(元)登校拒否系

反学校、反教育、反資本主義、反歴史修正主義、その他もろもろ反対

菅野完、小倉利丸、戸塚宏ーー暴力加害に居直りつつ<公共圏>でもてはやされる者たち

菅野完(すがの・たもつ)、小倉利丸(おぐら・としまる)、戸塚宏(とつか・ひろし)。菅野と戸塚は類似しているが、小倉は並列されると意外に思うかもしれない。しかし、三者には共通項がある。暴力事件の加害者であり、証拠もありながら、謝罪も反省もない。それでいて、<公共圏>においてチヤホヤされているということである。私は最近、彼らについて二つの文章を書いた。ここにそれを公開する。まずは小倉(富山大名誉教授大先生)について。

常野雄次郎 ブログ: http://d.hatena.ne.jp/toled twitter: @yujirotsu

小倉利丸を運動から追放する宣言

 小倉さんって、なんかソフトで、やさしい、アナキストだと思っていませんか? 実は数年前、私は小倉さんのもとで暴行事件に会い、命の危険を感じました。


概要
 私が高所(かなり高い机の上)に上って問題提起をしたところ、小倉さんの扇動、よく言って容認のもとに、二名ほどの小倉さん配下から強引に引きずりおろされました。幸いにして骨や頭を打つことはありませんでしたが、アザがのこりました。大事にいたっていた可能性も十分にあります。その直後、「学外者は帰れ!」というかけ声のもと、約200名から「帰れ」コールが一斉にあがり、小倉さんは独裁的司会者であったのにも関わらず、ずっと容認していました。


いきさつ
 あることで、私にネット上の注目があり、富山大の大阪洋さんから、交通費など経費を負担するので、富山に来て欲しいとの依頼を受けました。学長選で3位(最下位)になった人が、ネオリベの策略で学長になってしまいそうだ。全学集会をやるが、このままでは通ってしまいそうなのでなんとかしてほしいとのことでした。
 行ってみると、全学集会にしては200名くらいしか収容できない教室で、教員らしき人とマスコミ関係者がほとんどでした。小倉さんの司会も専制的なもので、自由討論ではなく、小倉さんは多数手が挙がっている中からあらかじめ小倉さんが決めていた人に暴君的に割り振っているように感じました。どうも、本気で阻止しようというつもりはなく、ネオリベ化に反対したというアリバイ作りの茶番ではないかと思えました。
 そこで、私はまず、隣室で夜学授業の休憩時間の学生たちに参加を呼びかけました。そのうち数名は来てくれました。また、手を挙げているだけでは発言させてくれない雰囲気を感じたので、高所に上り、そもそも教授会自治がナンセンスである。学外者や非常勤職員、学生の権利について話さなければ、ネオリベに抵抗なんてできないと問題提起しました。その直後に起きたのが上記「概要」です。


追放の必要性
 その後、横浜の反APEC運動で小倉さんとはかなり近くに同席しましたが、謝罪はありませんでした。最近になって、富山大を退職したのか、東京の運動圏で鉢合わせることが多くなり、暴力のフラッシュバックに苦しんでいます。私はツイッターで賠償と接近禁止を申し渡しましたが、無視されています。講演案内などで彼の名前を見かけるのも苦痛です(裏面の公共圏に関する文章参照)。
 そこで宣言します。小倉さんの運動参加を認めません。呼ぶこともしないし、講師を依頼することもありません。もし来たら、被害者を矢面に立たせることなく、協力して追い返します。
 運動とは、「誰もが来ていい場」ではありません。誰かが来たら、そこに来れなくなって排除される人も出てくるのです。


