(元)登校拒否系

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フロイト講演会「精神分析の起源と発展」 第二講義 (2)



私がヒステリー患者の精神的なプロセスについての理論の基礎としたのは、この抵抗の考え方でした。患者を治療するためにはこの力に打ち勝たねばならないということが明らかとなりました。治療のメカニズムを出発点として、かなり明白な理論を構築することができました。これらの同じ力が、現在の状況で、忘れられた考えが意識に上ってくるのを抵抗として阻害していたわけですが、それ自体、忘れてしまう原因となり、意識から病原的な経験を抑圧したに違いありません。私はこの仮説的なプロセスを「抑圧」 (Verdrängung)と呼び、それは抵抗の存在が否定できないことによって証明されていると考えました。

しかしここで問いが発生しました:このような力とは何なのか? この抑圧の条件とは何か? そのような抑圧の中では、今やヒステリーの病原的メカニズムを認識することができます。カタルシス治療が可能にした病原的な状況の比較研究によって、この問いに答えることができます。こうした全ての経験において、偶然に願望が呼び起こされます。その願望は当該の個人のその他の欲望とは激しく対立しており、患者の人格の倫理的、審美的、個人的な上辺(うわべ)と統合することができないものです。急な葛藤が起こり、この内的な争いの終了は、意識にとってこの統合できない願望の担い手として現われる考えの抑圧を意味します。こうして、この考えは、意識から抑圧され忘れられてしまいます。問題の考えと患者の「自我」との矛盾は抑圧の動機となり、個人の倫理的なそしてその他の上辺は抑圧する力となります。統合できない願望の存在、もしくは長きにわたる葛藤は、高度の精神的な苦痛をもたらします。この苦痛は抑圧によって避けられます。この後者のプロセスは明らかにそのような症例においては人格を守る装置となっています。

多くの例を挙げることはしませんが、私の症例の一つの履歴についてお話しましょう。その症例においては、抑圧プロセスの条件と効用を十分に明確に見ることができます。もちろん、ここでは、病歴を短縮して多くの価値ある理論的な考慮を省略しなければなりません。これはある少女の症例です。彼女は、父親に深く愛情を感じていました。その父親は、ちょっと前に亡くなってしまいました。少女は父親の世話を手伝っていました――ブロイアーの患者の状況と似ていますね。彼女の姉が結婚したとき、少女は新しい義理の兄に対して独特の親しみの気持ちを感じるようになりました。それは彼女の中では明らかに家族の愛情ということになっていました。間もなく姉は病に陥り、少女と母親が出かけている時に亡くなってしまいました。二人は、痛ましい状況について完全には知らされることなく急いで呼び戻されました。少女が亡くなった姉の床に立つと、ほんの一瞬、少女の心にある考えが押し寄せました。それは、このような言葉で表すことができます:「これで彼は一人身になって私と結婚できる」。この考えは、それまで意識していなかった義理の兄への激しい愛情を彼女の意識に明らかにしましたが、その次の瞬間には、彼女の不快感によって抑圧に葬り去られてしまいました。少女は重篤なヒステリー症状を患い、私がこの症例を治療しに来た時には、彼女は姉の床での情景と、彼女のなかに湧き上がった不自然で自己中心的な欲望のことをすっかり忘れてしまっているようでした。彼女は治療の中でそれを思い出し、強い感情的な興奮のあらゆる徴候を示して病原的な瞬間を再現し、この治療によって治癒しました。