動く人権、リバティ大阪、人権体験
いま、なんかせつない。楽しかった思い出を思い出そう。
何年かまえのことだ。なつかしいな。あべちゃんとリバティおおさかに行った。人権博物館だ。
人権博物館には何があるか? 人権が展示されている。
人権というのは止まっていない。動いている。
たとえば性について。これこれこうだという説明がある。ああそうかなるほど。しかしそのとなりには、ひびの・まことによる批判がしるされている。たぶん、最初はこれこれこうだとだけ書かれていたのだろう。それを ひびの・まことが見て意見を言い、結果として併記されるかたちとなったのだろう。そんなふうに人権が動いていることに感動した。
不登校についての展示があった。人権問題としてあつかわれていることに感動した。しかし、その展示は、大阪市大の森田洋司(もりた・ようじ)らによる国家的な人権侵害の成果を無批判に紹介していた。学校に行っていなかった人々のプライバシーを踏みにじり、安心して生活する権利を蹂躙(じゅうりん)するものだ。
メロスは激怒した。みたいに激怒した。本当はそれほどでもなかったが、ぶーぶー文句を言った。そしたら あべちゃんが、そういうことは学芸員に言ったらいいと言った。
こういうとき、あべちゃんに言われたからそうしたみたいに言うと、あべちゃんは喜ばない。そうだ、ぼくは あべちゃんの問題提起によって触発され、主体的に学芸員に話しかけることを選びとったのだ。
彼女は話を聞いてくれた。担当に伝えると言ってくれた。ぼくも、資料を送ると約束した。
めんどくさかったので、それっきりにしてしまった。
ともあれ、ぼくは人権体験をした。
いま、リバティ大阪が危機にある。重大問題だ。たぶん、これもふくめて動く人権なんじゃないかな。橋下徹(はしもと・とおる)らの反動勢力。そいつらからリバティ大阪を守れるか。動く人権に、いま参加しているのだ。
リバティ大阪の存続を主張します。