なお、当日はあらかじめ「決議」なるものが用意されており、朗読されることすらなく、小倉は承諾を促した。私はその内容に納得できなかったので精一杯の大声で「異議あり!」と繰り返したが、翌日の新聞報道では、「全会一致」で採択されたことになっていた。
当日、「茶番とはなんだー! ふざけんな」と一番派手に襲いかかってきた(が、実際には暴行しなかった)のは元中核派活動家である(と本人がオープンにしている)大阪洋富山大専任教員であるが、それは、このままだと常野さんへさらにどんな暴行が加速していくかわかったものではない。ここは一つ、自分がキレて一番危ない人の演技をして、場の流れを変えようと意図してのことであったとのことである。その手段の妥当性はともかく、人殺しも平気な中核派に所属経験があり、大学関係者として小倉やその場にいた他の者と交流がある人がそこまで言うというのはやはりさらにヤバイことになっていた可能性もあるのかもしれない。
当日はかなりの数のカメラで記録が撮られていたことや、目撃者多数であることもあって、小倉も事実関係については否認しようとはしない。
(後日追記:ついさっき検索して知ったが、小倉はその後、学部長に就任することによってネオリベ参画したようだ。)


一方、菅野完は、性的暴行の事実を認めつつ、被害者に不誠実な対応を行っており、やはり居直っている。最近、民事訴訟で敗訴したが(敗訴しただけではなく、事実関係については争ってすらいない)、その後も平然と公的発言を続けており、多くの支持者を集めている。先日は福島みずほらと集会に登壇した。この暴行事件について他に先んじて報道した「週刊金曜日」にも、恥じらいもなく彼を讃えるコラムが掲載された。これに抗議した投書が以下である。投稿から約二ヶ月半後、2017年6月23日号(p. 63)に掲載された。転載許可にあたって、同誌より電話番号の記載を求められているのでここに明示する。03-3221-8521である。

性的暴行事件を起こした菅野完氏の<公共圏>での扱われ方を問う


                  常野雄次郎 つねの ゆうじろう、39歳、元登校拒否児


本誌は、他に先駆けて『日本会議の研究』の著者・菅野完氏による性的暴行事件を誌面(2016年7月15日号)で報じて以来、ウェブでも2回この問題を扱っている。菅野氏は性的暴行の事実を認めつつ、被害者に不誠実な態度を取っているとのことだ。今年3月の本誌のウェブ版記事によると、被害者が提起した訴訟は現在も係争中という。しかし、菅野氏はその後もマスコミに重用されている。最近では、『週刊朝日』6月9日、16日、23日の各号に彼が寄稿している。
 本誌(4月14日号)でも「メディア一撃」に掲載された浅野健一氏のコラムで、約3割において彼が肯定的に紹介された。「安倍小疑獄報道を牽引してきた菅野氏」とのことだ。 森友問題について菅野氏が果たした役割とは、教育勅語唱和に現れる教育内容や暴力的手法、保護者への差別事件といった複合的問題を政治家による利益誘導だけに矮小化することだったと思う。それを「牽引」と評価する浅野氏にはあきれる他ない。
 森友問題発覚以降、彼はマスコミの寵児となった。大量のカメラに囲まれ悦にいる姿を見て、ふと思い出した。 暴力によって登校拒否児らを「直す」と豪語した戸塚ヨットスクール校長の戸塚宏氏も、マスコミにもてはやされていたが(本多勝一氏の著作(『子どもたちの復讐』)でも、戸塚氏を肯定的に捉える河合逸雄氏の発言が掲載されている。これに本多氏は無批判であった)、虐殺事件後に逮捕された(1983年)。バッシングに転じたマスコミは、しかし、自らの報道を総括することはなかった。戸塚氏が一審で「目的の正当性は認められる」として執行猶予付判決を受けると、驚くべきことに、「朝まで生テレビ」に彼が出演して教育論を展開したのだ。論陣を張るに価する意見をもつ一人として彼が<公共圏>に登場することが悔しく、私は号泣した。
 菅野氏がメディアに重用されていることは、一つの社会的力として機能する。「彼の"役割"を考えれば、性的暴行なんて問題ではない。あるいは別問題に過ぎない」――。もちろん、加害者にもその後の人生はある。しかし、反省や償いもないまま、<公共圏>に何事もなかったかのように彼が登場し、賛美されることがあっていいのだろうか。マスコミは今、菅野氏の行為を事後的に承認し、さらに言えば、将来的に同じような事件が起こす誘引をつくっているとも言える。
 菅野氏の性暴力を本誌は記事にしている。しかもそれは被害者の証言も含むものであった。浅野氏が、ましてや編集部がそれを知らないという言い訳は通用しない。告発記事は撤回も修正もされていない。本誌はこれからも菅野氏を賛美する記事を掲載するのだろうか。浅野氏コラムについて総括しないのだろうか。取材対象者への誠意という問題はもとより、<公共圏>のあり方をどう考えるのか、性暴力を些事としてよいのかということが問われている。


