(元)登校拒否系

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フロイト講演会「精神分析の起源と発展」 第一講義(4)



ここまでのところは、ヒステリーの症状と患者の成育史との関係についてお話しただけです。ここからは、ブロイアーが観察したさらに2つの現象について考えることを通して、病気が始まる過程と治療の過程についての手がかりをお示しできたらと思います。前者については、特に、ブロイアーの患者が、ほとんど全ての病原となる経験において、強い興奮を抑えなければならず、その感情を適切な言葉と行動によって発散できなかったことは注目に値します。家庭教師の犬とのあの小さな経験において、彼女は社会的慣習を考慮して、とても強い嫌悪の感情を全て抑圧しました。病に臥す父親に付き添っていた間、彼女は不安や苦しいうつ状態を彼の前に決して表さないように気を配っていました。後になって、医者の前で同じ情景を再現した際、その時に押さた感情が、まるでそれまでずっと閉じ込められていたかのように、激烈に爆発しました。医者がその情景の記憶を呼び戻そうとすると、それによって引き起こされた症状はピークに達し、完全に明らかにされた後、消滅しました。一方で、経験的にわかったことなのですが、患者が医者にトラウマとなった情景を話す際に、もし感情が湧き上がらないと、その過程には治療的効果がありません。どうやら、患者の病気と健康への回復は、こうのような感情的な過程にかかっているようです。「感情」というものは、増加されたり何かに由来したり置き換えられたりするものと考えてよいでしょう。というわけで、病原となる経験の中で生まれた感情が正常に発散されることを妨げられたために患者は病気になったのであり、この病気の本質はこういった「囚われの身の」感情が一連の異常な変化を経験するという事実にあるのだ、と考えなければなりません。そのような感情は持続する重荷*1として、また精神生活の絶え間のない障害の素として維持されたり、あるいは身体の異常な神経支配や抑制に変化し、身体的な症状となって現われたりします。私たちは、この後者の過程を「ヒステリー転換」と名付けました。私たちの精神的なエネルギーの一部は、正常な状態ならば、身体の神経支配によって処理されて、「感情表現」と呼ばれるものを生み出します。ヒステリー転換は、精神の過程のこの感情的に彩られた部分を誇張するものであり、それよりもずっと強烈な感情の表現にあたります。その表現は、新しい通り道を経て出口を見つけます。水が2本の溝を流れているとすると、一方の流れが障害物に塞がれてしまったら、もう一方もすぐに溢れてしまいます*2

私たちはそろそろ純粋に心理学的なヒステリーの理論に行き当たりそうですね。そこでは、感情的な過程が最重要視されます。ブロイアーのもう一つの観察結果によると、意識の状態の変化が、病気の特徴を決定するのに大きな役割を果たしています。彼の患者は、正常な状態に加えて、「心ここにあらず」の状態や混乱、性格の変化といった様々な精神状態を示しました。正常な状態にある時、彼女は全く病原となる情景に気づいていないか、そうでないにせよとにかくそうした情景を病原的なつながりからは切り離していました。催眠術をかけられた時、(たいへんな苦労をして)彼女はそういった情景を記憶に呼び戻すことができました。そしてこのように思い出すことによって症状は取り除かれました。もし催眠術とその実験が道を示していなければ、この事実は極めて理解の困難なものであったことでしょう。催眠現象の経験をとおして、このような考えが(当初は奇妙に思えたものですが)よく知られるようになりました。つまり、一人の個人の中には複数の心のグループ分けが可能であり、そのようなグループはお互いに相対的に独立しており、お互いのことは「何も知らない」のであり、そのようなグループ分類に沿って意識の分裂が引き起こされるかもしれない、という考えです。そのような、「二重人格」(「二重意識」)として知られる症例が、時として自然に現われます。そのような人格の分離において意識が常に2つの状態の一方と密接な関係があるとすれば、片方は意識的な精神状態と呼ばれ、もう片方は無意識と呼ばれます。いわゆる催眠後暗示というよく知られた現象においては、催眠状態で与えられた命令が後になって正常な状態にある時にまるで強制的な暗示であるかのように実行されます。この現象は、無意識状態が、その存在に気づいていない意識に影響を与えうるのだということを理解するためのすばらしい手がかりとなります。同じようにして、ヒステリーの症例の事実を説明することができます。ブロイアーは、ヒステリーの症状は独特の精神状態に起源をもつという結論に達しました。この精神状態を彼は「類催眠状態」(hypnoide Zustande)と名付けました。そのような類催眠状態下での、感情的な性質をもった経験は、容易に病原的なものとなりえます。というのも、そのような状態は興奮状態の感情を正常に排出する条件を示さないからです。そしてその結果として、この興奮状態の独特の産物が姿を現します。つまり、症状が現われます。そしてこれはよそよそしい塊のように正常な状態に投影されます。ということは、後者は、その類催眠状態の病原的な経験の重要性を全く把握できないわけです。症状が現われるところに、記憶喪失、記憶の欠落も見ることができます。そしてこの欠落を埋めることは症状の起源となる条件を取り除くことにもなるのです。

私の治療法のこの部分はあまり明確なものには見えないかもしれませんが、私たちはここで新しくて困難な考えを前にしているのだということはお忘れにならないでください。それはおそらくこれ以上は明確にはできないのです。このことからわかるように、この分野の私たちの知識はまだあまり高等なものではありません。さらに申し上げると、ブロイアーの類催眠状態についての考えは無用のもので、さらなる研究の障害となることが明らかとなり、現在の精神分析の考えからは廃棄されています。後ほど、類催眠状態の他にどんな影響や過程が明らかになったのかについて触れさせていただきます(ブロイアーは類催眠状態だけに原因を見たわけですが)。

ブロイアーの研究は私たちが観察した現象のとても不完全な理論と不十分な説明しか提供していないとお感じになったかもしれません。それは正しい感想です。しかし完全な理論は天国から降ってくるわけではありませし、また観察の初期に全く欠落のない、練り上げられた理論を提示されたとしたら、なおいっそう懐疑的であるべきでしょう。そのような理論は憶測の産物でしかなく、事実の先入観ない研究の成果ではありえませんから。


*1:訳注。a lasting charge適切な訳語ではないかもしれません。。。

*2:訳注。このへんの訳はちょっといいかげんかもしれません。すみません。。。