(元)登校拒否系

反学校、反教育、反資本主義、反歴史修正主義、その他もろもろ反対

待ち組? YES!



この社会において勝ち続けることには政治的コストが伴います。それは一つには、「社会」とか「国家」といった統一体の虚構性が明らかになり、「勝ち組」と「負け組」の分断が目に見えるようになることです。「負け組」が自らの苦境の原因を「勝ち組」との関係に発見し、関係の変革を求め始めるとき、不平等な社会秩序は危機に陥ります。

「勝ち組」VS「負け組」の二項対立に、第三のエージェントが登場しました。「待ち組」です。


待ち組」は、フリーターやニートなど「挑戦しないで様子をうかがう人」を意味する造語。猪口氏は1月31日の記者会見で、「『負け組』は立派だ。その人たちは戦ったのだから。本当に反省すべきは『待ち組』だ」と述べて、フリーターらの奮起を促した。

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c2%d4%a4%c1%c1%c8

さて、正しいサヨクはこのような言説にいかなるリアクションを示すべきでしょうか? 良心的なリベラルの反応は予想できます。彼ら・彼女らは、若年層の実証的な調査を行い、若者の多くは決して働く意欲を失ってなどいないこと、むしろ問題なのは失業者に対して十分な職がないことであることを明らかにするでしょう。

しかし、「待ち組」たちよ、心の中を深く覗いてみたら、答えは明らかではないか? 働きたくない、働きたくないんだYO! 仕事をせずに生きていけるのなら、それにこしたことはないって思うだろ?

良心的な社会学者による実証研究は、この真実を覆い隠します。そしてそのことのイデオロギー的効果は重大です。すなわち、「若者たちは一定の就労意欲をもっている」という科学的調査結果が「若者たちには働く意欲はない」という常識に対する反論なのだとしたら、「就労意欲があるのが自然だ」「働くのは当然だ」という資本主義の虚偽意識を是認することになってしまいます。しかし不平等な社会関係を正当化するまさにそのような幻想こそが捨て去られなければならないのではないでしょうか?

待ち組」バッシングに対する正しいサヨク的な応答はYesYesYesYesYesYes!というものであるべきです。Yes、働きたくない、Yes、楽して生きていきたい。このような政治的ジェスチャーによって、支配的イデオロギーの欺瞞が照射されます。

フランスの精神分析家、ジャック・ラカンは、妻が浮気しているのではないかと四六時中心配している嫉妬深い夫は、たとえ浮気が事実だとしても、それでもなお病的である、と言ったそうです*1。同じように、僕らもこう言うことができるでしょう。若者たちが怠惰で意欲を持たず、「待ち」の姿勢に徹していると危機意識を煽るのは、たとえ若者たちの退廃が事実だとしてもイデオロギー的な欺瞞である、と。

待ち組」という「中傷」に対して、Yes!と肯定的に応答することは、このイデオロギー的なペテンを撃ちます。非正規雇用層への社会的攻撃が始まりつつあるという事実は、この集団の実証的実態などよりも、そのような「いけにえ」を必要とする現代社会の支配システムの危機をよく表しています。

21世紀の正しいサヨクのスローガンは「全ての者に仕事を(能力に応じて)」ではなく、「全ての者に生存を(能力・労働・努力に関わらず)」でなくてはなりません。そのような倫理に基づいた社会設計を「待ち組」が「意欲」するかどうかは定かではありませんが、彼らが現代社会の不正義を告発する位置にあることはたしかでしょう。