(元)登校拒否系

反学校、反教育、反資本主義、反歴史修正主義、その他もろもろ反対

江川紹子さんのプレスリリースを読んで



 数ヶ月前に松本智津夫さんのお子さんの一人の「未成年後見人」になった江川紹子さんが、辞任することを希望されているそうです。江川さんのサイトには、「未成年後見人の辞任について」と題された文章が掲載されていて、そこにはマスコミ向けに発表された文書も含まれています。

http://www.egawashoko.com/c006/000237.html

 全国の難しいお子さんを抱える親の皆さんの中には、江川さんに羨望の念を抱く人もいるかもしれません。親は辞めれないけど、「未成年後見人」というのはイヤになったら辞めていいんですね。ま、裁判所に辞任を申し立てたということなので、簡単なものではないのかもしれないですが。

 僕は、江川さんが件の未成年女性とどのような関係にあったのかということは知りません。また、アカの他人の「後見」などを引き受けることは一生ないだろうと思われる僕は、今回の江川さんの行動を非難する資格はないでしょう。以下は、江川さんが書いた上の文章に対する批判です。

 江川さんは、後見人を引き受けることになったいきさつを、こう説明しています。


 私は、家出中だった四女が、オウム真理教的価値観から離れ、教団に強い影響力を及ぼしている松本家から離脱し、社会の中で一市民として自立して生きていきたいので助けて欲しいと頼ってきたことから、未成年後見人を引き受けました。彼女のこれまでの生育環境に同情し、社会の中で自立した人間として生きていこうとするのであればそれを応援してあげたいという思いからでした。

江川さんは、辞任したいと思うようになった経緯についても書いています。


 しかし、残念ながら彼女の父親を「グル」と崇める気持ちや宗教的な関心は、私が気が付きにくい形で、むしろ深まっていました。彼女の状態が分かるたびに、私はカルト問題の専門家の協力を得ながら長い話し合いを行いましたが、効果はありませんでした。

 7月末、彼女は住んでいた場所を飛び出し、行方不明となりました。その後、何度かメールのやりとりはありましたが、8月10日以降は音信不通の状態です。再三話し合いを呼びかけましたが、応じてはくれませんでした。今なお所在は分かりません。

 こういう状況では、未成年後見人としての職務を果たせませんし、オウム真理教及びその価値観と対峙してきた私としては、教祖の後継者という自覚で行動している者を支援していくわけには参りません。

 この文章から、江川さんと未成年女性との関係が、(少なくとも江川さん側の意識においては)当初から対等なものではなかったということを窺うことができます。江川さんは、「オウム真理教及びその価値観と対峙してきた」という自覚を持っています。彼女は、「教団以外の人間関係を広げて欲しいと思い、いろいろな働きかけ」をしたそうです。彼女にとって後見人とは、ただこの女性を支援するだけの存在ではなく、正しい方向に導く指導者も兼ねたものだったのでしょう。江川さんは、女性のグルになろうとしたのです。ところが、それがうまくいかなかった。それどころか女性は、江川さんが好ましくないと思うような信仰を深めていった(と江川さんが当人の許可なく勝手に書いてるだけですが)。「社会の中で一市民として自立して生きていきたいので助けて欲しいと頼ってきた」のだと思っていた江川さんからすれば、話が違うじゃないかということなのかもしれません。しかし自立した市民であれば信仰の自由があるのではないでしょうか?

 ふと思い出したのが、浅野史郎の次のような言葉です。


差別をしている人たちには差別をしているという意識がない。むしろ女性や障害者を保護すべき対象と見ている。俺が稼いでくるから、お前はきちんと家庭を守れみたいに。ただ保護の対象が自己主張をした瞬間に態度が変わる。「なまいき」だと。その瞬間から差別が始まる。

[こちらからの孫引き→ http://d.hatena.ne.jp/kechack/20070326/p1 ]

この図式に当てはめると、江川さんにとって女性は「保護すべき対象」であったのでしょう(後見人なのだから保護するのは当り前かもしれませんが)。ところが、女性は江川さんの意図に反して江川さんにとって気に食わない信仰を深めていった。これは江川さんにとって想定外の出来事であったのかもしれません。女性が反オウムの闘士にでもなってれば江川さんも鼻が高かったでしょうが、「オウム真理教及びその価値観と対峙してきた私としては」オウムへの信仰を持ち続ける人の後見人を務めるのは立場的にちょっと、と思っても無理はありません。

 尾山奈々は、自殺する前、教師とのトラブルをマンガにしていました。


「ちょっと来なさい!」(I先生)

 二人の少女はつい出来心でクラブをさぼってしまった。

 すると家に電話がかかってきて、その先生としゃべらなければならなくなった。つくづくいやな先生だなと少女は思った。(自分の名前を聞かれるまで名乗らなかった、無礼なやつだ!)

