差別の「なんで」
また入院してるよー。総合病院の精神科。
今日はこのニュースに心を痛めています。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20130711/CK2013071102000147.html
いつも言ってますが、経歴を偽っても、いいじゃんべつに。無免許上等! 無免許運転は危ないけどね。
以前、こんな記事を書きました。
今のぼくだったら別のたとえを使ってるかも。。。
おそらくポイントは、学歴差別・資格差別を「差別=いけないこと」と認めるかどうかにあるんだろう。
しかしぼくは、あることが「なんで」差別なのかという話をしたくない。
差別は差別だ。そして、いけないことだ。いけないものは いけないのだ。
それだけでいいと思う。
どうでしょう?
今はうまく説明できないけど、なんとなくそんな気がするの。
たとえば人種差別。黒人を不当に扱うことが「なんで」いけないことか?
なんて論争するとしたら、それ自体が人種差別的なことじゃない?
学歴差別・資格差別・経歴差別は差別だ。いけないことだ。
って断言することから始めたい。
「なんで」っていう疑問はふりはらって
パラレルワールドの倫理
あさって 退院することになったよ。
↓むかしのmixi日記
子どものころ見た『ドラえもん』の映画版で、こういうのがあった。
のび太一行がピンチに陥り、ジャイアンその他関係者は敵の手に落ちてしまうんだけど、ドラえもんとのび太くんだけは助かって家に帰る。
この時、のび太くんのすばらしいトンチで、究極の解決策が提案される。
「もしもボックス」
あの、公衆電話みたいな機械で、「もしも〜だったら」って言うと無条件で現実化する、その他のグッズの存在意義を全部キャンセルしかねないような、例のアレですね。
それで何ごともなかったかのような日常に帰るのでした。
……だと、映画が30分で終わっちゃうので、のび太くんはさらに考える。
「もしもボックス」で分岐する以前の、もう一方のジャイアンたちはどうなっちゃうんだろう。
ドラえもんが解説します。「もしもボックス」を使った時点で、「あっち」の世界と「こっち」の世界に分かれる。だから、「あっち」にもジャイアンやスネ夫はいて、悲惨な目にあっている。けど、「こっち」の世界はそれとは独立したもので、平和な日常が回復し、みんな元気に暮らし続ける。
そんなんじゃ「あっち」のジャイアンたちがかわいそう、と思ったのび太くんは。。。
という話でした。うろ覚えだけど。
史的唯物論は、ハッピーエンドを拒否します。
「めでたし、めでたし」という結末に張り付く阿鼻叫喚に耳をそばだてます。
っていうような話を、今度ブログに書きたいんだけど、まだ考えがまとまらないので書けない。
と書いたのが4年前。
ふと思いだしたので、宝くじ買いました。
必ず当たるよね! ある意味。
体罰について議論するのをやめようーー思考停止の提案
桑田真澄(くわた・ますみ)が人気です。
体罰に反対という少数派のあいだで。
だが、僕はこう言いましょう。
体罰について議論するのをやめよう。と。
おかすぃくね?
体罰は是か非か。
体罰は有効か否か。
体罰は善か悪か。
体罰は必要か不要か?
おかしくね?
おかしくね?
そんなこと話し合うのおかしくね?
そんなこと問うのおかしくね?
そんなことについて考える余地ゼロだべー。
おかしっすよ!!
ね。
体罰について議論するのをやめようよ。
思考停止というよりは、思考するまえに停止しよう。
そして、、、
すすむな!
よー。
やめよー。
よー。
ジジェク↓。
レイプ反対を主張しなければならない社会よりは、レイプがすっかり受け入れえないものと考えられており、賛成を主張するような者はエキセントリックなバカ[ママ]にみえるような社会に私は住みたい。*1
あと、ビックリするのも禁止。
なんで?
知ってるじゃん。
知ってたじゃん。
教育委員会に報告してなかったって。
いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや。
教委を驚異的にナメすぎ。
教育委員会が、知らないわけないでしょ言われるまでもなく。
ね、僕もあなたも、みーーんな、知ってるみょんね。
詳しくは、↓をみてさ。
「永遠の嘘をついてくれ」――「美しい国」と「無法者」の華麗なデュエット 前編 - 催涙レシピ
そしてさ。「校門圧殺事件」で検索して周囲を読んでみて!
ね。
にぇ。
はい。
では、
まとめます。
体罰について。
1.議論するのをやめよう
2.びっくり禁止令
関連エントリー
ネット右翼の皆、サヨクから大切なお願いがあるんだ!!――「スイーツ(笑)」問題雑感 - 催涙レシピ
「対案についての思考」を禁止します - 催涙レシピ
じゃあ、みゃたねー。
革マル派とジュクの思いで
いま入院しているところから、早稲田には歩いて行ける。
20年近くまえ、早稲田大学の学園祭に行ったことがある。近くの高校に在籍していた。入場するには200円のパンフを買う必要があった。
小さな講演会に行って受付簿に記入したら、後になって自治会(革マル派)から勧誘があった。731部隊をテーマにした香港のB級映画を見せてもらうことになった。
数時間にわたってオルグを受けた。対立するセクトについての話も出た。
僕は聞いてみた。
なぜ革マル派なんですか? たまたま早稲田に入ったからであって、もし法政に行ってたらいまごろ中核派で革マル派の批判してるんじゃないですか?
これにたいして、革マル派の客観的優位性を示すような回答を僕は期待していた。
ところがお兄さんは、こう言った。
常野くん、それはジュクというものだ。
え、ジュク? なんですかそれは?
