(元)登校拒否系

反学校、反教育、反資本主義、反歴史修正主義、その他もろもろ反対

選択の幻想から反学校の政治へ 第三回 学校制社会と反学校



今回は、「世界システム論」の基本を紹介した上で、個体をバラバラに見るのではなく、その関係に注目する方法を不登校と学校の問題に適用することを試みます。誤解していただきたくないのは、何も経済体制が学校のあり方を最終的に規定している、などということを主張しようとしているわけではない、ということです。「世界システム」論に触れるのは、あくまでも一種の「たとえ話」としてです。社会的な関係を重視する発想から登校拒否を考えるためのヒントを得たいのです。そのような発想は、社会学サヨク思想に広く見られるものです。ここで「世界システム論」を取り上げるのは、たまたまそれが比較的わかりやすい具体例であるからにすぎません。


「世界システム論」と反学校

旧来の社会科学においては、「国民国家」が基本的な分析単位となっていました。そして全ての国家は一定の発達段階を通過して「発達」する、とされていました。その際にはイギリスがモデルとなり、それに対してたとえばインドは「遅れた」段階にあって、いずれはイギリスが通った道を進んでいくものと考えられていました。

それに対して「世界システム論」の立場に立つ人々は、このように主張します。この世界は、資本主義世界経済という、単一のシステムからなる。だから、国民国家というものも、決してそれぞれに独立した別々の道を歩むわけではなく、その単一のシステムの「部分(パーツ)」として存在している。そして全体に対する「部分」としての国家は、お互いに対等平等な関係にあるのではなくて、一方がもう一方を搾取する不平等な関係にある。たとえば、イギリスの繁栄は、インドの窮乏に基づいている。また、その逆も真なり。だから、イギリスとインドのどちらが「進んでいる」かを比較することに意味はない。両者は、同じコインの表と裏の関係にあるのだから。。。

このような考え方は、サヨクにとっては、「一国社会主義」のむなしさを意味します。「一国社会主義」というのは、「今にも世界中で革命が勃発しそうだ」という前提で開始されたロシア革命とその後のソ連体制を、その前提が崩れた後でも正当化しようとしてスターリンが編み出したものです*1。この思想の下では、他の主要国で資本主義体制が存続していても、ロシア単独で社会主義を実現できると考えられます。しかし、「世界システム論」の立場からすれば、ロシアは決して他から独立した存在ではなくて、資本主義世界経済の一部なわけだから、このような考え方にはどうしてもムリがある、ということになります。

さて、「学校に行くかどうかを選択できるようになればいい」といった言い方からは、学校と学校の外という二つの別の世界があるかのようなイメージを連想します。これは、「世界システム論」以前の社会科学がインドとイギリスを独立した存在としてとらえていたことと似ています。保坂展人さんいわく:


ぼくたちの社会には、きっと、二つの世界がある。多数派の世界と少数派の世界だ。……

その多数派の世界とは、「学校順応」のオンロードの人たちの世界である。高校を卒業して就職したり、または各種学校や専門学校に通ったり、あるいは短大や大学に進んだりという、ごくごく普通の人たちの世界である。他方、少数派の世界は、「学校離れ」して高校を中退していった人たち、小学校や中学校で不登校経験を持って高校に進学しなかった人たちなど、「学校」からいったん離れ、自分の生き方を模索している人たちの世界だ。

……

ここでさらに、多数派と少数派、二つの世界の関係をもう少し整理してみたい。まず、大地震の時にできる地割れのような大きな裂け目が、「学校順応」と「学校離れ」という二つの世界を隔てていると考えてみよう。多数派の世界に大勢ひしめき合う人々の姿を望遠鏡で最大限に拡大してみると、「卒業証書」という資格を大切に持っている。一方、少数派の人たちは、これを持っていない。……両者を隔てている谷は予想外に深く、漆黒の闇に覆われて、下まで見通すことができないほどだ。……あちらこちらの角度から見ていくと、二つの世界を隔てているのは谷だけではないことが分かってくる。「学歴社会」という名の頑丈な壁が、谷底の手前で多数派の世界をガードしているのだ。その壁にさえぎられて、多数派の人たちは谷底を覗いてみることすらできない。ましてや、頑丈ではないけれど両方の世界をつなぐ橋がかかっていることなど、どれだけの人が知っていることか。しかし、「中退」や「不登校」という名の古い釣り橋が、わずかに一方通行でかかっている。また、よく見れば「大検」や「再入学」というリフトもあるらしい。

