(元)登校拒否系

反学校、反教育、反資本主義、反歴史修正主義、その他もろもろ反対

【連載】暴行・セクハラ暴言事件@一橋大学ーー悪に対して中立であることは何を意味するか? 第1回 袴1号と袴2号、第一の暴力

11月1日、私たち大学解体連盟東京支部と協力者は一橋大学西本館にいた。二つの目的があった。シンポジウム「日本軍「慰安婦」問題とどう向き合うのか」(Yoいっしょん)に参加して学習すること。もう一つは、翌日の【第二次】石原慎太郎講演会@一橋祭反対声明ーー抗議行動のよびかけ【転載転送拡散歓迎】 - 催涙レシピを宣伝するビラまきを行うことであった。26番教室に到着したのは12:30ころだったろうか。その後、数時間にわたり、私たちは人権侵害を経験することになる。
以下に書くのはその顛末である。動画などの物的証拠はここでは示さないが、事実にあたる事項に関しては私たち自身の言動や例外的な匿名の情報源を除いて、必ずXは○○と言ったとか、YによればZはxxをしたという書き方をしてある。つまり、確認ないし反証に開かれていることに留意していただきたい。たとえば、以下に登場する袴一号の言動は、如水宝生会に問い合わせることができる。なお、この文章には暴力と性的侮蔑の表現、そしてさらに深い苦しみの場面が登場するので注意されたい。


26番教室受付で、私たちはビラまきの許可を求めた。会場内ではご遠慮願いたいということであったが、入り口付近でのビラまきは快く承諾してくれた。この場所を選んだのは、翌日の石原慎太郎講演会問題に関心をもってくれそうな人が集まると思ったからだ。
しばらくビラをまいていると、一橋祭運営委員がやってきて、ビラまきを禁止すると通告してきた。根拠を尋ねると、回答を拒否された。ただ「お願いします」の一点張りである。他に撒いている人もいますよと指摘すると、あれは全て祭に関連のあるもので、さらに政治的内容のものは一切認めていないという。大学に積極的意義があるとすれば、その一つは自由に政治的なビラまきができることである。この常識に反することを例外的に要請するのであれば、根拠が示されなければならない。ではあなたが立つことを禁止するので座ってくださいお願いしますと言うと、苦笑いされた。じゃあお互い様ですねということで、ビラまきを続けた。
シンポ教室入口は一つなので、複数の人員は必要ない。シンポスタッフは、別の教室付近でも分担してビラまきをすることを勧めてくれた。そこでAは、同じ西本館24番教室(一橋新聞と卒業アルバムにみる戦争と一橋生)付近でビラまきを始めた。しばらくするとその教室から出てきた人より移動を要請されたため、Aは25番教室(一橋宝生会・如水宝生会)付近に移動した。
すると、一橋宝生会・如水宝生会の袴姿の男が、排除を意図してか、Aの背中をドンと小突き、Aは体が前に出た。これに対して、Aは「私の体に触らないでください」と言った。するとそばにいた別の男が、「誰がお前の汚い体なんて触るか」と声を荒げた。「日本語がわからないのか」という暴言も聞こえてきた。男たちは最後まで名乗らなかったので、さしあたり、登場順にそれぞれ袴一号、袴二号と呼ぶことにしよう。後になって、私は肖像権があることを承知していると告げた上で、公益性と犯罪性を重視してこの男たちを撮影した。


袴一号(後ろの男性は公務中の大学職員)


袴二号

ここまでが長く苦しい一日の第一幕である。これが第一の暴力だった。この暴行やセクハラ暴言について価値判断するために、これ以上のいかなる説明も飾り言葉も必要あるまい。
というわけで、話を先に進める。
Aは一橋祭運営委員の岡本まゆ香(おかもと・まゆか)に事情を説明し、対処を要請した。時刻は間もなく13時になろうとしていた。このとき、「慰安婦」問題シンポ教室付近にいた私は、Aの様子を見に「一橋宝生会・如水宝生会」教室付近に移動してAと合流した。その時点で私は事の次第を把握した。塩川雄基(しおかわ・ゆうき)運営委員も加わった。Aは同じことを塩川に話した。


A:対処お願いします。
塩川:あ、はい、じゃあ注意しておきますー。
A:注意じゃないです。
私(常野雄次郎(つねの・ゆうじろう)):注意ってことじゃなくて、犯罪ですよ。
塩川:あでも我々もあなた方に注意した・・・。
私:関係ないでしょ!
A:私は、手は出してませんし。
塩川:今ビラを配られていて。
私:たとえば犯罪者に対してだったら何をやってもいいってことですか? そうじゃないでしょ。
塩川:どういうことですか?
私:私たちが、あなたたちのルールに従わなかったからといって、私たちが[袴たちから]被害を受けてもいいっていうふうにはならないの。あなたが言ってることめちゃくちゃですよ。
塩川:いやでも、まあ、我々もだからそれを厳重注意しておくという・・・。
A:厳重注意ってどういうことですか? [キャンパス]構外でしたら、私が警察に届けたら、警察が出てくることですよ。犯罪なんですよ。
私:とりあえず捕まえてくださいよ。だから、私たちは暴力をふるえないので。
塩川:わかりました。いや、じゃあちょっとすみません、ここに・・・。
私:特定しましょう。その男性。
塩川:いやここで、ビラ配布をされていたというのを伺ってきたんですけども。
A:ええ。
私:ちょっとその問題もういいので。
塩川:いやもうよくないです。
A:いや私、どうしたらいいんですか? こんな暴力振るわれたままで。


Aは悲痛な声をあげた。
このままではどうしようもない。犯人も逃げてしまうかもしれない。
そこで私たちは、自ら宝生会の教室を覗き込んで、加害者を特定することにした。ところが、中にはたくさんの袴男がいて、Aには見分けがつかなかった。


連載第1回は、ここまでにするとしよう。この文章は、私が文案を作成し、話し合いによる修正を加えて公開するものである。私の怠惰や、現在入院中であるといった事情によりこれから先も時間がかかるかもしれない。
第2回に向けて、一つの問いを立てておこう。
もし、あなたが電車内で痴漢被害を訴える人をみかけたとする。実際に可能かどうかはともかく、そのときすべきことはなんだろうか? あるいは、あなたが駅員だとする。ある人が、この人から痴漢されましたと言って男をつきだす。男はその事実を認める。あなたはどうするだろうか? あなたの同僚はどうするだろうか? 上司は?
そして、もしあなたが「痴漢はいいことだと思いますか? 悪いことだと思いますか? それともどちらでもないと思いますか?」と問われたとする。なんと答えるだろうか?
さらに、今度は自分が被害者だったらと仮定してみよう。誰も何もしてくれない。放置される。ニヤニヤしながら傍観される。そしてこう言われる。「いいとも悪いとも思いません。中立です」。どの駅員からも。どんな、どんな、ねえ、どんな気持ちになる?


