(元)登校拒否系

反学校、反教育、反資本主義、反歴史修正主義、その他もろもろ反対

みんなが職務違反できる明るい社会をーー「君が代」不起立問題に寄せて



[7日12時前後に加筆修正しました。]


 人民のみなさん。社会問題に対する正しい左翼的リアクションを指導して30年、反自由党です。


君が代で起立せず」不採用の元教諭勝訴 「裁量逸脱」

 都立高校の卒業式などで職務命令に反して「君が代」の斉唱時に起立しなかったことを理由に、都が退職後に嘱託職員として採用しなかったのは違憲だとして、元教諭ら13人が都に慰謝料などを求めた訴訟の判決が7日、東京地裁であった。中西茂裁判長は、都による不採用の判断は「職務命令違反をあまりに過大視しており、裁量を逸脱している」として、13人に計2700万円を支払うよう命じた。

 一方で中西裁判長は、君が代斉唱時に起立を命じた職務命令は、憲法が保障する「思想及び良心の自由」に反せず合憲だと指摘。起立しなかった教師の処分を含め、都教委が国歌・国旗の取り扱いを定めた03年の通達についても、「教育は不当な支配に服しない」とした旧教育基本法に違反しないとの判断を示した。

 その上で判決は、職務命令違反を理由に不採用とした都教委の判断について「元教諭らは積極的に式典の進行を妨害したのではなく、起立しなかったこと自体がただちに採用を否定するほどの行為というのは疑問だ」と述べた。


http://www.asahi.com/national/update/0207/TKY200802070355.html

 たぶん、職務命令に違反したらクビになるのは当たり前じゃろが! っていうような反応が多くなりそうですね。

 けれども、ここで問題になってるのは命令違反ではありません。

 そもそも、教師は命令違反が仕事です。憲法教育基本法をまともに守ろうとしたら、学校は明日から崩壊します。校長や教育委員会は決して体罰を命じたりはしません。むしろ、体罰を禁止しています。教師の役割は、そういう建前とセットになっている「空気」を呼んで、ちょうどいい湯加減の無法者になることです。

 思えば、十数年前。「子どもの権利条約」(児童の権利に関する条約)が批准されそうになっていたころ、我々はヒヤヒヤしていたものです。生徒に「権利」なんか認めたら、学校は成り立たなくなるだろうと思えたからです(ちなみに、教育基本法が改正されることで大騒ぎしておったサヨクのみんなに今回だけのサービスでアドバイスするけど、この条約を読んどきな)。

 しかし、何も起こりませんでした。

 「権利」とか「自由」とかいう言葉に付された「(笑)」という注釈を、優秀な教師たちがしっかりと読み取っていたからです。

 というわけで、法律や命令に違反することを一々取り締まっていたのでは、学校を存続させることができません。というかその大半は暗黙に要求されているものでさえあるのです。

 従って、問題は命令違反一般ではなくて、「なぜ他ではなくこの特定の命令違反を処分理由とするのか」ということでなければなりません。

 そうやって考えると明らかなことですが、これはズバリ思想弾圧です。無数にある職務命令違反の中で、あえて「日の丸」「君が代」の件を選んだ恣意の中に、東京都の悪意を見なければなりません。したがってこれは「ルールは守りましょう」という中立的な一般論ではなく、極めて具体的な対象に対する攻撃なのです。誰もがあらかじめ違反者であるために、いつでも恣意的な弾圧が可能になるというカラクリについては、「反自由党は「ビラ配布→逮捕→有罪」を歓迎する——はてなとmixiと秋葉原グアンタナモ天国の比較自由論」でも書きました。

 でもそんなことはどうでもいいと思います。

 郵便局員が仕事をさぼっている。民営化して民間並みの勤労精神を身につけさせよう。社会保険庁のオペレーターが1時間ごとに休憩していた。民間だったらありえないよ。民営化しよう。

 最近はそういう話ばっかりです。

 とにかく労働者を休みなく命令に忠実に働かせる改革が進行しています。

 しかし僕が問いたいのは、「あなたは命令する側ですか、される側ですか」ということです。後者ですよね? ところがこういう社会問題を論じる時に、ついつい「資本家モード」「命令者モード」で思考していないでしょうか?

 逆でなければなりません。命令なんてクソ食らえです。命令なんか守らなくたっていいリラックスした社会を目指そうではないですか。

 教師は気楽でいいな、上司に命令されたことも無視するなんて。

 なんて言ってる場合じゃないです。どの仕事についていても、命令なんか無視できるようにすべきなのです。

 公務員はいいな。仕事がさぼれて。

 なんて言ってる場合じゃないです。佐川急便も、トヨタも、グッドウィルも、マクドナルドも、みんな国有化しましょう。それでみんなが公務員になって、みんなで安心してサボればいいのです。

 教育レジスタンス闘士のみなさん。「君が代」を歌うかどうかなんて、ほんの数分のことでガタガタ騒いでいる場合ではありません。テストの採点業務、めんどくさいでしょ? 生徒にパワハラする業務、やってる方の気分もよくないでしょ? 授業は疲れますよね? 職員会議なんかやる時間があったら仮眠を取りたいですよね? そういう業務全体を拒否する闘争をやるべきです。

 生徒にしたって、学校でやらされることは嫌です。卒業式なんてむしろ気楽なものです。問題は、たとえば二次方程式の押しつけをどうするかということでなくてはなりません。

 「特権的」公務員の足を引っ張るのはもういいです。その「特権」をみんなが享受できるようにしましょう。それで「特権」をもっともっと豪華なものにしていくのです。「特権」のシステムはそうやって崩壊します。

 命令による支配と服従の関係を廃止するわけですから、当然学校はなくなります。支配なくして学校はないからです。

 とまあ、こんなオチになっちゃいました。「元教諭」のみなさんの仕事は結局なくなります。ごめんなさい。


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