(元)登校拒否系

反学校、反教育、反資本主義、反歴史修正主義、その他もろもろ反対

「日本の歴史家を支持する声明」批判

先日、英語圏を中心とする日本研究者たちによって"Open Letter in Support of Historians in Japan - Japanese language version | H-Asia | H-Net"(「日本の歴史家を支持する声明」)が発表された。これについて私は"The “Open Letter in Support of Historians in Japan”: A Critique A japanese translation is available. | The Asia-Pacific Journal: Japan Focus"という批判を書いた。以下はその日本語訳である。


あ、訳のあとにオマケもつけたよー。


ではどうぞ。


あ、「声明」からの直接引用はつねちゃん訳ね。


                                                        • -

「日本の歴史家を支持する声明」批判


2015年5月31日


常野雄次郎(つねの・ゆうじろう)


要約:
先日、日本研究者たちが「日本の歴史家を支持する声明」を発表した。これは日本における「慰安婦」問題をとりまく修正主義的な風潮に対抗するものである。著者は歴史修正主義への批判がなされるべきであることに同意するが、声明のいくつかの点に異議を唱える。第一に、声明は事実として間違っている「成果」を列挙することによって、1945年以後の日本の歴史を歪曲している。第二に、声明の日本と他の国におけるナショナリズムの扱いかたには問題がある。声明は多様な見解をもつ人々による妥協の産物のようであるが、著者は譲られてはならないものが譲られていると主張する。


「日本の歴史家を支持する声明」署名者のみなさまへ


日本では歴史修正主義者が強固に存在しており、アジア太平洋地域における日本の侵略戦争と植民地支配の時期に実行された残虐行為という確認された事実を否定しています。日本にいる私たちにとってそのような勢力とたたかうことは重要なことですが、国際的な圧力は有用なものとなりえます。しかし、みなさんが先日発表された「日本の歴史家を支持する声明」*1は残念なものでした。みなさんは事実を歪曲して日本の敗戦後史を美化しています。また、私はみなさんの韓国*2・中国への批判のしかたには異論があります。


まずはじめに、みなさんの声明の第二段落を引用することにしましょう。

この重要な記念すべき年に、日本と近隣諸国とのあいだの70年にわたる平和を祝うためにもこの書簡を書いています。戦後日本の、民主主義と軍隊の文民統制、節度ある警察、政治的寛容の歴史も、科学への貢献と他国への寛大な援助とともに、祝福すべきものです。

なにかについて一部の人にとっては痛烈に感じられることをを述べる際に、まずそれについてなにかポジティブなことを表明しておくのは、ひょっとするとすてきなことかもしれません。問題は、上で述べられていることの大半は、端的に間違っているということです。1945年以降、日本は平和な国ではありませんでした。日本は、アメリカの占領下、そしてのちには同盟関係のもと、迅速に軍隊を再建しました。安倍晋三(あべ・しんぞう)首相ですら、朝鮮戦争ベトナム戦争、そして冷戦とその後を通して日本がアメリカを支援してきた役割を否定しません。それが戦闘行為に参加するというかたちをとらなかったにしても、日本の経済的、技術的、外交的、財政的な支援は相当なものであり、重要なものでした。沖縄は数十年にわたってアメリカの占領下にありましたし、アジア太平洋戦争敗戦後70年たった今日も、米軍基地は沖縄に偏って集中しつづけています。日本には強力な陸海空の軍隊があり、アメリカとの同盟のもと、近隣諸国への脅威となっています。日本は朝鮮民主主義人民共和国に対して極度に敵対的であり、経済制裁を実施し、同国にゆかりのある在日朝鮮人コミュニティを差別しています。日本の民主主義が賞賛に値するものであったら、憲法を遵守していたはずであり、そもそもいかなる軍隊もなかったことになりますから、文民統制が話題になることもないでしょう。このような軍国主義的な政策に反対する社会運動への弾圧の歴史の視点からすれば、警察を節度あるものとして描くことは困難です。さらに日本は、アジア諸国への「援助」を、過去の戦争と植民地支配に対する賠償責任を回避し、自身の経済的野心を実現する手段として用いました。