この連載は、あくまでも事実を報告することを目的とする。ただし、ところどころ上のような想像が必要となる。事実の意味を理解するために。


=======
大学解体連盟東京支部は、この連載の終了をもって解散する。もしこの事件についてなんらかの対処をすることになった場合は、新団体を立ち上げる。それまでの連絡先は、以下の通りである。


連盟メールアドレス:iaudtokyo@gmail.com


「もし」と書いたが、対処できるのか、どう対処するのか、できないのかということは、ひょっとしたらこの連載にどんなリアクションがあるのかないのか、読者からどんな人が現れるかにかかっているのかもしれない。現在のところ、私たちは孤立し、傷つき、疲れていて、どうしたものか途方にくれている。

p.s.
さまざまな形でこの連載を拡散してください。よろしくお願いします。

【第二次】石原慎太郎講演会@一橋祭反対声明ーー抗議行動のよびかけ【転載転送拡散歓迎】

すべてのものたちよ。


抗議活動への参集を呼びかける。


私たちは石原慎太郎講演会の中止を要求する「石原慎太郎講演会@一橋祭反対第一次声明(賛同署名募集/転送・転載歓迎) - 催涙レシピ」を公表し、一橋大学一橋祭運営員会に送付した。その後、同委員会に電話で問い合わせ、話し合いを求めた。しかし、坂井駿太(さかい・しゅんた)委員長は、中止することはないので話し合いには応じない。石原の差別発言は承知しているが賛成も反対もしない。中立である。と表明した。さらに彼は、反石原の者は講演会場に入れない。阻止行動を公にしている大学解体連盟東京支部通信係である常野雄次郎(つねの・ゆうじろう)は上記声明を発表していることを理由としてキャンパスへの入場も認めない、と言明した。また、大学当局と連携しているかどうか、警察に相談しているかとの質問については回答を拒否した。すべては一橋生にも非公開の「マニュアル」に基づいているという。
後日、彼はややトーンダウンし、反石原というだけでは講演会参加を認めないわけではなく、妨害者を拒むだけであること、常野を含む抗議者のキャンパス入構についても、上記声明だけでは拒む材料とならない。現場担当者が判断する。これも同一の「マニュアル」に基づく措置であるという。
さあどうしよう? よし、抗議しよう。キャンパス内で、しかも石原講演の行われる兼松講堂前で抗議しよう。
何に抗議するのか? 私たちは第一次声明で石原の悪事を列挙したが、石原は突然出現した悪魔ではない。社会が生みだした代表者である。もう、いやだ。まだ、こんなものがまかりとおっているのか。もう、こんなものに公的活動を許してはならない。少なくとも、なんの抵抗もなくやりたいままにはさせない。
というわけで、詳細だ。

時間:11月2日11:00集合
場所:一橋大学国立西キャンパス兼松講堂前
やること:講演中止要求、演説、歌、踊り、音楽再生、ドラム、漫才、演劇、絵をかくなどによる怒りの抗議表現(道具は各自持参)、ツイキャスによる中継(おそらく音声のみ)

  • リスクについて

運営委員長は大学当局や警察との連携があるかどうかについての回答を拒否した。ないならないと言えるのではないかとせまったが答えは変わらなかった。これは、警察ともすでに協力関係にある可能性があると解釈せざるをえない。また、一般に、どのような政治行動をどうやろうとも、弾圧されるリスクは常にある。今回の活動が突出しているわけではないが、あらかじめ承知されたい。
さらに、一橋大学学生については学内処分を受ける可能性を完全には否定できない。

  • 抗議方針

1. 大学解体連盟は暴力について是々非々の立場であるが、この行動においては完全非暴力をつらぬく。運営委員会の学生や警備員、警察官による挑発があってもこちら側は絶対に手を出さない。
2. 警察が介入してきたら、まずは毅然と抗議する。しかし長引くようであれば撤退し、別の場所に移る。その際、一人の参加者も取り残さないよう注意する。

  • 救援対策(逮捕被害者が出た場合)

1. 逮捕被害者は、救援連絡センターの電話番号を暗記し、逮捕後直ちに同センターの弁護士派遣要請電話をかけるよう警察に要求する。弁護士が到着するまでは取り調べを拒否するか、完全に黙秘する。以後黙秘を継続するかは弁護士と相談しながら決める。
2. 他の参加者は、やはり救援連絡センターに電話して事情を説明し、弁護士派遣を依頼する。その後も原則として各自の余裕のある範囲で役割分担しながら救援活動に協力する。
3.上記抗議方針を守りきれなかったものも当然救援対象とする。

救援連絡センター
TEL03(3591)1301「さあ獄入り意味多い」と覚えましょう。


石原の公的活動を容認する社会がある。講演会阻止は難しい。だが、私たちはほんの少し、ささやかではあっても、その社会にも異論をもつものがいるのだと表現しようではないか。


参集をまつ。


なお、雨具持参を推奨する。


p.s.
下記メールアドレスにご連絡いただければ常野の電話番号をお知らせします。
また、常野個人twitterにて随時情報を更新します。


2015年11月1日
大学解体連盟東京支部

                                                    • -


この第二次声明には賛同を募集しません。
石原慎太郎講演会@一橋祭反対第一次声明(賛同署名募集/転送・転載歓迎) - 催涙レシピへの賛同は引き続き募集中です。ぜひ!
賛同署名ーー「石原慎太郎講演会@一橋祭反対第一次声明」 - 催涙レシピ


連盟メールアドレス:iaudtokyo@gmail.com
通信係常野個人twitter@yujirotsu
常野個人ブログ:http://d.hatena.ne.jp/toled/


上記方針はこの呼びかけとは別に抗議活動をされる方を拘束するものではありません。多様なグループ・個人による多様な抗議が行われることを望みます。別の行動をされている方が弾圧された場合も、常野個人は要請があれば救援に協力します。ただし、超微力であることをご承知おきください。

賛同署名ーー「石原慎太郎講演会@一橋祭反対第一次声明」

石原慎太郎講演会@一橋祭反対第一次声明」(http://d.hatena.ne.jp/toled/20151022/p1)への賛同署名です。引き続き募集しておりますので、上記リンク先の要領でメールをお願いします。