受ける苦しみと書いて受苦。受動的に出会ってしまったんだ。
ええー、深い、深い答えだー、と感動した。
今日のオチでした。
ごめん、次は面白い話書くよー。
戸塚ヨットスクールは、まだあります
戸塚ヨットスクールに行った。
去年のいまごろ。
戸塚ヨットスクールの屋上から落ちて、人間がなくなった。
Skypeで話していて、行こうということになった。
事件の翌日、品川から新幹線に乗った。
名古屋駅で花を買った。
ローカル線に乗りかえた。
駅からすぐだった。
道路に、血痕がまだあった。
友人たちと、花と酒とタバコを置いた。
酒タバコは余計だったかもしれない。
Fridayの記者がいた。自分も情緒障害児だったので来たと話した。
用はすんだので観光でもしようかと思った。
けど、あまりにも顔が黄色い。病院に行かないとダメだと友人たちに言われた。
しぶしぶクリニックに行ったら肝臓が悪いので東京に帰ってすぐ入院しなさいとのことだった。
きしめんだけ食べて帰った。
戸塚ヨットスクールを去るまえ、一人の青年と目が合って、挨拶だけした。
あのときほかに何が言えただろう。
きっと、黙っていて正解だったのだ。
戸塚ヨットスクールは、まだ、あります。
過去の記事
戸塚ヨットスクール事件 2009 - 催涙レシピ
あ、肝炎は治りました。ありがとう。
「オスプレイは抑止力になるか?」という問い
8月に精神科を退院した。年末からまた入院している。何もする気にならない。それでいてまた退屈でもある。
退院してから、何度か市ヶ谷の防衛省前に行った。沖縄へのオスプレイ配備に抗議するためだ。
ちょっとひっかかっていることがある。書いておこう。
ビラを配っていた。あとで読んで、異論をもった。文章を書いた人たちとはゆっくり話す機会があったのに、それについて語らなかった。後悔している。
ビラには、オスプレイに関する論点が列挙されており、それぞれについて配備が不当であることが指摘されていた。
手元にないので正確には覚えていないが、その一つはいわゆる「抑止力」についてのものだった。
配備派は、オスプレイが中国や朝鮮からの軍事的脅威への抑止力になると主張している。しかしそれは間違いであるという内容だった。
オスプレイは抑止力となるのか否か。
反対派なら、この問いに否と答えるのが当然と思うかもしれない。
しかし僕は、問いを拒否する反対派でありたい。抑止力などという発想がそもそも間違いだ。中国や朝鮮は脅威ではない。危ないのは、植民地主義を継続し、「竹島」や「尖閣諸島」への領土的野心をあからさまにしている日本だ。
こう言われるかもしれない。たしかにそれは正論だ。だが、沖縄からのオスプレイ撤去という緊急の課題を前にしては、現実に論点となっている問いにも答えなければならない。抑止力が必要であると信じている人も、オスプレイが不適となれば、反対派となってくれるかもしれないと。
僕はそうは思わない。
争いごとがあるとき、自分に近い勢力を求めたくなる。しかし、抑止力が必要であるという立場と近くあってはならない。断絶がある。
どういうことか。
この病棟は9時で消灯だ。精神科なので、服薬は管理されている。もうすぐ看護師が眠剤を持ってきてくれる。
また次にでも書くとしよう。
なお、防衛省前では、オスプレイ配備にあたっての普天間基地前の状況を評して、「まるで中国や北朝鮮のようだ」と演説する者がいた。これは論外である。その場で黙っていたことが遺憾だ。同じようなことがあったらすぐに抗議するようにしたい。
動く人権、リバティ大阪、人権体験
いま、なんかせつない。楽しかった思い出を思い出そう。
何年かまえのことだ。なつかしいな。あべちゃんとリバティおおさかに行った。人権博物館だ。
人権博物館には何があるか? 人権が展示されている。
人権というのは止まっていない。動いている。
たとえば性について。これこれこうだという説明がある。ああそうかなるほど。しかしそのとなりには、ひびの・まことによる批判がしるされている。たぶん、最初はこれこれこうだとだけ書かれていたのだろう。それを ひびの・まことが見て意見を言い、結果として併記されるかたちとなったのだろう。そんなふうに人権が動いていることに感動した。
不登校についての展示があった。人権問題としてあつかわれていることに感動した。しかし、その展示は、大阪市大の森田洋司(もりた・ようじ)らによる国家的な人権侵害の成果を無批判に紹介していた。学校に行っていなかった人々のプライバシーを踏みにじり、安心して生活する権利を蹂躙(じゅうりん)するものだ。
メロスは激怒した。みたいに激怒した。本当はそれほどでもなかったが、ぶーぶー文句を言った。そしたら あべちゃんが、そういうことは学芸員に言ったらいいと言った。
こういうとき、あべちゃんに言われたからそうしたみたいに言うと、あべちゃんは喜ばない。そうだ、ぼくは あべちゃんの問題提起によって触発され、主体的に学芸員に話しかけることを選びとったのだ。
彼女は話を聞いてくれた。担当に伝えると言ってくれた。ぼくも、資料を送ると約束した。
めんどくさかったので、それっきりにしてしまった。
ともあれ、ぼくは人権体験をした。
いま、リバティ大阪が危機にある。重大問題だ。たぶん、これもふくめて動く人権なんじゃないかな。橋下徹(はしもと・とおる)らの反動勢力。そいつらからリバティ大阪を守れるか。動く人権に、いま参加しているのだ。
リバティ大阪の存続を主張します。