このような事実を正しく理解することは、今日の日本に蔓延する歴史修正主義の文脈を理解するために重要です。ピーター・エニスとのインタビューのなかで、声明の共同コーディネーターであるジョーダン・サンドとアレクシス・ダデンは両者とも、特に言論の許容範囲の狭まりを指摘して、ここ数年のあいだに重大な変化があったことを示唆しています。*3しかし、安倍とその同調者はなんらかの逸脱的現象ではありません。むしろ、彼らが支配的な位置にあることは日本の敗戦後史の産物です。軍事的な敗北と帝国の解体、アメリカによる占領にもかかわらず、1945年はこの国の性質において決定的な断絶となるにはほど遠いものでした。裕仁(ひろひと)は一度も裁かれることがなかっただけではなく、権力が抑制されたにせよ、数十年後の死まで皇位にありつづけました。裕仁の息子である明仁(あきひと)が現在の天皇です。日本の人民と政府が東京裁判以後だれも裁判にかけなかったどころか、占領下に投獄されていた指導的な軍国主義者たちを釈放したことは、特に注目に値します。アメリカ議会での演説の中で、安倍は祖父である岸信介(きし・のぶすけ)に肯定的に言及しました。*4満州国体制の主要な政策立案者で、のちに東条(とうじょう)内閣の大臣をつとめ、拘置所を出て1950年代に首相となった人物です。1990年代に被害者の一部が声をあげはじめるまで日本政府が戦時性奴隷制についてまともに調査したことがなかったのは偶然ではありません。したがって、サンドのように近年「転換」があったと考えるのは間違っています。むしろ、1945年の機会がいかされなかったことによって、敗北にもかかわらず日本は大きな変革を経験することがなかったのです。今日の修正主義者は例外的な存在ではなく、過去70年間におきてきたこと、そしておきてこなかったことの自然な延長です。残虐行為という歴史的事実の否定や歪曲を抑止することが目的であるなら、日本の「戦後」をなにか祝福すべきものとして描いて日本人をいい気分にさせることは有用ではありません。アメリカとの協力関係のなかで、1945年以後の日本は敗戦前の時代に作られた多くの針路を歩み続けてきました。日本が過ちを十全に認めて償いをするためには根本的な変革が必要です。みなさんが歴史的な犯罪と非道を認める道徳的な能力をもった存在として日本人に敬意を抱かれているのであれば、「成果」を列挙して口当たりをよくすることなく、その修正主義を単刀直入に批判できるはずです。


さらに、声明にはいくつかのナショナリズム批判が含まれています。みなさんは、「韓国や中国におけるのと同様に日本においてもナショナリズム的な罵倒」*5が「慰安婦」問題を歪曲したと述べ、さらに以下のように述べられています。

かつて「慰安婦」であった人々の苦しみが被害者の国々でナショナリズムの目的に利用されていることは、国際的な解決をより困難なものにして、女性たち自身の尊厳をさらに傷つけています。

「彼女たちに起こったことを否定したり矮小化することは等しく許されない」という声明の主要な主張がこれに続きます。「等しく」という言葉を削除すればこの一文に心から同意しますが、この一節を何度も読み返したみても、みなさんは日本のナショナリズムと被害者の国々のナショナリズムを本質的に等価なものとして扱い、日本の歴史への姿勢を事実上相対化しているように私には思えます。


ナショナリズムは抑圧的な側面をもちうるものである一方、被害者の国々の人民や政府が少なくともある程度のナショナリズムに頼ることなくこの問題への認識を促すことは疑いなく難しいことでしょう。「慰安婦」制度は真空空間に存在したのではありません。「慰安婦」制度において日本人女性も被害者となった一方で、この制度はアジア太平洋地域の広い範囲を征服した帝国と軍隊の支配下において運営されていました。そしてナショナリズムは、歴史的にただ帝国主義的、植民地主義的な目的に利用されてきただけではなく、抵抗闘争に役立ってきもしてきたイデオロギーです。おそらく意図されているのはナショナリズム自体を退けることではなく、それが問題を歪曲することに注意を促すことなのでしょう。しかし、声明にはいかなる証拠も事例も示されていません。韓国と中国のどのグループないし個人によるどの特定の発言が「罵倒」と呼ばれうるのでしょうか。それがどのように問題を歪曲するのでしょうか。被害者の国々のだれが問題を利用して解決をより困難にしていて、それはどのようになされているのでしょうか。さきほど触れたインタビューのなかで、サンドは「慰安婦に関して中国と韓国、日本で観察されるナショナリズムを一筆で描くことはとても安直なことに見えるかもしれません」*6と実際に認めています。そうするとお尋ねしたくなるのは、なぜ声明では三カ国のナショナリズムを明確に区別することなく一筆で描いているのでしょうか。


声明を批判することで、おそらく私は釈迦に説法をしているのでしょう。当初187名の署名者がいました。この文章を書いている時点で数字は456に増えています。*7みなさんのうち、多くの方は過去70年の日本と近隣諸国の関係を平和なものとみなしたりはしないのではないかと想像します。また多くの方は、ご自身だけで書くとしたら、異なる国におけるナショナリズムをこのように単純すぎるかたちであつかったりはしないのではないでしょうか。早くも3月の時点から声明にかかわってきた署名者である小山(こやま)エミは、広範な支持をえるために妥協が必要であったと述べています。*8一部の研究者は日本の政治家や官僚、財界人とつながりがあり、「反日」であると見られたくない。小山によれば、声明はそのような人々の参加も得られるように書かれなければならなかったとのことです。サンドが述べているように、結果的に、