以下11月3日18:00現在

  • いつき
  • 匿名希望 

石原慎太郎の数々の人権侵害、排外主義に満ちた発言は許しがたい。一橋大学の学園祭にふさわしくない。講演会を断固反対します。

  • 反・石原とあらゆる「石原的」なもの。

「石原が公的な活動をするならば、それがどこであっても反対する。」ってのが気に入りました。賛同します。


石原は恥を知れ。そして我々も恥を知ろう。

  • ベランダハム

石原慎太郎の数々の言動、とくに日本人である私は許してはいけないと思います。あらためて気づかされました。ありがとうございます。


以下11月1日23:30現在

石原慎太郎が一橋祭にやってくる


何の参考にするか知らないが石原のお話をみんなで聞く…と言う受け身の認識ではいけない
石原慎太郎がみんなに話すのだ
今まで明らかに自覚的に数々の差別を吐き出しそして反省してこなかったあの口で


一番低いレベルから考えよう
一橋大学には「三国人」…アジア出身のの学生・留学生や聴講生や職員もいるのではないか
「ババア」…お年よりの学生や聴講生や職員もいるのではないか
公害に巻き込まれた人々も同性愛者も体罰を受けた記憶のある人も居るのではないか
大学とは一言で言っても色々な人が集まる場所だ
多様性と交流と自由が一応は基礎になる場所だ
そう言う場所にそれら一切を否定した人間・自分の差別の自由だけは特別視した人間が来て講演するのだ
そしてそれに対し学園祭当局は「中立」だと言うのだ
バカな事を言うな


人数の問題でも無い
仮に数人しか話を聞かないとしても
大学がそう言う横暴さを許す場所でいいのか
かつては東京都や議会、そして多くの「国民」がその横暴さを許してきた、としてもだ


そう
石原の横暴さは「惰性」の要素もある
石原の横暴さは石原個人だけではなくかつては都知事や議員と言う立場を通し
またその選出過程を通しそれを許してきた人々の意識の上にも成り立っている
俺の言葉で一言で表すなら「ふつーの日本人」達の意識の上に…


石原を許すな
自覚ある・「誇り高い」・「みんなの」差別主義者を許すな
そして我々自身をも許すな


この機会を通じて考えよう
そして抵抗しよう


(以上)

  • ほくしゅ

 大前提として述べておくが、大学という場所には学問の自由とともに政治活動の自由がある。従って、大学にひとりの右翼がやってきて言いたいことを言うのは自由であるし、また一橋祭運営委員会なる団体がどうしようもない右翼偏向イデオロギーの持ち主の集まりであったとしても、特段一般の学生についてはそれに拘束されるということもないので、それ自体については口やかましく申し述べることもあるまい。
 しかし、石原慎太郎後援会となると話は別である。石原慎太郎のような人物については、この原則の例外が適用されるべきである。すなわち、石原慎太郎は既に声明においても指摘があるとおり、民族差別・性差別・障害者差別など様々な差別の実績があり、しかもそれに対して反省するところがない。
 言うまでもなく、差別の撤廃はあらゆる学問の自由や政治的自由を基礎づけるものであり、従ってあらゆる価値規範の上位に位置づけられねばならぬ規範である。石原のような差別主義者を講演会に招くことは、この大前提を揺るがすものである。従って一橋祭運営委員会なる団体に、学問の自由や政治活動の自由を多少なりとも大切に思う心があれば、当然ながらこのような講演を企画したことは過ちと認め、その開催を中止するのは理の必然といえよう。
 最後になるが、石原慎太郎に自身の差別主義イデオロギーを自由に述べる機会を与えておいて、その反対者がそれに対して異議申し立てをする機会を封殺するなどという二重基準を適用するなんてことは、一橋祭運営委員会の賢明な学生諸君であれば、まさか行うはずがなかろう。なぜなら、それは自由の否定であるばかりか、2015年の一橋祭運営委員会は差別主義イデオロギーを擁護したという不名誉な実績を残すことになるし、かの賢明な学生諸君であればそれを予想できないはずがないからである。

  • ゆたぽん

石原慎太郎を容認し、野放しにしてしまったのは日本人である私(たち)の責任であると感じます。これ以上、石原慎太郎のような差別主義者を野放しにしてはいけない、私たちの手で、止めなければならない。


以下11月1日9:15現在

  • クーコ(@kuko_stratos)

石原慎太郎講演会@一橋祭反対第一次声明に賛同します。


声明文にあるとおり、石原慎太郎はこれまで数々の悪事を行ってきてる。それらはその都度批判されたり、あまり批判されなかったりしてきているんだけど、なのにその批判に向き合うことは全くなく、またさらに次の悪事を行っている。その繰り返し。これはもう、今後どうにかなるとか期待できるものでもないでしょう。まさに悪いことをするためにそこにいるようなものです。石原に聴衆の前でその主張をさせることは、絶対にゆるしてはなりません。それは新たな加害を生むことです。かれがいまの立場にいることをゆるしつづけてきた者はすべて、かれにこれ以上の加害をさせないために、立ち上がらなければなりません。


以下10月31日17:45現在

 石原慎太郎の悪事をあげていくとキリがない。数えきれないほどの石原の悪事の一例をここであげたい。
 石原都政のもと、東京都は2003年、法務省入国管理局、東京入国管理局、警視庁との四者で「首都東京における不法滞在外国人対策の強化に関する共同宣言」というものを出している。


http://www.yshimada.com/kyodo.htm


 一読してあきらかなとおり、これは「不法滞在者」を「凶悪犯罪」「外国人組織犯罪」とむすびつけ、かれらを治安対策上の「問題」として指さす、差別煽動文書である。
 この石原らによる差別煽動は、非正規滞在外国人に対する国の摘発強化方針と連動したものであった。2003年12月に政府の犯罪対策閣僚会議は「犯罪に強い社会の実現のための行動計画」を発表し、このなかで「犯罪の温床となる不法滞在者を、今後5年間で半減させ」るという目標を打ち出している。