同誌は、民事訴訟の判決についてネットで報告しているものの、浅野コラムについては撤回も反省もしていない。これからどうなるかについては、読者の責任でもあろう。上記電話番号に意見を寄せるのも一案かもしれない。


さて、このブログは、ある事件についての報告記事連載を宣伝するために存在する。以下だ。
【連載】暴行・セクハラ暴言事件@一橋大学ーー悪に対して中立であることは何を意味するか? 第1回 袴1号と袴2号、第一の暴力 - 催涙レシピ


「一橋宝生会・如水宝生会」の袴一号、袴二号は、どうしているのであろうか? 石原慎太郎(いしはら・しんたろう)講演会を私たちの抗議にも関わらず強行した大学祭(一橋祭)運営委員であった岡本まゆ香(おかもと・まゆか)、塩川雄基(しおかわ・ゆうき)、坂井駿太(さかい・しゅんた)は、企業や官界で活躍しているんだろうか? 「差別・排外主義に反対する連絡会」の業務の一環として被害者側である私を誹謗中傷した三木譲(みき・ゆずる)は今でも、集会の入り口警備を口実に精神障害者(と彼が認定した者)を排除したり、在特会集会参加者にコーヒーを奢って馴れ合ったりしているのだろうか? やはり現場に居合わせ、「学生委員」として大学祭を管理する立場にありながら「中立」を決め込んだ石居人也 (いしい・ひとなり)教授はどんな授業をしているのか(一橋の大学祭は自治祭ではなく、あくまでも「学生委員会」という教員組織が厳格に管理している)? 気になるところだ。積極的に、連載再開を促して欲しい。そして、この件について広めて欲しい。


もとより、戸塚や菅野、小倉、また一橋大学関係者らが暴力を働き、それについて居直っていながら<公共圏>で「活躍」し続けていることについて共通しているからといって、それらが同じであるというわけではない。それぞれに固有性があり、一緒にしてしまえばそれもまた暴力だ。また、こういった告発は自分に跳ね返ってくる。私自身、友人(当時)に対して尊厳を根こそぎに否定するような暴言を吐いたことがあるし、このブログにしたって、過去ログを探れば、差別に満ち溢れている。そしてこれはどうしても言いたい。菅野については、別の性暴力加害者である山口敬之(やまぐち・のりゆき)と扱いが違うのではないかという批判が原則的左翼からある。それは重要だ。反安倍かどうか、むしろ安倍を利するかどうかということで性暴力加害が「利用」されたり軽視されたりすることがあってはならない。
しかし、しかしだ、原則的左翼たちよ。私たちの界隈においてだって、セクハラや性暴力は日常的に起きているではないか。それについて語ることをためらっていないだろうか。加害者が、弁の立つ、運動にとっての重要人物であるからといったことを言い訳にしてスルーしてないか? そんな運動に耐えられなくて運動から去って行く人たちのことを、「いなかった人」扱いしていないか? 菅野は、徹底的に糾弾しよう。でも、同時に、自分たちの加害や被害について、語り合える回路を模索するんじゃなきゃ、問題対応の役割固定について考えなきゃ、結局それも性暴力の政治利用であり、被害者への二次加害なんじゃない?