どこにおいても名前が同じページに印刷されたことがないような人々がこの声明に関わっています。一部の人々は、お互いと同じ部屋にいることもしたくないかもしれません。しかし私たちはみな声明を共有したのです。*9

このように、声明は妥協の産物でした。多様な立場のこんなにも多くの研究者の支持をえたという点で、その妥協はうまくいきました。


共通の敵や問題は、ほかの点では敵対関係にある人々が共に活動することを可能にしえます。ヨーロッパ極右の台頭に関してスラヴォイ・ジジェクは次のように言いました。

実際、明らかなのは、ポピュリスト右派が自由民主主義の現在のヘゲモニーを正当化することに果たしている構造的役割である。というのも、この右翼勢力――ブキャナン、ル・ペン、ハイダー――が提供しているのは、体制的な政治的スペクトラム全体の否定的な共通項であるからだ。彼らは排除された者たちで、まさにこの排除(彼が公職に就くことの「ありえなさ」)を通して、彼らの存在は公的なシステムが善きものであることの証拠となる。彼らの存在は政治的闘争ーーその真の目的は左翼からのいかなるラディカルなオルタナティブの息の根もとめることだーーの焦点を右傾化の危険を前にしての「民主的」勢力全体の「連帯」に置き換える。「新中道」は右派への恐怖を操作して「民主的」領域においてヘゲモニーを獲得しようとする。つまり、場を定義してその真の敵対者、つまりラディカル左翼を規制しようとする。ここに、「第三の道」の究極的な存在理由がある。それはすなわち、反資本主義と階級闘争のかすかな記憶さえもかき消してしまうような、最低限の撹乱的なトゲも抜かれてしまった社会民主主義である。*10

同じように、日本の修正主義者は「否定的な共通項」として機能して、そうでなければ「お互いと同じ部屋にいることもしたくないかもしれない」人々のあいだの差異を一時停止します。状況の緊急性(残された少数の「慰安婦」サバイバーにとって時間は少ないものであり、問題について報道したジャーナリストたちは暴力的な脅迫を受けています)を考えれば、妥協が必要であるということを理解します。現時点で456名の署名者はそれぞれ、声明のなかに好ましくないと思う部分があるかもしれませんが、団結することができました。私が主張したいのは、妥協することが間違っているということではありません。そうではなくて、どのような妥協が適切であるのか、妥協することによってなにを放棄することになるのかということを問いたいのです。サンドは、「「これだけのことまでならみな同意できる、これだけのことなら常識であると信じる」と確信した人々によって声明は発行されました」*11と述べています。私見では、声明には上で述べた理由により「常識」として通用すべきではないことが含まれています。


小山によれば、一部の署名者にとって、「反日」というレッテルを貼られることは将来の研究にとって有害となりうるとのことです。ダデンはインタビューで「反日」であることを否定しています。しかし、国家政策に深く批判的であるという意味での反日であることが、まさに必要とされていることです。もちろん、これは日本人を物理的に殲滅することをもとめるべきだということを意味しません。反ナチの人々がドイツ人に関してそれを要求しないのとちょうど同じです。それは単に、1868年に始動し、重要なかたちで新しい時代においても続いている日本と呼ばれる帝国主義的、植民地主義的なプロジェクトに反対すべきであるということを意味します。日本は1945年の敗北を乗り切り、今日も栄えており、歴史修正主義者に堅固な基盤を与えています。反日であるということは、そのプロジェクトにノーと言うことを意味します。そして繰り返させていただければ、日本人に道徳的な存在として敬意を抱くのであれば、彼(女)ら(私たち)に対してそう言えるはずです。


常野雄次郎

                                                        • -


オマケ1
声明にある敗戦後日本についてのデタラメな認識は、日本における集団的自衛権反対、秘密保護法反対といった運動にも見られるものとよく似ている。たとえば「戦争をさせない1000人委員会アピール」は次のように始まる。

いま、日本はいままでとまったくちがった国に姿をかえようとしています。わたしたちが願い、誓ってきた、人間と人間が殺し合う戦争はもう絶対にしない、国際的な紛争は粘り強く話し合いで解決する、という人類普遍の理想を、安倍政権は、なんの痛みも感じることなく捨て去ろうとしています。


東洋の海に浮かぶ島国は、かつて無謀な政府のもとで背伸びをして隣国を侵略し、さらに世界を相手にして戦い、他国で2000万人以上、自国で310万人とも言われる尊い人命を奪い、深く人間の尊厳を傷つけました。


