(元)登校拒否系

反学校、反教育、反資本主義、反歴史修正主義、その他もろもろ反対

ネット右翼の皆、サヨクから大切なお願いがあるんだ!!――「スイーツ(笑)」問題雑感



 なるほど、「アサヒる」って、そういう意味だったんだ。おじさん、てっきり時間の区切りのことかと思ってたよ。


アサヒる」=「執拗に責め立てること」…日テレが「アサヒる」の意味をアサヒる

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1055832.html

 ところで関係ないんだが、これからする話は大切なのでよく聞いて欲しいんだ。

 皆、サヨクは嫌いだろ? サヨクを叩きたいだろ?

 で、ここだけの話、俺らサヨクって、叩かれるのが好きなんだよ。

 いや、厳密に言うと「叩かれること」一般が好きなんじゃなくて、意見が違う相手から叩かれるのが大好きなんだ。逆に、右翼から褒められたりしたら それはもうスゴイ不名誉で、他のサヨクからボコボコにされるんだぜ。

 サヨクは、ネット右翼の皆と仲良くしたいとは思わない。「立場は違うけど、少なくとも〜ということは同意できる」みたいな共有点を探りたいなんてつもりはさらさらない。

 よく世論調査の質問に「〜について賛成ですか?」みたいのがあるけど、右翼と左翼はそういう個別の問いについて対立してるわけじゃない。そうじゃなくて、そもそも何を「問い」とするのか、何を基準とするのかっていうところから全然違うんだよ。

 たとえば、死刑制度。よく、中立を装った奴が お節介にも「論点整理」とかってするだろ? 将来の犯罪を抑止できるかとか、冤罪の可能性とか、被害者の感情とか なんとか。

 もちろんサヨクは死刑に反対だ。けどね、こういう「論点」を一々チェックしていって、で、「う〜ん、死刑は廃止した方がいいかもなあ」なんて結論に到達したわけじゃないんだ。

 まず結論ありきだ。死刑には絶対に反対なんだ。死刑のおかげで将来の殺人事件が半減しようが、裁判官が常に正しい判決を出そうが、被害者や遺族が何を言おうが、おかまいなしだ。とにかく死刑はダメなんだ!

 っていうと、おいおい、と思うかもしれないが、これは右翼諸君にしても そういう感じなんじゃないか? たとえば、犯罪抑止効果。社会学者が出てきて、「え〜ヨーロッパでは……2.96%……20,212人……56%……14%……したがいまして……」とかってペラペラ喋りだしたりしたら、正直、ちょっと不安になるよね。でも、そんなことでヘコタレル君らじゃないよな? 別の学者にしゃべらせればいいんじゃん。別の「論点」を前面に押し出せばいいんじゃん。

 本当の本当に大切なことには、理由があってはいけない。「死刑には反対/賛成だ。なぜならば……」なんて言っちゃいけないんだ。だって、その「……」の部分がもし間違ってたら、意見を変えなきゃいけないことになるじゃにゃいか。そんなのはイヤだろ? 俺は、イヤだ。

 というわけで、右翼と左翼は、冷静にデータを比較しながら対話できるような関係にはないんだよ。

 だから、サヨクは、ネット右翼にわかってもらおうなんちゃ思ってない。ぶっちゃけ、君たちを打倒したいんだ。

 ところがどうだ!

 あ、ここまでは前置きね。今から本題に入るからよおく聞いてね。

 ネット右翼の皆は、アカヒや日教組筑紫哲也社民党共産党を叩くことに やっきになってないかい?

 あのね、自分がサヨクだからよくわかるんだけど、こいつらはサヨクじゃないよ。


  「なっ なんだってーーー!」


 我々サヨクは、朝日新聞を「ブル新」と呼んでるんだ。ブルジョアに奉仕する新聞ということだ。資本の犬だね。

 産経新聞=ウヨ、朝日新聞=サヨ、と思ってないか?

 間違いだ。サヨクからすれば、どちらも五十歩百歩だ。同じ穴のムジナだよ。『正論』も『世界』も敵だ。

 さてもちろん、アサヒの記事は全部ダメだ、なんてことはない。朝日新聞の記事に感動することもあるし、「この記者の記事はもっと読んでみたい」と思うこともないわけじゃない。

 なんか矛盾してるみたいだけど、サヨクは矛盾が大好きだ。「あんた それ矛盾してるよ」って言われたとしたら褒め言葉だ。

 マスコミはサヨクにとってツンデレ。マスコミの言うことは いつも眉唾で聞いてるんだ。けど、たまに「いいこというネ!」と思うことがある。ウホッ! て思うことはあるよ。

 でもサヨクは、「デレ」に釣られたりはしない。なぜか。我々は、「相対的自律性」という概念をもっているからだ。

 なんじゃそら?

 マスコミは、資本に奉仕する。これが原則だ。

 だけど、『マルホランド・ドライブ』の謎の老人みたいな奴が影で全て糸を引いてるわけじゃないんだ。


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 記者や編集者はロボットじゃない。それぞれに独自の意思を持っていて、一定の範囲内で自由に活動している。だから新聞は面白い。こともある。ま、ウヨクの皆も、たまには駅の売店で紙の新聞を買ってみてくれ。ただし日経はやめとけ。あれは読むところがほとんどない。ただし、気になるあの人に会う時に さりげなくカバンに入れとくのはアリだ。ただし、いきなり金利やインフレ率について とうとうと語り始めるのはナシだぞ。

 話がそれた。というかこの話に本題はない。最後まで読んでも本題は出てこないが、どうしても言っておきたいことがあるので、あともう少し聞いてくれ。

 私は新聞やテレビを見る。けども一方で、新聞やテレビによって「私」というものが作られていくんだ。

 どういうことか?