 少女たちはくどくどと説教されて、次の日、呼ばれたが行かなかった。

「ちょっと尾山さん」(I先生が声をかける)

 するとある日、呼び止められた少女は、もろもろの事情で無視した。(奈々さんの文)

 次のクラブの日、これからのクラブのことを、きめなければいけなかったので思わずさぼった。副クラブ長は出た。すると先生は言った。

「どうしてああなっちゃったんだろう。前はあーじゃなかったのに」

 少女は部活に出たが、出口に先生がいたのでつい出来心で南の窓からとびおりた(みえないはずだった)。少女は次のクラブもさぼってしまった。部活にいこうとしたある日、

「ちょっと話があるの」(I先生が奈々さんの手首をつかむ絵)

 そして、手をつかんだりスカートをひっぱったりするので、思わずたたいてしまった。

「ひきょうだよ。そんな。ひきょうだよ、ちゃんと話し合いなさい」(I先生のセリフ)

 最後は逃げました。観客はたくさんいました。家まで走ったのですよ。カバンをつかまれたりもしたから、つい床にバシッとたたきつけたりしてしまった。そして、先生は言ったのです。

「よくなるまで待つ」

 何がよくなるんだ。悪口いうな! 現在、よくなるのを待っているみたいです。*1

[上記、()内は保坂によるマンガのイラストの補足説明であると思われます。]


花を飾ってくださるのなら―奈々十五歳の遺書

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 佐々木賢は、このようなやりとりが教師-生徒関係においてはごく日常的なものであることを確認した上で、対等な人間同士の間でのトラブルとして見ると、教師の言動は異常なものであると指摘しています。佐々木いわく、


……「よくなるまで待つ」と背後から声を掛けられたら、大抵の人はゾッとするに違いない。善悪の判断は相対的なものなのに、自分の思い込みの「善」のみを基準にして行動し、それに従わない他者に、これまた自分の思い込みの「広い心」で待つわけである。ここには二重の思い込みがあり、その独断と独善の強さには辟易する。また、「よくなる」という言葉は暗に「従順になる」とか「服従する」事を意味していて、支配服従の関係を当然の前提にしている。その前提の上で「待つ」態度は、支配者の「寛容」であって、いかに立場の違いを誇示した言葉であるかが分かる。*2


怠学の研究―新資格社会と若者たち

怠学の研究―新資格社会と若者たち

江川さんは「よくなるまで待つ」ことができなかったわけですが、相手を正しい方向に導こうとする姿勢は「I先生」と共通するものがあると思います。

 江川さんがオウムに反感を持つのは自由です。オウムに対して、何でも思ってることを言えばいいでしょう。けれども、江川さんの未成年女性に対する態度は卑怯なものだと思います。

 いや、江川さんの態度は教育者としてなら当然のものと言えるかもしれません。だけど佐々木賢が「I先生」について書いているように、もし対等な人間同士の間であれば、相手の信仰を矯正しようとした挙句、「効果はありませんでした」などと書くことが、はたして許されるでしょうか?

 女性を洗脳することが正しいと確信している江川さんは、「彼女がもう少し幼ければ児童自立支援施設などでの育て直しも可能でしょうが、18歳という年齢を考えるとそういうわけにもいきません」とまで言ってのけます。「児童自立支援施設」とは、かつての教護院のことです。江川さんの好みから逸脱することは、かくも大きな罪なのでしょうか? 江川さんが女性について勝手に書いていることが仮に全て本当だとしても、女性は何の犯罪も犯していません。対立する意見を持つ相手から「育て直し」ができればいいんだが、などと言われることのおぞましさ!