わたしたちの軍隊が行った侵略戦争は、沖縄戦をはじめ東京、大阪など各都市への空爆ヒロシマナガサキへの原爆投下をもたらし、その傷跡は戦後69年たってなお、いまだ癒えていません。


焼け跡の中から生まれた「日本国憲法」は、このような過ちを二度と繰り返さない、という心からの誓いによる平和主義を基調としています。この69年間、日本は一度も戦火を交えることなく、武器によって殺しも殺されもせず、世界に平和を訴え続けてこられたのも、この平和憲法が世界で支持されてきたからでした。

こういった言説も歴史修正主義の一種ととらえるべきではないだろうか。「戦前」を悪魔化して切り離すことにより、そうではないものとしての自由で民主的で平和な「戦後」のイメージが形成される。それは変革されるべきものというよりは、たとえば安倍や在特会といった脅威から防衛されるべきものとなる。しかし問題は、日本は切れ目なく続いているということだ。


オマケ2
妥協について。今回の妥協によって左右のバランスがとれたのでも、一部の人しか同意できない主張がけずられたのでもなく、右翼的な立場に左翼ものみこまれたのではないだろうか。


また妥協の産物であることによって、声明は批判を難しくしている。ある署名者に対してたとえばAという点はおかしいとか、Bという点が欠落していると言ってみたところで、その人にとってそれは妥協点であったとすれば、批判はあらかじめおりこみずみということになってしまうからだ。


内容だけでなく妥協であるという点について文字数をそれなりに使ったのはそのためである。




オススメ記事リンク集だよー。


歴史修正主義批判


「永遠の嘘をついてくれ」――「美しい国」と「無法者」の華麗なデュエット


前編: http://d.hatena.ne.jp/toled/20070726/1185459828

後編: http://d.hatena.ne.jp/toled/20070727/p1


自由について

テラ豚丼祭りと「自由への恐怖」 - 催涙レシピ


反自由党は「ビラ配布→逮捕→有罪」を歓迎する——はてなとmixiと秋葉原グアンタナモ天国の比較自由論 - 催涙レシピ


「逃げよ。しかし逃げながら武器をつかめ」 - 催涙レシピ


登校拒否について

「登校拒否解放の(不)可能性」前編 中編 後編

登校拒否解放の(不)可能性 toyoさんの問いに応えて - 催涙レシピ


『不登校(ふとうこう)、選(えら)んだわけじゃないんだぜ』 第4章 ひらがなバージョン - 催涙レシピ


選択の幻想から反学校の政治へ 第一回 無人島主義 - 催涙レシピ
選択の幻想から反学校の政治へ 第二回 奴隷の「選択」 - 催涙レシピ
選択の幻想から反学校の政治へ 第三回 学校制社会と反学校 - 催涙レシピ


ネトウヨのみんなへ

ネット右翼の皆、サヨクから大切なお願いがあるんだ!!――「スイーツ(笑)」問題雑感 - 催涙レシピ


そのほか

朝鮮学校「無償化」除外と北朝鮮への経済制裁について - 催涙レシピ


「民主主義よ、お前はもう、死んでいる」――グアンタナモ化した政治と敵対性の外部化について - 催涙レシピ


和光大学YASUKUNIプリンスホテル、コケコッコーの政治と不正義のアウトソーシングについて - 催涙レシピ


日の丸充なう - 催涙レシピ

*1: “Open Letter in Support of Historians in Japan,” H-Asia, May 5, 2015.

*2:訳注:「声明」ではKoreaとなっており、国名は明示されていないが、文脈から大韓民国を指しているものと思われる。

*3:Peter Ennis, Jordan Sand, and Alexis Dudden, “Anatomy of an Open Letter: How 187 Japan scholars came together to push Prime Minister Shinzo Abe on history issues,” Dispatch Japan, May 16, 2015, retrieved May 21, 2015.

*4:Abe Shinzo, “Toward an Alliance of Hope,” April 29, 2015, retrieved May 21, 2015.

*5:“Open Letter in Support of Historians in Japan,” ibid.

*6:Peter Ennis, Jordan Sand, and Alexis Dudden, ibid.

*7:Chang Jae-soon and Roh Hyo-dong, “Hundreds more scholars sign joint statement urging Japan to acknowledge sex slavery,” Yonhap News Agency, May 19, 2015.

*8:小山エミ, 「世界の日本研究者ら187名による「日本の歴史家を支持する声明」の背景と狙い」, Synodos, May 5, 2015, retrieved May 21, 2015.

*9:Peter Ennis, Jordan Sand, and Alexis Dudden, ibid.

*10:Slavoj Zizek, “Why We All Love to Hate Haider,” New Left Review, March-April 2000, retrieved May 21, 2015.

*11:Peter Eniss, Jordan Sand, and Alexis Dudden, ibid.