http://www.kantei.go.jp/jp/singi/hanzai/kettei/031218keikaku.html


 以後、入管および警察は「外国人狩り」とも言うべき苛烈な摘発にのりだした。日本政府・日本社会は、非正規滞在者たちを、立場の弱く不安定な「不法滞在」状態に置くことで、これを安価な労働力として利用してきた。そうして利用してきた者たちを、日本政府・日本社会の勝手な都合で、こんどは追放・一掃することにしたのである。
 石原らによる差別扇動プロパガンダは、こうした国による差別的・排外主義的暴力の遂行の、いわば露払いの役割を果たしてきたのである。少数者を「国民」の「安心」をおびやかす脅威として描き出し、かれらへの偏見をあおることで、「国民」の「安全」を「守る」ためと称する少数者への暴力を正当化しようとしてきたのである。
 石原慎太郎の数々の暴言は、国・政府機関、あるいは地方自治体が遂行してきた人権侵害、差別主義的・暴力的政策とつねに連動しておこなわれてきたのであって、そのなかで殺された者たち、強制移住を強いられた者たち、暴力を受け、排除され、また脅威にさらされてきた者たちの存在を忘れるべきではない。
 ところが、一橋祭運営委員会はこの石原を「講師」として「お招きして」、「この国の将来を担う一橋生にメッセージをいただ」くのだという。


http://ikkyosai.com/event/committee/special_lecture_ishihara/


 恥知らずぶりにあきれかえるほかない。石原のような人物のをありがたがってまねくような者たちの言う「この国の将来を担う」とはいったいどういう意味なのか。差別煽動と少数者への攻撃によって統治するのが、あなたたちの担う「この国の将来」のありかたなのか。
 石原がおこなってきた少数者への攻撃は、加害行為と言うべきものであって、これらについてのいっさいの謝罪・自己批判がなされていない経緯をかんがみるに、かれに発言の場を与えることは、その加害行為に積極的に加担することである。一橋祭運営委員会に対し、石原慎太郎講演会の中止をもとめる。

  • 石ころのうた
  • K.S (PN)

全面的に賛同します。石原慎太郎の悪の数々を糾弾するでもなく、さらに発言の機会を与えることは悪への加担に他ならないでしょう。

以下10月30日23:00現在

  • プロきゃびっと(r_i_m_y_o_n_g)

石原慎太郎の悪行の数々、旧宗主国民根性丸出しの民族差別はもちろんのこと、女性差別、引きこもり差別、ニート差別、障害者差別、性的少数者差別などなど…挙げると枚挙に暇がない。
それらについて政治的責任をとっての辞任に追い込まれたり、リコールが起きたり、次の選挙で落選などということはついになかった。そう。なかった。
石原慎太郎が選挙においてほぼ負け知らずで勝ち続け、東京都知事としては四度に渡って就任し威勢をふるえたのは、差別主義者であるにもかかわらず、ではなく、むしろそんな石原慎太郎だからこそなのだろうと思う。
石原慎太郎に票を投じてきた数百万のひとびとにとっても、自身やその身近にいる大切な存在である誰かが、産めなくなった/産まなかった「ババア」であっり、引きこもりであったり、ニートであったり、「三国人」であったり、障害者であったり、性的少数者であったはずだろうと想像する。
そんな石原慎太郎がまかりとおってきたし、まかりとおっている。そのことが象徴する闇は深く暗い。そんな今ここからであろうとも、ひととひとには別の出逢い方、関係の築き方が可能であることを示していかなければならないし、そんな暗いところからの祈りをこめて今回の抗議行動に賛同を寄せようと思う。

石原慎太郎のような、思想的にも現実に行った政策的にも最悪の人間を糾弾目的でもなく呼ぶことによって、一橋祭運営委員会は、石原と最悪の取引をしようとしている。それはこれまでこの最悪の人間によって踏みつけられてきた人たちをいま一度石原と一緒になって踏みつける行為だ。一橋祭運営委員会はそのような行為をやめろ。


以下10月30日21:30現在

  • 谷 扶三代
  • 高石 昭

差別発言繰り返す石原慎太郎の講演は絶対許せません。

石原慎太郎安倍晋三と同様に、所詮は原因ではなく結果でしかないかもしれません。しかし、日本におけるレイシズム、ショーヴィニズム、マチズモの象徴たる石原への憤りは、無力な自分もせめて共有したく思います。署名させていただきます。


以下10月28日13:00現在

  • さるとら

「フォーバス知事の寓話」( レイシストアーカンソー州知事フォーバスを批判したミンガスの曲) の替え歌、「イシハラ都知事の寓話」を昔作った。
https://app.box.com/shared/dsg5nfia5f
しかし、今思えばこの替え歌の歌詞は良くなかった。石原は「あほ」なのではなく「悪い」。歌詞を変えて作り直したい。

  • K.T

遅くなってすみません、賛同よろしくお願いします。


以下10月25日16:30現在

石原ひっこめ!
賛同します(^o^)/

  • てんこじまたけお
  • 滝川久佳(PN)

石原慎太郎に公的な活動をさせない。本気で賛同します。

  • 梅谷直樹
  • 嶋田頼一
  • 三井貴也 会社員
  • 抗日山岳連盟活火山本部

マグマだまり

  • ぽんきん

石原慎太郎を呼ぶな

石原慎太郎一橋大学講演会に反対し、大学解体連盟東京支部の実現阻止活動に賛同いたします。

  • chy
  • 赤うなぎ
  • samo

ヒロヒトのような下劣男・慎太郎が政治家になれる日本国を許さない!東京五輪粉砕!

  • 大家 智子

この度常野雄次郎様のブログ「催涙レシピ」内の、「石原慎太郎講演会@一橋祭反対第
一次声明(賛同署名募集/転送・転載歓迎)」のエントリを拝見しました。
そして、趣旨に賛同いたします。

私も、石原氏が一橋祭で、講演の場に立つというのは、大変ゆゆしき事であると思いま
す。

Twitterでyet_another様という方が「言いたいこと言わせた後で、質疑なりフリートー
クで担ぎ上げるなり血祭りにあげるなりするべき」とおっしゃっていたのですが、
僭越で恐縮ですが、講演の後、聴衆の方が矛盾点やおかしいところ、疑問点を厳しく追
及していくというのはいかがでしょうか?

