(元)登校拒否系

反学校、反教育、反資本主義、反歴史修正主義、その他もろもろ反対

こわいんじゃなくて、キモい

http://h.hatena.ne.jp/mujige/9234091895849340846


↑に いってきたよー。


たてものの いりぐちに 「行動する保守」の みなさんが いて こわかったです。


こわいと いえば、にじかいでのこと。
じこしょうかいタイム。


どきどき!


ぼくは ネットさよくの つねのゆうじろうです。
って いきなり カミングアウト!
しました!


それで、あとで じゅんばんが まわってきた ざいにちちょうせんじんに メッセージを いただきました。
とくに ネットさよくの みなさんに。ということで。


それは こういうことです。
いか、よっぱらってたので せいかくな きおくではないんですが、いんようです。

ざいとくかい のような ひとびとは、こわくない。
こわいんじゃなくて、きもい。


ぼくは、「きもい」ということばを わるいいみでは つかいません。
だれかにむかって 「きもーい」っていうことが あるとしたら、それは おせじでは あらわしきれない れんたいの ひょうげんです。
したがって、このような 「きもい」という ことばの つかいかたには どういしません。


しかし、このひとことに こめられた おもいは、なんとなく わかるような きがします。


おなじかたは、しゅうかいで、つぎのようなことも おっしゃっていました。
やはり ちょううろおぼえです。


こんかいの うよくの こうどうは ゆるされない。
しかし、ちょうせんがっこうの こどもたちは、かわいそうなわけでも ふこうなわけでもない。


かのじょは、ぜんせかいの コリアンから つのった メッセージを しょうかいしていました。
ときどき、なみだを こらえられているように みえました。


しかし うえの はつげんを されたときの かくしんに みちた えがおを ぼくは しっかりと もくげきしました。
いえ、かいじょうの そとから、きんがんの ぼくには ひょうじょうまでは みえませんでした。




行動する保守」の みなさんが こんかい おこなったことは、とりかえしのつかないことです。
そして だからこそ、くりかえさせては なりません。


そしてまた、

在特会」を例外や特殊なものとして扱ったり、未熟さを嘲笑うことは、日本社会が内在している暴力や、日本人の責任を曖昧にしてしまう。そういう意味で、彼らは私の「鏡」だと思うのだ。


http://d.hatena.ne.jp/kiimiki/20091215/1260903433


つまり、「行動する保守」は、にほんじんの もんだいです。にほんこっかが、こくみんが、いつまで ざいにちさべつ・がいこくじんさべつを つづけるのかという もんだいです。
いつまで にほんじんは がっこうに おける どうかきょういくを きょうせいしつつ、しょうすうはが みんぞくきょういくを おこなう ことへの けいざいてきせきにんを ほうきしつづけるのか?
にほんじんが さべつを やめるときに、さべつは おわります。




それとは べつに、きょう かくしんしたことが あります。
わたしたち にほんじんが どんな ひきょうな てを つかおうとも、在特会主権回復を目指す会のような 「よごれやく」をかってでようとも、週刊金曜日や岩波のような 「りょうしきは」の ぎまんに おぼれようとも*1、えいえんに ふかのうなことが ある。*2
それは、ざいにちちょうせんじん・かんこくじん、また、そのほかの みんぞくてき しょうすうはの いしを くじき、くっぷくさせることだ。
かれらは しょうすうはである。にほんじんは たすうはである。
にほんじんは、いま、ぼうぎゃくひどうに いなおっている。
ちょくせつに ぼうりょくを こうしすることによって。あるいは、そのようなものたちを こうじつにして、てんのうせいこっか・みんしゅとうせいけんのほうが まだマシだなどという ぎまんを はくことによって。
いつまで、ぼくたちは こんなことを つづけるのか。
ぼくは、やめるべきだと おもう。
やめようと よびかける。


しかし、とっけんというものは、なかなか てばなせるものではない。
ぼくは いつ、きくのごもんの あの てちょうを もやせるだろうか?
にほんじんは いつ、しょうすうはの みんぞくきょういくの けんりを そんちょうできるように なるだろうか?
われわれの せいふは いつ、きたちょうせんの じんみんに せんそうはんざいを しゃざいし、ほしょうを おこない、こっこうを じゅりつし、にっちょうゆうこうの めいよを みずから もとめることができるように なるのだろうか?
にゅうかんせいどの はかいは?
こせきせいどの はいしは?


わからない。


しかし くりかえそう。さべつは、にほんじんの もんだいである。
さべつは おわる。にほんじんが やめるひに。


それは いつか?


わからない。


しかし、そのような かたちでしか、このもんだいは おわらないだろう。


ざいにちたちは、「行動する保守」を おそれていない。
ましてや、ずっとずっと むかしから つづいてきた にほんしゃかいの さべつに、かれらが くっすることは、ありえない。


ぼくは かのじょの スマイルを みつめながら、そう おもった。











↓乙カレー!

*1:http://watashinim.exblog.jp/ を参照してください。

*2:「なるずもの」と「りょうしきは」の ぶんぎょうたいせいについては こちらを ごらんください→ http://d.hatena.ne.jp/toled/20070726