(元)登校拒否系

反学校、反教育、反資本主義、反歴史修正主義、その他もろもろ反対

なぜ「本当のことを言ってはいけない」と言ってはいけないのか?



 全国津々浦々の皆さん、反自由党は、本当のことだけを言います。


なぜ「本当のことを言ってはいけない」のか(id:biscuit855さん)


(前略)

 この劇を見たとき、ご多分にもれず僕は「つまらない」と思い、大あくびをかき、寝ぼけ眼でその劇を見つめていた。暗い照明と相まって、非常に寝たい気分だった。

 やっと劇が終わり、照明が明るくなると、今度はプリントをもらって、感想を書かなくてはならなかった。その頃はやんちゃ盛りであったので、何か他とは違う文を書きたいと思った。教訓めいたことを書こうとしている真面目な子を尻目に、僕はわざと素直に「この劇から学んだことは何もありませんでした。面白くないです」みたいなことを書いた。

 そうして一週間ぐらいたったホームルームの時間に、その感想を書いた紙を赤ペン付きで返された。正直説教めいたことが書いてあるんだろうと、ちょっと覚悟はしていた。しかし、よく見てみると、たった一行

「本当のことを、言ってはいけません」

 とだけ書いてあった。

 この文章は衝撃的だった。悪ガキだったので、大抵の説教じみた物言いには慣れていた。しかし、「本当のことを言ってはいけない」ということが、他のどの文章よりも不快だった。


http://d.hatena.ne.jp/biscuit855/20050923#1127513254


 もちろん本当のことなんか言ってはいけません。けれども本当のことを言ってはいけないという本当のことを言うことはもっといけなくて、ワクワクすることです。

 「大阪府KY若手職員と「姜尚中トラメガ事件」について−−米粒が立ち上がった日」からのリサイクルで恐縮ですが、ジジェクがこう言っています。



D

[1:10以降]


私の夢なのですが、ここが[19]36-37年のモスクワの中央委員会で、そう、私がスターリンであるとしましょう。私が演説をします。そして皆さんの内の一人が立ち上がって、私を批判し、攻撃したとしましょう。誰にでもわかることですが、次の日には、その人を最後に見たのは誰かということが問われるでしょう[その人は粛正されるってこと]。いいですね。しかしさらに別の人が立ち上がり、私つまりスターリンを攻撃した最初の人物を攻撃して、こう言ったとしたらどうでしょう。「お前は気が狂っているのか? ソ連では同志スターリンを攻撃したりしないんだぞ。お前はなんでこんなことをしているんだ」と。私は、この第二の男が最初の男よりもさらに速く姿を消すだろうと思います。つまり、スターリンを批判することが禁止されていただけではない。この禁止を公に語ることはさらに強く禁止されていたのです。*1


 教師には二つの類型があります。「大阪府KY若手職員と「姜尚中トラメガ事件」について−−米粒が立ち上がった日」の例で言うと、橋下徹府知事タイプの教師と、姜尚中タイプの教師です。前者は、暗黙のルールの侵犯を華麗にスルーして何ごともなかったかのように平静を装い、暗黙のルールが暗黙であることを維持します。これに対して後者は暗黙のルールがルールであることを防衛しようとします。本当のことを言ってはいけないという暗黙のルールが危機にさらされた際に、暴力的にそれを明示してしまうのです。そのことによって、逆説的にも支配は弱体化します。暴力を隠蔽する「自由」の外観がほころんでいくからです。

 biscuit855さんはラッキーです。姜尚中タイプの教師と出会えたからです。そのおかげで暴力は誰の目にも明らかとなったのです。

 反自由党は、姜尚中タイプの教師が増えることを願っています。なぜか?

 biscuit855さんはこう書いています。


僕は小学校を洗脳機関として叩いているわけではない。「どんなクズな教師でも、権力には逆らえない」ことを生徒に結論づけさせる、今のクズ教師がダメなのだ。権力第一にして、どんな生徒でも言うこと聞くと考えるおめでたい教師は、職権の乱用どころか、人権蹂躙だと言いたい。なぜなら、そういうクズ教師のおかげで、生徒一人一人に与えられるはずの「教育を受ける権利」がまず破綻しているからだ。


 ズバリ、間違いです。「教育を受ける権利」を侵害されたと言って被害者意識を持つのは、奴隷が鎖をあてがってもらえなかったと嘆くようなものです。

 biscuit855さんは本当のことを言う人です。本当のことを言う人は、まず「本当のことを言ってはいけない」と言う人と同盟して、自由教育の推進者を打倒しなくてはなりません。なぜならば「本当のことを言ってはいけない」ということは本当のことだからです。本当のことを言う人はまずその本当のことを暴露しなければなりません。だから「本当のことを言ってはいけない」と言う人は本当のことを言う人の友です。本当のことを言う人は「本当のことを言ってはいけない」と言う人と協同して「自由」の建前に挑戦しなければなりません。そうして「自由」の外観が崩れ落ちた先に自由があるのです。


*1:"Imagine, a dream for me, we are in Moscow 36-37, central committee, OK, I’m Stalin. I give a speech. Then one of you stands up and criticizes me, attacks me. OK, everyone knows next day the question would be who saw that guy the last. OK. But then imagine that another guy stand up and attack the first guy who attacked me, Stalin, and would say “Are you crazy? We don’t attack Comrade Stalin in Soviet Union. Why are you doing this?” I claim that this second guy would disappear even faster than the first guy. That is to say, it wasn’t only prohibited to criticize Stalin; it was even more prohibited to publicly announce this prohibition."