乱文失礼いたしました。

  • 辻 淳子

本気で 賛同します

私が一橋大学に在学していた頃、
大学OB会(如水会)の主催で石原氏の学内講演会が行われ、
私たちはこれを阻止することができませんでした。
そして今度は学生主体で石原氏を招聘すると聞き及び、ひでーもんだ、と思っています。

一橋祭運営委員会は、
悪質な差別主義者である石原氏の講演会開催を中止するべきです。

  • 南野 泳子

熱烈に賛同します

教育機関に対する国家権力の介入。石原氏はその中心的存在とも言える人物です。
また氏による数々の暴言。極めて悪質な人権侵害であり断じて許してはなりません。
一橋祭の石原の講演会に反対します。

  • anti-school system

石原というウルトラ差別主義者、兼戸塚ヨットスクール後援者にポディウムを与えようとしている一橋大のプロパガンディストたちは、今からでも遅くないから、この愚行を撤回し、猛省して欲しい。ただ演説するだけという言い訳が通るなら、ゲッベルスだってただ演説してただけではないか。差別主義者が言論の自由をフルに行使したらどうなるかぐらい、歴史に無知でも感覚でわかるはずだ。。私個人は学歴ヒエラルキーに生理的な嫌悪を覚える人間なので、一橋大学のブランドが極右を呼ぶことで汚される云々ということなどは、正直どうでも良い。むしろ学歴差別構造の頂点にいる一橋が石原のような差別主義者を生み出すというのは、自然であるとさえ思う。しかし、これに反対しないというのは、この差別主義者/構造を黙認することと同じであるから、私は声明に賛同し、講演の中止を求める。

  • 晴れ子

賛同します。

  • 萩谷 良

三国人発言によって罪もない外国人を差別排斥する運動の先頭に立ち
わざわざ駄ボス会議まで行って中国を中傷し
ワシントンで尖閣列島購入を公言して極東の隣国との関係を故意に悪化させ、
東日本大震災では、震災と津波を天罰と言い、
生殖機能を失ったババアは地球の害悪と言い、
知的障害者施設を視察しては、ああいう人達に人格はあるのかね、などと言い、
戸塚ヨットスクールを支持した男です。


【第二次】石原慎太郎講演会@一橋祭反対声明ーー抗議行動のよびかけ【転載転送拡散歓迎】 - 催涙レシピ

一橋祭運営委員会のみなさまへーー石原慎太郎講演会につきまして

一橋祭運営委員会に、大学解体連盟東京支部より以下のようなメールを送信しました。

                                                          • -

一橋大学一橋祭運営委員会のみなさまへ


ひごろよりお世話になっております。
大学解体連盟東京支部常野雄次郎(つねの・ゆうじろう)ともうします。


このたび、当連盟では以下のような声明を発表いたしました。
石原慎太郎講演会@一橋祭反対第一次声明」
http://d.hatena.ne.jp/toled/20151022/p1


一橋祭でご企画の石原慎太郎講演会の中止を要求するものです。


ついては、同声明の趣旨などについて、当連盟より貴運営員会に申し入れにうかがいたく存じます。その際、この件について話し合いができれば幸いです。


みなさまが講演会を予定されているのに対して、私どもは中止を求めておりますので、なかなか溝を埋めるのは難しいかもしれませんが、なにか得るものがあるのではないかと考えるしだいです。


よろしければ、ご都合の良い日程・時間帯をお知らせください。


ご返信お待ちしております。


大学解体連盟東京支部
常野雄次郎

石原慎太郎講演会@一橋祭反対第一次声明(賛同署名募集/転送・転載歓迎)

すべてのものたちよ。


11月2日11時半、一橋大学兼松講堂にて、石原慎太郎(いしはら・しんたろう)の講演が予定されている。私たちはこれに断固反対し、その実現阻止を目指す。
石原慎太郎の悪行の履歴をここであげるとすれば、膨大なものになってしまうだろう。ランダムにいくつかの事例を思い出すにとどめておこう。

「東京の犯罪は凶悪化しており、全部三国人、つまり不法入国して居座っている外国人じゃないか」と「三国人」発言を繰り返した。また、関東大震災の時に在日朝鮮人が虐殺されたことに触れ、「今度は逆に不法に入国している外国人が必ず騒じょう事件を起こす」と付け加え[た]。*1

【10月24日追記:石原はその後のシンポで「特に中国人」を名指しした。】「(第)三国人」とはそもそも、敗戦直後の日本政府が、戦勝国である連合国人及び日本人と区別して朝鮮人、台湾人(後に訂正)、時には中国人*2を指して用いた蔑称である。そこには、後者の侵略戦争と植民地支配への抵抗を否認し、負けてなお見下す差別意識があった。日本はGHQと結託して「第三国人」の生活破壊と弾圧を行った。在特会の新奇性に注意を奪われてはならない。日本は建国以来、そして敗戦をへてもなお国をあげて排外主義を実践しているのだ。
石原は、この言葉にさらに「不法入国」の外国人の意味を含ませている。「不法入国」だって? 冗談じゃない。人間が生きることそれ自体が不法なものか? いや、もっと言おう。不法だとしたらなんだというのだ? 差別されずに十全に生きる権利はだれにだってある。石原は、関東大震災時の朝鮮人・中国人・ろう者・地方出身者の大虐殺にさきだって卑劣な流言をはなった官憲の伝統を引き継ぎ、都知事(当時)としてデマを流して悪びれることもない。
この一事をもってしても、石原は公職から引きずり降ろされるべきだった。しかし私たちはそれを怠ったか、とうてい力およばなかった。

「情緒障害児」に恐怖を与え、「脳幹」を鍛えることによって矯正すると公然と宣伝する戸塚ヨットスクール。その校長が戸塚宏(とつか・ひろし)である。同スクールは10数名を超える者を虐殺した。最近も死者が定期的にでている。石原はその有力な後援者であり、「戸塚さんが話していること、取り組んでいることはすべて正しい」と豪語する。*3
スクールは営業を続けている。死者たちの追悼碑はない。一方で、死者を冒涜する者が責任を問われることなく1000人規模の聴衆の前で放談するという。これは二次加害だ。

  • もう十分だ、もうたくさんだ

ああ、すべての者たちよ。
私たちはもう怒り狂ってきた。もう冷静に語り続けることができない。
自衛隊を街頭に展開させたこと。
東京オリンピック発案。
「ババア」発言。
水俣病患者侮辱事件。
同性愛差別。
野宿者排除。


まだ、まだ、まだ、ある。


一つでも十分すぎるのに、あげきれない悪事の数々。


こんな者が、公の場で講演するという。
まかりとおるのか?
これがまかりとおるということは、彼は政治家の模範の一つでありうるということになる。そして彼のやってきたことはこれからもまかりとおっていくだろう。


