パラレルワールドの倫理
あさって 退院することになったよ。
↓むかしのmixi日記
子どものころ見た『ドラえもん』の映画版で、こういうのがあった。
のび太一行がピンチに陥り、ジャイアンその他関係者は敵の手に落ちてしまうんだけど、ドラえもんとのび太くんだけは助かって家に帰る。
この時、のび太くんのすばらしいトンチで、究極の解決策が提案される。
「もしもボックス」
あの、公衆電話みたいな機械で、「もしも〜だったら」って言うと無条件で現実化する、その他のグッズの存在意義を全部キャンセルしかねないような、例のアレですね。
それで何ごともなかったかのような日常に帰るのでした。
……だと、映画が30分で終わっちゃうので、のび太くんはさらに考える。
「もしもボックス」で分岐する以前の、もう一方のジャイアンたちはどうなっちゃうんだろう。
ドラえもんが解説します。「もしもボックス」を使った時点で、「あっち」の世界と「こっち」の世界に分かれる。だから、「あっち」にもジャイアンやスネ夫はいて、悲惨な目にあっている。けど、「こっち」の世界はそれとは独立したもので、平和な日常が回復し、みんな元気に暮らし続ける。
そんなんじゃ「あっち」のジャイアンたちがかわいそう、と思ったのび太くんは。。。
という話でした。うろ覚えだけど。
史的唯物論は、ハッピーエンドを拒否します。
「めでたし、めでたし」という結末に張り付く阿鼻叫喚に耳をそばだてます。
っていうような話を、今度ブログに書きたいんだけど、まだ考えがまとまらないので書けない。
と書いたのが4年前。
ふと思いだしたので、宝くじ買いました。
必ず当たるよね! ある意味。