ぼくたちの希望は、この谷に簡単だが頑丈な橋をかけて、お互いの行き来を自由なものとすることにある。

もし、本当に頑丈な橋をかけることができて、人々が安心して行ったりき来たりできるようになった時、「学歴社会」という名の壁は、過去の老廃物として谷底に崩れ落ちていく運命にある*2

保坂さんは、「学校順応」の世界と「学校離れ」の世界を二つの独立した領域としてとらえています。この図式においては、「学歴社会」はこの二つの「世界」を分断する「壁」であるとされます。しかし僕は、「学歴社会」は単なる境界線ではないと思います。それは全ての場所を覆いつくしています。「学校順応」の世界も「学校離れ」の世界も「学歴社会」の内部にあります。そしてそれは、「学校順応」の側が「学校離れ」の側を抑圧・搾取する社会です。両者が別々の「世界」に住んでいるとする立場からは、抽象的な「学歴信仰」を批判することはできても、両者の関係を問題化し、その根本的変革を目指すことはできません。

イギリスとインドが同じ一つのシステムの内部にあるように、学校に行く(行った)人も行かない(行かなかった)人も同じ一つの社会に生きています。そして、この社会はより長い期間学校に行った人がそうではない人を抑圧する「学校制社会(学校主義社会)」です。学校的な意味での成功者が享受する様々な利益や特権は、何も天から降ってくるわけではなくて、学校的な意味での敗者が直面する様々な困難に基づいています。また、後者の困難は、前者の特権に基づいています。両者は同じコインの表と裏の関係にあるわけです。一方をそのままにしておいて、もう一方を変えることはできません。

とすれば、「学校に行ってもいいし、行かなくてもいい」などという穏健な主張によって救済されるのは、少数のマイノリティー・エリートに限られます。学校に行かない自由を実現するためには、学校に行く側、特に学校に行くことによって大きな利益を受ける側を告発する必要があります。抑圧・被抑圧の関係を変革する必要があります。つまり、「反学校」である必要があります*3



「一国社会主義」とフリースクール

アメリカの資格主義・学歴主義を分析したランドル・コリンズは、フリースクールを一国社会主義のようだと言って批判します。いくらフリースクール内部で自由を実現しても、いざ大人になれば、資格主義が待っているではないか。どれだけ「自由な」学校であっても、資格主義社会の内部にあるわけで、となるとその「自由」なんて所詮とても限定されたものに過ぎないではないか、というわけです。



Credential Society: A Historical Sociology of Education and Stratification

Credential Society: A Historical Sociology of Education and Stratification

第一回で私たちは、学校に行かない者に対する小寺やす子さんの脅迫を見ました。彼女は、「現行の学校制度を否定してしまっては、子どもの将来の選択を大幅に狭めてしまう結果にな」*4ると主張していました。学校に行かないことを肯定する者はこのような批判にどう応えるべきでしょうか?

東京シューレのスタッフが書いた『フリースクールとはなにか 子どもが創る・子どもと創る』という本があります。この本によれば、東京シューレ出身者の進路は、「進学ルート」、何らかの職業に就くルート、そして「バンド、絵、カメラなど、自分の趣味ややりたいことにエネルギーを注ぎ、いま収入につながっている」ルートの三つに分類することができるそうです。この本は、アニメやゲームに熱中することが就職につながった「ヒロキ」や、アルバイトの経験や調理師学校をへて現在は子育てと仕事をしている「タカコ」、保育士を目指して通信制短大に在籍する「シホ」、親の経営する縫製工場をへて現在は大工をしている「トオル」らを紹介しています。



フリースクールとはなにか―子どもが創る・子どもと創る

フリースクールとはなにか―子どもが創る・子どもと創る

もしこのようなバラ色の将来が保証されているのだとすれば、小寺さんのような人に自信を持って反駁できることでしょう。しかし、「登校拒否解放の(不)可能性」(前編, 中編, 後編)でも指摘したように、このような「成功談」はウソくさいものです。現実には、多くの不登校経験者が、成人後、様々な経済的・精神的な問題に直面しています。

