお話しするためには、ごく少数の例にとどめる必要があります。たとえば、ブロイアーによれば、以下のようにして、彼の患者の視覚異常が外的要因によって引き起こされたものであることがわかりました。


患者は、病に臥す父親に涙を浮かべながら付き添っていた時に、父親から時間を尋ねられた。彼女ははっきりと見ることができなかったので、目を瞠(みは)り、文字盤がとても大きく見えるように腕時計を目に近づけたり*1、病人に気づかれないように涙を抑えようとふんばったりした。

全ての病原となる印象は、彼女が病気の父の看病を手伝っていた時に生じたものでした。


ある時、彼女は患者のことを大変心配しながら夜間の看病をしていた。彼は高熱を出しており、気がかりな状態にあった。というのも、ウィーンから外科医がやって来て、手術をすることになっていたからだ。母親はしばらくの間出掛けており、アンナは、右腕を椅子の裏にやりながら、病床に付き添っていた。彼女は空想に耽り、黒い蛇が壁から現われて、病人に噛み付かんばかりに近寄るのを見た(おそらくこういうことだろう。家の裏の草地で何匹かの蛇を実際に目撃し、彼女は蛇に対して既に恐怖を感じていた。そしてこういった以前の経験が幻覚の素材となったのだ)。彼女はその生き物を追い払おうとしたが、まるで体が麻痺したかのようになってしまった。椅子の裏にあった彼女の右腕は「眠り込んでしまっており」、麻痺状態になっていて、それを見つめていると、指が髑髏(どくろ)頭の小さな蛇になってしまった(爪)。おそらく彼女は麻痺した右腕で蛇を追い払おうとしたのだろう。だからこの腕の麻痺が蛇の幻覚と連想されるようになった。これが姿を消した時に、彼女はなんとかしゃべろうとしたが、できなかった。彼女はどの言語でも自分を表現できなかった。そしてとうとう彼女はイギリスの童謡の単語を思い浮かべた。それ以来、彼女は英語でだけ考えたり話したりできるようになった。

この情景の記憶が催眠状態で呼び覚まされた時、病気の当初より存在していた右腕の麻痺は治癒し、治療は終了しました。

何年も経ってから、私がブロイアーの研究結果と治療法を自分の患者に使い始めると、私の経験は完全に彼のものと一致しました。40歳くらいの女性の場合、チック、奇妙な舌打ちの音が見られました。それは明らかな理由は何もないのに、彼女が興奮して作業しようとすると必ず現われるのでした。その起源は、音を出さないようとしていたのに意思に反して音が出てしまったという共通点を持つ、二つの経験にありました。1回目は、ずいぶんと苦労して病気の子どもをようやく寝かしつけて、起こさないようにとても静かにしようとしていた時でした。2回目は、二人の子どもと馬に乗っている時で、激しい雷雨に遭い、馬が怯えたので、さらに恐怖を加えるといけないのでどんな音も出さないように注意していました。この他にも、"Studien über Hysterie"には多くの例が出ています。

みなさん、一般化することをお許しいただけるなら(このような短い説明ではそれが不可欠ですので)、ここまでの結果をこのような公式で表現できます:私たちのヒステリー患者は回想を患っている。彼らの症状はある(トラウマ的)経験の残存物であり、記憶の象徴であると言えます。

他の素材からの他の記憶の象徴との比較をすることによって、この象徴性をよりよく理解できるようになります。私たちが大都市を装飾するのに使う記念碑も、そのような記憶の象徴です。ロンドンを歩けば、広大な駅の前に豊かに装飾されたゴシック様式の塔を見ることができます――「チェアリング・クロス」です。プランタジェネット家の王の一人が、13世紀に、愛する后エレノアの遺体をウエストミンスターに運ばせて、棺(ひつぎ)がおかれた各駅にゴシック様式の塔を立てさせました。チェアリング・クロスはこれらの記念碑の最後にあたりました。記念碑は、悲しい旅路の記憶を守っています*2

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この街の別の場所には、モニュメント(記念碑)とだけ呼ばれる高い近代建築の塔があります。これは1666年にこの地区で発生し、この街のかなりの部分を焼き尽くした大火事を記念するものです。

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こうした記念碑は、ヒステリーの症状と同じように、記憶の象徴です。ここまでのところは、この比較は正当なものに見えます。しかし、今日、現代の産業の状況に没頭する代わりに、あるいは、自分自身の女王と共に歓喜する代わりに、エレノア女王の葬儀の記念碑の前に悲しみを抱いて立っているロンドン人がいるとしたら、何とおっしゃいますか? あるいは、「モニュメント」の前で愛する出身の街の炎上を悲しむ人がいるとしたら? ロンドンは、もう立ち上がってかつてよりも華麗となってから長く経つというのに。

ヒステリー患者や全ての神経症患者はこれらの実際的ではない二人のロンドン人のようにふるまうのです。というのも、遠い過去のつらい経験を覚えているというだけではなく、彼らは未だにその経験の強い影響下にあるからです。彼らは、過去から逃げることができず、現在の現実が目に入りません。このような精神生活の病原トラウマへの固定は、神経症の本質的で、実質的には最も重要な特徴です。ブロイアーの患者の病歴を振り返りながら、異論を心の中で巡らせていらっしゃるかもしれませんね。彼女の全てのトラウマは、病気の父親の世話をしている時に始まったものであり、彼女の症状は彼の病と死の記憶の象徴であるとしか考えられません。それは喪(も)に適したものであり、死後間もないときに死者のことばかり考えるのはもちろん病的なものではなく、むしろ正常な感情にあたります。わたしはこのことを認めます:ブロイアーの患者によって示されたトラウマについての感情の固定にはどこも異常なところはないと。しかし、先ほどお話したチックのような他の症例においては、この過去への異常なこだわりの特徴は明らかです。10年も15年も前のことなのですから。そして、トラウマとなる経験と病気の始まりから間もない時に「カタルシス治療」を受けていなければ、ブロイアーの患者もおそらくそのようなこだわりを患うことになっていたことでしょう。


*1:訳注。ここに(macropia and strabismus conv.)とありますがconvが何の略なのか不明なので訳出しませんでした。

*2:というよりは、そのような記念碑の後の時代のレプリカです。Charingという名前は、E・ジョーンズ博士によれば、「親愛なる女王」(chere reine)に由来します。