私たちは、一橋大学になんの愛着も思い入れもない。大学のブランドを守るために反対するのではない。
石原が公的な活動をするならば、それがどこであっても反対する。


一橋祭運営委員会(坂井駿太委員長)よ、このイベントを中止し、反省文を公表せよ。


さもなくば、私たちは第二次声明を出すことになるだろう。中止勧告から、必要なあらゆる手段による阻止非暴力直接行動への呼びかけが内容となる。


2015年10月22日
大学解体連盟東京支部

                                                                              • -


ネタではありません。本気です。
ぜひ、本気で賛同署名をお願いします。

上記第一次声明に賛同いただける方は、大学解体連盟東京支部のアドレス
iaudtokyo@gmail.com
まで、下記の情報をお送りください。


件名:第一次声明賛同
お名前/団体名:(匿名・ペンネーム歓迎)
メッセージ:(あれば)


賛同していただける場合、このブログ(http://d.hatena.ne.jp/toled/)にお名前を掲載いたします。本名の場合、検索機能により、知られたくない人に知られるリスクがありますのでご注意ください。特にまだネットになれていない方は、ペンネームをお勧めします。もちろん、考慮の上での本名による賛同も歓迎します。


ぜひ、この声明をSNSや口コミで拡散してください。


よろしくお願いします。


賛同署名ーー「石原慎太郎講演会@一橋祭反対第一次声明」 - 催涙レシピ
石原慎太郎講演会@一橋祭反対第一次声明(賛同署名募集/転送・転載歓迎) - 催涙レシピ
【第二次】石原慎太郎講演会@一橋祭反対声明ーー抗議行動のよびかけ【転載転送拡散歓迎】 - 催涙レシピ


大学解体連盟東京支部通信係
常野雄次郎(つねの・ゆうじろう)
38歳無職
twitter個人アカウント: @yujirotsu
http://d.hatena.ne.jp/toled/

*1:http://www.geocities.co.jp/HeartLand/1068/b/sangoku.html

*2:訂正と補足:当初の投稿では中国人も限定なく列挙していましたが、中華民国は連合国に含まれるため、大陸の中国人には使われていませんでした。後に台湾も中華民国であるとの指摘があり、台湾人に対しては用いられなくなりました。ただし、実際には大陸中国人も含んで使われることもありました。指摘してくれた友人に感謝します。

*3:http://medical-confidential.com/confidential/2009/10/post-25.html

「日本の歴史家を支持する声明」批判

先日、英語圏を中心とする日本研究者たちによって"Open Letter in Support of Historians in Japan - Japanese language version | H-Asia | H-Net"(「日本の歴史家を支持する声明」)が発表された。これについて私は"The “Open Letter in Support of Historians in Japan”: A Critique A japanese translation is available. | The Asia-Pacific Journal: Japan Focus"という批判を書いた。以下はその日本語訳である。


あ、訳のあとにオマケもつけたよー。


ではどうぞ。


あ、「声明」からの直接引用はつねちゃん訳ね。


                                                        • -

「日本の歴史家を支持する声明」批判


2015年5月31日


常野雄次郎(つねの・ゆうじろう)


要約:
先日、日本研究者たちが「日本の歴史家を支持する声明」を発表した。これは日本における「慰安婦」問題をとりまく修正主義的な風潮に対抗するものである。著者は歴史修正主義への批判がなされるべきであることに同意するが、声明のいくつかの点に異議を唱える。第一に、声明は事実として間違っている「成果」を列挙することによって、1945年以後の日本の歴史を歪曲している。第二に、声明の日本と他の国におけるナショナリズムの扱いかたには問題がある。声明は多様な見解をもつ人々による妥協の産物のようであるが、著者は譲られてはならないものが譲られていると主張する。


「日本の歴史家を支持する声明」署名者のみなさまへ


日本では歴史修正主義者が強固に存在しており、アジア太平洋地域における日本の侵略戦争と植民地支配の時期に実行された残虐行為という確認された事実を否定しています。日本にいる私たちにとってそのような勢力とたたかうことは重要なことですが、国際的な圧力は有用なものとなりえます。しかし、みなさんが先日発表された「日本の歴史家を支持する声明」*1は残念なものでした。みなさんは事実を歪曲して日本の敗戦後史を美化しています。また、私はみなさんの韓国*2・中国への批判のしかたには異論があります。


まずはじめに、みなさんの声明の第二段落を引用することにしましょう。

この重要な記念すべき年に、日本と近隣諸国とのあいだの70年にわたる平和を祝うためにもこの書簡を書いています。戦後日本の、民主主義と軍隊の文民統制、節度ある警察、政治的寛容の歴史も、科学への貢献と他国への寛大な援助とともに、祝福すべきものです。

なにかについて一部の人にとっては痛烈に感じられることをを述べる際に、まずそれについてなにかポジティブなことを表明しておくのは、ひょっとするとすてきなことかもしれません。問題は、上で述べられていることの大半は、端的に間違っているということです。1945年以降、日本は平和な国ではありませんでした。日本は、アメリカの占領下、そしてのちには同盟関係のもと、迅速に軍隊を再建しました。安倍晋三(あべ・しんぞう)首相ですら、朝鮮戦争ベトナム戦争、そして冷戦とその後を通して日本がアメリカを支援してきた役割を否定しません。それが戦闘行為に参加するというかたちをとらなかったにしても、日本の経済的、技術的、外交的、財政的な支援は相当なものであり、重要なものでした。沖縄は数十年にわたってアメリカの占領下にありましたし、アジア太平洋戦争敗戦後70年たった今日も、米軍基地は沖縄に偏って集中しつづけています。日本には強力な陸海空の軍隊があり、アメリカとの同盟のもと、近隣諸国への脅威となっています。日本は朝鮮民主主義人民共和国に対して極度に敵対的であり、経済制裁を実施し、同国にゆかりのある在日朝鮮人コミュニティを差別しています。日本の民主主義が賞賛に値するものであったら、憲法を遵守していたはずであり、そもそもいかなる軍隊もなかったことになりますから、文民統制が話題になることもないでしょう。このような軍国主義的な政策に反対する社会運動への弾圧の歴史の視点からすれば、警察を節度あるものとして描くことは困難です。さらに日本は、アジア諸国への「援助」を、過去の戦争と植民地支配に対する賠償責任を回避し、自身の経済的野心を実現する手段として用いました。