 こういうことだ。

 バラエティ番組で、中居クンが面白いことを言ったら、スタッフの笑い声が入るだろ? そのおかげで、我々は 中居クンが面白いことを言ったということを知るんだ。

 ニュースでも同じことだ。企業の不祥事や政治家の汚職が「問題」として報道される。だけど、それが取り上げられるべき「問題」だっていうことを、誰が決めたんだ?

 たとえば「白い恋人」の賞味期限がどうしたとかいうあの話だ。これは重大問題で、報じられるて当然と思うかもしれない。けれども そんなふうに思うのは、そういう報道を見たからかもしれないんじゃないか?

 あるいは犯罪報道だ。いつ殺されるかわかったもんじゃない。警戒心を高めるためにはテレビや新聞が積極的に事件を取り上げるべきだと思うかもしれない。だが、そんな恐怖心を抱くのは、テレビの見すぎかもよ?

 新聞やテレビが何かを伝える時、「〜は問題だ」と常日頃から考えている「読者」「視聴者」が想定されている。新聞を読み、テレビを見るということは、そういう「読者」「視聴者」になるということだ。

 っていうのは冗談だ。だって、諸君はマスコミに深い猜疑心を抱いているのだし、サヨクだって さっき言ったようにマスコミとは敵対してるじゃんか。

 どこにも、マスコミに いいように操られてるバカなんていないのかもよ。

 考えてもごらんよ。君、バカでしょ。俺もバカだ。なのに、マスコミなんて信用できないということは わかっているんだ。

 どんな詭弁も歪曲も、我々が簡単に見抜けてしまうとしたら、無害なものなんじゃないか?

 諸君は、日教組の偏向教育を憂えているかもしれない。

 しかしだ。

 諸君は、そのような教育を受けたにも関わらず立派なネット右翼になることができたではないか! よかった、よかった。まずはそのことを喜ぼうよ。

 日教組なんか、放っておけ。自虐史観、大いに結構ではないか。

 今、サヨクは危機感を抱いている。教育基本法の改正などによって 大切なものが失われるのではないかと怯えている。

 まったく、オメデタイ奴らだ。あんなのは放置でいいよ。無意味な争いだ。

 日教組は自虐的な国民を作ろうとしてるって? 逆にサヨク自民党が また戦争をやるために軍国教育を推進してると言うかもしれないね。

 だが、教育者がどんな意図を持っていたにせよ、君はウヨクに、俺はサヨクになったのだ。

 「〜を信じこませよう」という意図が見抜けてしまうんだったら、洗脳として失敗してるよ。

 ちびっ子として教師に「騙された」ことを怨みに思ってる諸君もいるかもしれないが、2ちゃんねるで衝撃の事実に気づき、「なっ なんだってーーー!」と叫ぶことができたんだろ? ま、マトリックスから脱出して現実に覚醒したと思ったら それもまたマトリックスだった、ということもあるけどね。

 しかし君は思うかもしれない。

 自分は、偏向教育が間違いだということはわかっている。アカヒのデマにひっかかったりはしない。けれども、子どもたちはどうだろうか? スイーツ(笑)とかはどうだろうか? ネットを見ないような一般の読者はどうだろうか?

 そこが、問題の核心だ。ここまで読んできてくれてありがとう。最後に、本当に大切なことを言います。

 ウヨクとサヨクが論争しているとしよう。そこで行われているのは一対一の対話ではない。

 ウヨクもサヨクも、直接の相手ではなく、「バカ」を意識して語っているのだ。

 サヨクは、教科書に書いてあることを鵜呑みにしたりはしない。けども心配なのだ。ちびっ子たちのことが。

 ネット右翼の諸君も、まさか筑紫哲也の妄言にひっかかったりはしないだろう。だがバカな視聴者がコロッと誘導されてしまうんじゃないか。ということが不安なわけだろ。

 政治的対立は、この「バカ」をめぐる対立である。

 このエントリー自体が なんか「上から目線」で書かれているのには そういう事情もあるので勘弁してくれ。

 だがね。繰り返すが、君だって俺だって、ま、バカでしょ?

 じゃあ本当に本当の「バカ」はどこにいるんだ? 一体どこの誰が「騙されてる」んだ?

 ということを、このブログの[シリーズ:自由と強制と(無)責任の政治学]という連載で、ジジェクという哲学者なんかを参考にして考えていきたいと思ってる。

 ごめん。宣伝がしたかっただけなんだ。長文に つき合わせて悪かったね。でも、このシリーズ第2回はマジで面白いよ。下にリンクを置いておくね。ただし、ここで想定されてる「読者」はサヨク限定なんだ。アカヒには十分に免疫がついてる百戦錬磨のネット右翼の皆にとっても危険だ。

 残念だが、ウヨクの諸君は絶対にクリックしないでくれ


『「永遠の嘘をついてくれ」――「美しい国」と「無法者」の華麗なデュエット』

http://d.hatena.ne.jp/toled/20070726#1185459828 (前編)

http://d.hatena.ne.jp/toled/20070727#1185459989 (後編)