(元)登校拒否系

反学校、反教育、反資本主義、反歴史修正主義、その他もろもろ反対

「私はペーパーナイフではない」――サルトルとリベラルの違い



 

 サルトルとリベラルの違い


 番号を選ぶ自由によって

 宝くじを民主化しようとするのがリベラル

 機会の平等によって不平等を永続化しようとするのが

 リベラル


 買ってもない宝くじの当選金を受け取りに行くのがサルトル


 選んだことだと

 言われても

 選んだ次の瞬間に

 選んだことを選ぶかどうかを

 もう選ぼうとしてるのがサルトル


 未来の結果によって

 現在を

 あらかじめ裁くのが

 リベラル


 都合の悪い結果が出たら

 とりあえず

 ちゃぶ台を ひっくり返すのが

 サルトル


 過去の原因が今を規定するのだとしても

 過去をも選びに行くのがサルトル


 未来のために

 今をあきらめなくてはならないとしても

 そうだということを選んでいるのは

 今なのだと知っているのが

 サルトル


 世界をバラバラの個人に分割して

 自己の半径3メートル以内の責任に

 投獄するのがリベラル


 責任が牢獄だとしても

 牢獄においてこそ

 よりいっそう自由を感じる ように

 なるのが

 サルトル


 ぶつ切りで支給された

 自己責任ではなく

 全世界に関して責任を引き受けるのが

 サルトル


 選ぶ自由を与えて自由を忘れさせようとする

 のがリベラル

 自由を礼賛しながら

 設計された自由によって

 自由の息の根をとめようとするのがリベラル


 ただただひたすら自由でしかなく

 だから二者択一の選択にも

 897849786763424543465434513.41532くらいの

 可能性があるのがサルトル


 全てのペーパーナイフが 人を殺すわけではない

 と言って

 ペーパーナイフ を

 擁護するのがリベラル


 私はペーパーナイフではないと

 言いながら

 ペーパーナイフが囚われた牢獄で

 ペーパーナイフのコスプレをしてるのがサルトル

 

 合理的選択を強制して人間をロボットにするのがリベラル

 

 たとえ

 ロボットだとしても

 人間のフリをして

 平然としているのが

 サルトル


 美しい怪物を発掘して陳列しようとするのがリベラル

 怪物を愛するために

 愛せない怪物を抹殺するのがリベラル

 美しくなろうとしない怪物に

 足を引っ張られているような気分でいるのがリベラル


 人間は怪物に滅ぼされるよりほかないと

 知っているのが

 サルトル


 鬼は人間に誤解されていると 言って

 やさしい鬼の見世物で

 蒙を啓くのが

 リベラル


 そんなやさしい鬼も

 心で牙を研ぎ続けていることを

 知っているのが

 サルトル


 だからサルトル

 やさしい鬼をも恐れない

 やさしい鬼にも また

 次の瞬間には

 角を伸ばす自由が

 あるからだ


 だからサルトル

 美しい鬼でさえも恐れない

 どこかに醜さの かけらが

 残っていると信じるからだ


 ロボットがいじめられていると

 なんだか

 動きが カクカクしてくる

 のがサルトル 


 ロボットは安全だと言いながら

 人間を一人や二人

 ころしたくらいの

 ささいなことで


 あんなのはロボットじゃない と


 言い出すのがリベラル


 そうやってロボットのために

 ロボットを殺すのがリベラル


 そうやって最後の

 ロボットが死んだ日には

 新たなロボットが発明されるに違いない


 だからサルトルは あらかじめロボットに なっておくのだ


 


 


Dear Mr. President - Walk Hard in theaters December 21st