このような事実を正しく理解することは、今日の日本に蔓延する歴史修正主義の文脈を理解するために重要です。ピーター・エニスとのインタビューのなかで、声明の共同コーディネーターであるジョーダン・サンドとアレクシス・ダデンは両者とも、特に言論の許容範囲の狭まりを指摘して、ここ数年のあいだに重大な変化があったことを示唆しています。*3しかし、安倍とその同調者はなんらかの逸脱的現象ではありません。むしろ、彼らが支配的な位置にあることは日本の敗戦後史の産物です。軍事的な敗北と帝国の解体、アメリカによる占領にもかかわらず、1945年はこの国の性質において決定的な断絶となるにはほど遠いものでした。裕仁(ひろひと)は一度も裁かれることがなかっただけではなく、権力が抑制されたにせよ、数十年後の死まで皇位にありつづけました。裕仁の息子である明仁(あきひと)が現在の天皇です。日本の人民と政府が東京裁判以後だれも裁判にかけなかったどころか、占領下に投獄されていた指導的な軍国主義者たちを釈放したことは、特に注目に値します。アメリカ議会での演説の中で、安倍は祖父である岸信介(きし・のぶすけ)に肯定的に言及しました。*4満州国体制の主要な政策立案者で、のちに東条(とうじょう)内閣の大臣をつとめ、拘置所を出て1950年代に首相となった人物です。1990年代に被害者の一部が声をあげはじめるまで日本政府が戦時性奴隷制についてまともに調査したことがなかったのは偶然ではありません。したがって、サンドのように近年「転換」があったと考えるのは間違っています。むしろ、1945年の機会がいかされなかったことによって、敗北にもかかわらず日本は大きな変革を経験することがなかったのです。今日の修正主義者は例外的な存在ではなく、過去70年間におきてきたこと、そしておきてこなかったことの自然な延長です。残虐行為という歴史的事実の否定や歪曲を抑止することが目的であるなら、日本の「戦後」をなにか祝福すべきものとして描いて日本人をいい気分にさせることは有用ではありません。アメリカとの協力関係のなかで、1945年以後の日本は敗戦前の時代に作られた多くの針路を歩み続けてきました。日本が過ちを十全に認めて償いをするためには根本的な変革が必要です。みなさんが歴史的な犯罪と非道を認める道徳的な能力をもった存在として日本人に敬意を抱かれているのであれば、「成果」を列挙して口当たりをよくすることなく、その修正主義を単刀直入に批判できるはずです。


さらに、声明にはいくつかのナショナリズム批判が含まれています。みなさんは、「韓国や中国におけるのと同様に日本においてもナショナリズム的な罵倒」*5が「慰安婦」問題を歪曲したと述べ、さらに以下のように述べられています。

かつて「慰安婦」であった人々の苦しみが被害者の国々でナショナリズムの目的に利用されていることは、国際的な解決をより困難なものにして、女性たち自身の尊厳をさらに傷つけています。

「彼女たちに起こったことを否定したり矮小化することは等しく許されない」という声明の主要な主張がこれに続きます。「等しく」という言葉を削除すればこの一文に心から同意しますが、この一節を何度も読み返したみても、みなさんは日本のナショナリズムと被害者の国々のナショナリズムを本質的に等価なものとして扱い、日本の歴史への姿勢を事実上相対化しているように私には思えます。


ナショナリズムは抑圧的な側面をもちうるものである一方、被害者の国々の人民や政府が少なくともある程度のナショナリズムに頼ることなくこの問題への認識を促すことは疑いなく難しいことでしょう。「慰安婦」制度は真空空間に存在したのではありません。「慰安婦」制度において日本人女性も被害者となった一方で、この制度はアジア太平洋地域の広い範囲を征服した帝国と軍隊の支配下において運営されていました。そしてナショナリズムは、歴史的にただ帝国主義的、植民地主義的な目的に利用されてきただけではなく、抵抗闘争に役立ってきもしてきたイデオロギーです。おそらく意図されているのはナショナリズム自体を退けることではなく、それが問題を歪曲することに注意を促すことなのでしょう。しかし、声明にはいかなる証拠も事例も示されていません。韓国と中国のどのグループないし個人によるどの特定の発言が「罵倒」と呼ばれうるのでしょうか。それがどのように問題を歪曲するのでしょうか。被害者の国々のだれが問題を利用して解決をより困難にしていて、それはどのようになされているのでしょうか。さきほど触れたインタビューのなかで、サンドは「慰安婦に関して中国と韓国、日本で観察されるナショナリズムを一筆で描くことはとても安直なことに見えるかもしれません」*6と実際に認めています。そうするとお尋ねしたくなるのは、なぜ声明では三カ国のナショナリズムを明確に区別することなく一筆で描いているのでしょうか。


声明を批判することで、おそらく私は釈迦に説法をしているのでしょう。当初187名の署名者がいました。この文章を書いている時点で数字は456に増えています。*7みなさんのうち、多くの方は過去70年の日本と近隣諸国の関係を平和なものとみなしたりはしないのではないかと想像します。また多くの方は、ご自身だけで書くとしたら、異なる国におけるナショナリズムをこのように単純すぎるかたちであつかったりはしないのではないでしょうか。早くも3月の時点から声明にかかわってきた署名者である小山(こやま)エミは、広範な支持をえるために妥協が必要であったと述べています。*8一部の研究者は日本の政治家や官僚、財界人とつながりがあり、「反日」であると見られたくない。小山によれば、声明はそのような人々の参加も得られるように書かれなければならなかったとのことです。サンドが述べているように、結果的に、

どこにおいても名前が同じページに印刷されたことがないような人々がこの声明に関わっています。一部の人々は、お互いと同じ部屋にいることもしたくないかもしれません。しかし私たちはみな声明を共有したのです。*9

このように、声明は妥協の産物でした。多様な立場のこんなにも多くの研究者の支持をえたという点で、その妥協はうまくいきました。


共通の敵や問題は、ほかの点では敵対関係にある人々が共に活動することを可能にしえます。ヨーロッパ極右の台頭に関してスラヴォイ・ジジェクは次のように言いました。

実際、明らかなのは、ポピュリスト右派が自由民主主義の現在のヘゲモニーを正当化することに果たしている構造的役割である。というのも、この右翼勢力――ブキャナン、ル・ペン、ハイダー――が提供しているのは、体制的な政治的スペクトラム全体の否定的な共通項であるからだ。彼らは排除された者たちで、まさにこの排除(彼が公職に就くことの「ありえなさ」)を通して、彼らの存在は公的なシステムが善きものであることの証拠となる。彼らの存在は政治的闘争ーーその真の目的は左翼からのいかなるラディカルなオルタナティブの息の根もとめることだーーの焦点を右傾化の危険を前にしての「民主的」勢力全体の「連帯」に置き換える。「新中道」は右派への恐怖を操作して「民主的」領域においてヘゲモニーを獲得しようとする。つまり、場を定義してその真の敵対者、つまりラディカル左翼を規制しようとする。ここに、「第三の道」の究極的な存在理由がある。それはすなわち、反資本主義と階級闘争のかすかな記憶さえもかき消してしまうような、最低限の撹乱的なトゲも抜かれてしまった社会民主主義である。*10