 ここで「児童自立支援施設」という一種の強制収容所まで持ち出されていることは、江川さんのようなソフトな権力について考える上でとても示唆的であると思います。「「永遠の嘘をついてくれ」――「美しい国」と「無法者」の華麗なデュエット」(前編後編)でも書いたように、体罰教師と「進歩的」な教師は対立しているようでいて、実際には持ちつ持たれつの関係にあります。後者が無垢なふりをしていられるのも、前者の暴力に支えられているからです。江川さんは、自ら女性を拉致監禁する度胸をもたないでしょう。もし女性が江川さんの思うようにコントロールされていたら、暴力が露わになることもなかったでしょう。しかし、一線を越えてしまうと仏は鬼にバトンタッチします。ここで明らかになるのは、非暴力と暴力の連帯です。*3

 僕がとりわけ問題だと思うのは、江川さんが次のように書いていることです。


彼女の居所を探すために、捜索願を警察に出してあります。生活状況や健康状態を確認するためにも、彼女の居場所について何らかの情報をお持ちの方は、最寄りの警察までご一報下さるよう、お願い申し上げます。

大切な人の行方がわからなくなったら、警察に捜索願を出すのは自然なことでしょうし、一般の人に情報提供を呼びかけることもあるでしょう。しかし、江川さんは女性に対して敵対することを表明し、後見人も辞任しようとしているのです。それでもなお警察に捜索を依頼するとしたら、一体何が目的なのでしょうか?

 繰り返しますが、女性は犯罪者ではありません。また、オウムへの信仰についても江川さんが本人の許可なく書いているだけで、本当のところはわかりません。しかし、仮に江川さんの書いている通りだとしたら、オウムとは対立する立場にある警察に居所を探られたいと思うでしょうか? また、そのような警察への密告を奨励するのってどうなんでしょうか?

 オウムの恐ろしさを知らないからそんなことが書けるんだ、と言われるかもしれません。けれども僕は、オウムが何者であるにせよ、この女性がオウムとどんな関係があるにせよないにせよ、その脅威から守るに値するものが一体どこにあるんだと江川さんの文章を見て思いました。


*1:尾山奈々著、保坂展人編『花を飾ってくださるのなら 奈々十五歳の遺書』, 1986, pp. 132-133.

*2:佐々木賢『怠学の研究 新資格社会と若者たち』, 1991, p. 15.

*3ジジェクいわく、「―米軍がある地方の村落を占拠した後、彼らの人道的な配慮を演出するために、部隊の軍医は子供たちの左腕にワクチンを注射した。翌日、その村はヴェトコンによって再奪還されたが、彼らはワクチン注射を受けたすべての子供の左腕を切り落とした……。従うべき文字通りの手本であると主張するのは確かに難しいが、まさしく「人道的」配慮の側面においてこのように敵を完全に拒絶するということは、それがどれほどの犠牲をともなうものであっても、その基本的な意図においては支持されなければならない。同様に、センデロ・ルミノソがひとつの村を支配下においたとき、彼らが重点的に殺害したのは、そこに駐屯していた兵士や警察官ではなく、地方の農民を援助しようとしていた国連や合衆国の農業顧問や医療関係者であった。彼らは何時間か説教され、そして帝国主義との共謀を公に告白することを強いられた後、銃殺された。その手続きが野蛮であったとはいえ、それは鋭い洞察に基づいている。警察でも軍隊でもない彼らは、真の危険、もっとも不実な敵であった。なぜなら彼らは「真実の外皮をまとって嘘をついて」いたからである。彼らが「罪なき」ものであればあるほど(彼らは「ほんとうに」農民を助けようとしていた)、彼らはますますアメリカ合衆国の道具として役立ったのだ。敵に対して、その最良の点において、すなわち敵が「ほんとうにわれわれを助けてくれている」ような点において、このような一撃を加えることのみが、真の革命的な自律性と「主権/至高性」を露呈させるのである。「敵から良いところだけを取り、悪いところは拒絶するか、あるいはそれと戦うかしよう」という姿勢をとるならば、そのときすでにリベラルの「人道的援助」という罠に捕らえられている」(http://d.hatena.ne.jp/hanak53/20070831/p2 より孫引き)