私たちは、学校に行かないことを「選択」することによって「学校制社会」とは別のどこかにワープしたわけではありません。第二回で紹介したビデオの二人の少年は、校門の前で手を振って別れました。しかし、二人はなお同じ一つの社会に生きています。そして、学校に行かないことを「選んだ」側には、「学校制社会」のマイノリティーとしての様々な困難のフルコースが待っていたのです。

では、コリンズの言うように、フリースクールの「自由」はむなしいものなのでしょうか? 学校に行かない子どものための居場所として生まれた日本のフリースクールに限って言えば、そうではないと思います。コリンズは無視していますが、さっきの「世界システム論」には、実は続きがあります。この考え方を普及するのに大きな役割を果たしたウォーラーステインは、資本主義に対抗する反システム運動が、あくまでも支配的システムの内部に存在し、当然それによって制約されていることを強調します。そして、いわゆる「社会主義国」にも貧困があり、不平等があり、性差別があり、言論の自由が制限されていたりするのは、社会主義自体の特徴であるというよりは、資本主義世界経済に属するがゆえであると指摘します。「だから」と彼は言います:


反システム運動とそれが創出することに役割を果たした体制は、どれだけ「いい社会」を作り出したか否かということによって評価することはできない。資本主義からの移行が、平等主義的な社会主義世界秩序に向かってのものとなることを目指す世界規模の闘争にどれだけ貢献したか、これが反システム運動を意味のある形で評価する唯一の基準である*5


Historical Capitalism With Capitalist Civilization

Historical Capitalism With Capitalist Civilization

これにならって言えば、フリースクールがどれだけ「自由」か、あるいはその出身者がどれだけ「成功」しているか、ということによってフリースクールを評価することは不当なものです。フリースクールもまた、「学校制社会」の内部に存在するのだから、それはフリースクール自体の責任ではありません。むしろ、この「学校制社会」を破壊するために、どれだけ貢献したか、ということを分析してみる必要があります。

フリースクールが存在することによって、会員に対して、世間に対して送ってきたメッセージは「学校に行かなくてもいいではないか」ということでしょう。これは、「学校は絶対だ」という「学校制社会」の支配的イデオロギーに対する、強烈なアンチ・テーゼとなるものです。フリースクールは、「学校外の居場所」として存在することによって、「絶対に学校に行かなければならない」という「学校制社会」の前提を危機にさらしてきたのです。

このようにして、会員や世間の一部の意識を変革することによって、自覚的にせよ、無意識的にせよ、フリースクールは学校制度を弱体化させてきました。フリースクールは、閉じられた空間に自由の理想郷を作ったのではなく、この社会全体をより自由なものへと変革してきたのです。フリースクールは、学校制社会とは独立した「別世界」でもなければ「アジール」でもありません。フリースクールは、他ならぬこの「学校制社会」内部に存在し、その制約を受けもすれば矛盾を体現しもします。そしてそれゆえにこそ、この社会を変える力となってきたのです。

フリースクール出身者を含む不登校経験者が様々な困難に直面しているという事実は、私たちがまだその変革の途上にあるということを示しています。私たちは、そのような事実をウソくさいサクセス・ストーリーによって隠蔽することではなく、むしろ積極的に暴露していくことを通して、学校制度を打倒し、より平等な世界の実現を目指す必要性を自覚すべきです。


*1:たぶん。。。

*2保坂展人, 1994, 「学校の外に飛び出した『百万人』のあなたへ」『THE 中退』朝日新聞社, 8-9.

*3:もちろん、「学校に行った者」と「行かなかった者」の二元論で理解できるほど、この社会は単純ではありません。「大貧民」と「大富豪」の間に様々なバリエーションがあるように、人の学校との関わりも色々です。たとえば僕は、登校拒否をした後で学校に戻り、準学歴エリートになりました。ここでは、学校が不平等な社会関係を生み出すということを強調するために、強引な単純化を行っています。

*4:小寺安子,1994,『いじめ撃退マニュアル だれも書かなかった<学校交渉法>』情報センター出版局, 4.

*5:Wallerstein, I., 1983, Historical Capitalism, New York: Verso, 108.