(元)登校拒否系

反学校、反教育、反資本主義、反歴史修正主義、その他もろもろ反対

「オスプレイは抑止力になるか?」という問い

8月に精神科を退院した。年末からまた入院している。何もする気にならない。それでいてまた退屈でもある。
退院してから、何度か市ヶ谷の防衛省前に行った。沖縄へのオスプレイ配備に抗議するためだ。
ちょっとひっかかっていることがある。書いておこう。
ビラを配っていた。あとで読んで、異論をもった。文章を書いた人たちとはゆっくり話す機会があったのに、それについて語らなかった。後悔している。
ビラには、オスプレイに関する論点が列挙されており、それぞれについて配備が不当であることが指摘されていた。
手元にないので正確には覚えていないが、その一つはいわゆる「抑止力」についてのものだった。
配備派は、オスプレイが中国や朝鮮からの軍事的脅威への抑止力になると主張している。しかしそれは間違いであるという内容だった。
オスプレイは抑止力となるのか否か。
反対派なら、この問いに否と答えるのが当然と思うかもしれない。
しかし僕は、問いを拒否する反対派でありたい。抑止力などという発想がそもそも間違いだ。中国や朝鮮は脅威ではない。危ないのは、植民地主義を継続し、「竹島」や「尖閣諸島」への領土的野心をあからさまにしている日本だ。
こう言われるかもしれない。たしかにそれは正論だ。だが、沖縄からのオスプレイ撤去という緊急の課題を前にしては、現実に論点となっている問いにも答えなければならない。抑止力が必要であると信じている人も、オスプレイが不適となれば、反対派となってくれるかもしれないと。
僕はそうは思わない。
争いごとがあるとき、自分に近い勢力を求めたくなる。しかし、抑止力が必要であるという立場と近くあってはならない。断絶がある。
どういうことか。
この病棟は9時で消灯だ。精神科なので、服薬は管理されている。もうすぐ看護師が眠剤を持ってきてくれる。
また次にでも書くとしよう。


なお、防衛省前では、オスプレイ配備にあたっての普天間基地前の状況を評して、「まるで中国や北朝鮮のようだ」と演説する者がいた。これは論外である。その場で黙っていたことが遺憾だ。同じようなことがあったらすぐに抗議するようにしたい。