(元)登校拒否系

反学校、反教育、反資本主義、反歴史修正主義、その他もろもろ反対

朝鮮の核開発を支持する

核は悪だ。一つとしてあってはならない。


とすれば、答えは決まっている。核全廃である。


どういうことか?
核不拡散ではだめだということだ。
それは、日米韓を含む大国の核独占を固定化する策略である。


既に地球を何千回も破壊できる核がある。
ついさいきんの3.11も甚大な被害をもたらした。


世界平和。


あなたがそれを望むなら、核のない世界を望むなら、
放射能の拡散をおそれるなら、核不拡散は答えではない。
核全廃が答えだ。


朝鮮民主主義人民共和国は、建国以来、他国を侵略したことがない。
今回の実験に際しての声明でも、自ら先じて核兵器を使用する
意図がないことを明瞭に強調している。


もちろん将来の保証があるわけではない。
他のどの国家とも同じように、朝鮮はこれまでも方針を
変えてきたのであって、これからも変わるかもしれない。


また、意図せずとも武器は危険だ。暴発するかもしれない。
アメリカの核兵器でさえ、老朽化した設備と技術で管理されている。


しかし問おう。あなたは、大国が一方的に虐殺を続けることを望むのか?
世界平和を望むのか?


キューバ危機を思い出そう。本当に危なかった。
しかし回避された。
これは、偶然に偶然の幸運によるが、究極的には、
双方が核を保有していたからである。


相互に確約された破滅(MAD)。


それが冷戦を冷戦たらしめ、大国はもっぱら局地的熱戦に
専念し、おびただしいものたちを殺した。


イラクに何がおこったか?
リビヤに何がおこったか?


対してイランはどうか?


朝鮮が実際に核開発を行っているかどうかは確実にはわからない。


しかし、まず、そう宣言することで、外交上のテコになる。
つまり侵略されにくくなるということだ。


また、本当に核兵器実用可能になる可能性があると
日本などの大国が考えたとすれば、抑止力となる。


日本に対して責任を負うものがすべきことは決まっている。
自衛隊や米軍を打倒することだ。
そしてそれは、朝鮮側の外交上のテコであるとか抑止力であるとかに
関わらず、倫理的問題である。


核に抑止力なんか、実はない。
侵略戦争をとめることができるのは、人間の責任、つまり自由だけだ。


とすれば、朝鮮の核開発の有無や進行具合について
あれこれ考えている場合ではない。
考えるべきは、日本国内の数十機の原発や、安保のもとで
世界のどこにでもとどいてしまう核兵器をどうするかということだ。


世界平和。核のない世界。戦争のない世界。
核施設や実験によって労働者、住民が被害を受けることのない世界。
可能か不可能かはわからない。
できるから目指すのではない。
倫理がそれを強制するから、可能である可能性をつくりだすのだ。
なぜならば自由に縛られているからである。
倫理によって、自由を強制されているのだ。







日本国内の不正義は、もう限界をこえている。
私が精神科の診察でよく話すのは、もう、
これまでなかったくらいひどいです、ということだ。
そして次の外来でまた同じことを言う。
底までおちたと思ったら、底がぬける。
その繰り返しである。


日本国内の不正義は、もう限界をこえている。
そして限界は逃げ水のようだ。
今回の事件を口実として、またそれが、既にあったそれが
進むだろう。


これに反対しなければならない。


ということを訴える同じ文章で、私は朝鮮の核開発もしくは
そのジェスチャーを支持する。
そんなことをしたら、まさに不正義の被害を受ける者たちに
迷惑がかかる。
しかし、日本人極左が何かを言ったことを口実に限界を
越えて越えて行く者たちは、どうせなんだって口実にするのだ。
また、朝鮮国家が悪いからといって在日朝鮮人が迫害されてはならない
といった言い方は、穏当なようでいて、分断を強いる暴力だ。


だから言いたいことを言おう。
言える安全圏にある者がまず率先して。
朝鮮の核開発を支持すると。


そして私のやるべきことは自衛隊と米軍を倒すことだ。
それが、朝鮮の核開発を阻止する唯一の倫理的な回路である。