同じように、日本の修正主義者は「否定的な共通項」として機能して、そうでなければ「お互いと同じ部屋にいることもしたくないかもしれない」人々のあいだの差異を一時停止します。状況の緊急性(残された少数の「慰安婦」サバイバーにとって時間は少ないものであり、問題について報道したジャーナリストたちは暴力的な脅迫を受けています)を考えれば、妥協が必要であるということを理解します。現時点で456名の署名者はそれぞれ、声明のなかに好ましくないと思う部分があるかもしれませんが、団結することができました。私が主張したいのは、妥協することが間違っているということではありません。そうではなくて、どのような妥協が適切であるのか、妥協することによってなにを放棄することになるのかということを問いたいのです。サンドは、「「これだけのことまでならみな同意できる、これだけのことなら常識であると信じる」と確信した人々によって声明は発行されました」*11と述べています。私見では、声明には上で述べた理由により「常識」として通用すべきではないことが含まれています。


小山によれば、一部の署名者にとって、「反日」というレッテルを貼られることは将来の研究にとって有害となりうるとのことです。ダデンはインタビューで「反日」であることを否定しています。しかし、国家政策に深く批判的であるという意味での反日であることが、まさに必要とされていることです。もちろん、これは日本人を物理的に殲滅することをもとめるべきだということを意味しません。反ナチの人々がドイツ人に関してそれを要求しないのとちょうど同じです。それは単に、1868年に始動し、重要なかたちで新しい時代においても続いている日本と呼ばれる帝国主義的、植民地主義的なプロジェクトに反対すべきであるということを意味します。日本は1945年の敗北を乗り切り、今日も栄えており、歴史修正主義者に堅固な基盤を与えています。反日であるということは、そのプロジェクトにノーと言うことを意味します。そして繰り返させていただければ、日本人に道徳的な存在として敬意を抱くのであれば、彼(女)ら(私たち)に対してそう言えるはずです。


常野雄次郎

                                                        • -


オマケ1
声明にある敗戦後日本についてのデタラメな認識は、日本における集団的自衛権反対、秘密保護法反対といった運動にも見られるものとよく似ている。たとえば「戦争をさせない1000人委員会アピール」は次のように始まる。

いま、日本はいままでとまったくちがった国に姿をかえようとしています。わたしたちが願い、誓ってきた、人間と人間が殺し合う戦争はもう絶対にしない、国際的な紛争は粘り強く話し合いで解決する、という人類普遍の理想を、安倍政権は、なんの痛みも感じることなく捨て去ろうとしています。


東洋の海に浮かぶ島国は、かつて無謀な政府のもとで背伸びをして隣国を侵略し、さらに世界を相手にして戦い、他国で2000万人以上、自国で310万人とも言われる尊い人命を奪い、深く人間の尊厳を傷つけました。


わたしたちの軍隊が行った侵略戦争は、沖縄戦をはじめ東京、大阪など各都市への空爆ヒロシマナガサキへの原爆投下をもたらし、その傷跡は戦後69年たってなお、いまだ癒えていません。


焼け跡の中から生まれた「日本国憲法」は、このような過ちを二度と繰り返さない、という心からの誓いによる平和主義を基調としています。この69年間、日本は一度も戦火を交えることなく、武器によって殺しも殺されもせず、世界に平和を訴え続けてこられたのも、この平和憲法が世界で支持されてきたからでした。

こういった言説も歴史修正主義の一種ととらえるべきではないだろうか。「戦前」を悪魔化して切り離すことにより、そうではないものとしての自由で民主的で平和な「戦後」のイメージが形成される。それは変革されるべきものというよりは、たとえば安倍や在特会といった脅威から防衛されるべきものとなる。しかし問題は、日本は切れ目なく続いているということだ。


オマケ2
妥協について。今回の妥協によって左右のバランスがとれたのでも、一部の人しか同意できない主張がけずられたのでもなく、右翼的な立場に左翼ものみこまれたのではないだろうか。


また妥協の産物であることによって、声明は批判を難しくしている。ある署名者に対してたとえばAという点はおかしいとか、Bという点が欠落していると言ってみたところで、その人にとってそれは妥協点であったとすれば、批判はあらかじめおりこみずみということになってしまうからだ。


内容だけでなく妥協であるという点について文字数をそれなりに使ったのはそのためである。




オススメ記事リンク集だよー。


歴史修正主義批判


「永遠の嘘をついてくれ」――「美しい国」と「無法者」の華麗なデュエット


前編: http://d.hatena.ne.jp/toled/20070726/1185459828

後編: http://d.hatena.ne.jp/toled/20070727/p1


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*1: “Open Letter in Support of Historians in Japan,” H-Asia, May 5, 2015.

*2:訳注:「声明」ではKoreaとなっており、国名は明示されていないが、文脈から大韓民国を指しているものと思われる。

*3:Peter Ennis, Jordan Sand, and Alexis Dudden, “Anatomy of an Open Letter: How 187 Japan scholars came together to push Prime Minister Shinzo Abe on history issues,” Dispatch Japan, May 16, 2015, retrieved May 21, 2015.

*4:Abe Shinzo, “Toward an Alliance of Hope,” April 29, 2015, retrieved May 21, 2015.

*5:“Open Letter in Support of Historians in Japan,” ibid.

*6:Peter Ennis, Jordan Sand, and Alexis Dudden, ibid.

*7:Chang Jae-soon and Roh Hyo-dong, “Hundreds more scholars sign joint statement urging Japan to acknowledge sex slavery,” Yonhap News Agency, May 19, 2015.

*8:小山エミ, 「世界の日本研究者ら187名による「日本の歴史家を支持する声明」の背景と狙い」, Synodos, May 5, 2015, retrieved May 21, 2015.

*9:Peter Ennis, Jordan Sand, and Alexis Dudden, ibid.

*10:Slavoj Zizek, “Why We All Love to Hate Haider,” New Left Review, March-April 2000, retrieved May 21, 2015.

*11:Peter Eniss, Jordan Sand, and Alexis Dudden, ibid.

靖国日の丸バッテン家宅捜索、その後

昨年11月下旬に不起訴処分になってました。

救援会のブログに報告を含めた解散声明が出ています。

http://hinomaruxq.hateblo.jp/entry/2015/05/14/141435

お知らせが遅くなっちゃってごめんねー。