反自由党は神田高校元校長助命嘆願に署名します
【神田高校問題】「校長先生を戻して」「服装で合否、正しい」保護者や生徒が嘆願書
神奈川県平塚市の県立神田高校が入試で服装や態度がおかしい受験生を不合格とした問題で、更迭された渕野辰雄前校長(55)を学校現場に戻そうと保護者や生徒らが16日までの予定で署名活動を実施、週明けに松沢成文県知事と山本正人教育長あてに嘆願書を提出する。前校長は教頭時代から同校建て直しに取り組み、信頼を得ていた。多数の中退者など生徒指導に悩む学校現場。同校だけの問題ではない。(中村智隆、鵜野光博、福田哲士)
http://sankei.jp.msn.com/life/education/081115/edc0811152132002-n1.htm
たしかに悪いと言えば悪い。しかしいかなる基準に照らして悪いと言うのか?
通常の試験であれば合格したはずの者が不合格になったことが不正義なのか?
しかし問われなければならないのは、「試験」というものそれ自体である。
保坂展人の内申書裁判を思い出してみよう。
彼は学業成績が優秀であった。
一方、彼は中学生にして左翼活動に参加していた。
結果として、進学校は彼を不合格とした。
しかしここにある不正義は何なのか?
その後、保坂は政治家となった。
そして彼は、予算委員会において当時の森首相が産経新聞に「裏口」的に入社したことをあげつらった。
僕が保坂展人を「敵」認定したのはその瞬間である。
要するに、彼は優等生のおぼっちゃまくんだった。
そして進学校に進み、その特権を享受する道をたたれた。思想調査のために。
だが、問題の本質はそこにはない。
服装検査や思想調査が「正当な試験結果」をゆがめたことにあるのではない。
試験というものそれ自体が裁かれなければならないのだ。
進学校のリベラルな文化を謳歌したものたちは、くだんの校長の野蛮に驚くだろう。
底辺校の現実を知るものは、「ダーティ」ではあれ必要な措置を講じた彼の勇気を称えるだろう。
だが問題はそのレベルにはない。
服装による選別が不当だとして、なぜ試験による選別が不問にふされるのか?
思想による選別が不当だとして、なぜ試験による選別が許されるのか?
これが、意義のある唯一の問いだ。
ほかのすべては問われるべきではない問いであり、
それが問われていることこそが問われるべきだ。