「もうセカンドハーフに入ってます」――「君が代訴訟」に関するサヨクの皆さんへの重大なお知らせ
歴史の転換点となるような画期的な判決が出ました。残念ながら余裕がなく、とりあえずあるブログに張られていた朝日新聞、産経新聞、読売新聞へのリンクのうち、産経新聞の社説を熟読しただけですが、全てを理解しました。これが軍国主義の到来を告げる判決であることに疑いはありません。ウヨクの皆さん、よかったですね。サヨクの皆さん、残念でした。
判決文自体は読んでいませんが、産経の社説を見る限り、今回の判決のメッセージはこういうことです。民主的に選ばれた政府が何と言おうとも、試験で採用された教師は自由に行動してください。
政府は選挙で選ばれます。これに対して教師の採用には直接的な民主的プロセスがありません。もちろん教師も、民主的に選ばれた政府や議会が定めるルールに基づいて任命されるわけですが、国や都道府県の意思と教師の思想傾向には一定のズレが生じます。政府は好ましくない考えをもった人物をなるべく排除すべく努力をすることはできますが、その成果が現れるまでにはタイムラグがあります。
というわけで、サヨクの立場からは、かつて以下のような図式が成り立っていました。政府=悪玉、教師=善玉という構図です。おおざっぱに言って、自民党は教育を右傾化させたいと考えていました。それに対して、相当数の教師は軍国主義を復活させまいと努力してきました。今回の訴訟を起こしたのは、そのような人々の残党でしょう。
このような構図が成り立っていた時代には、政府から教師への「不当な支配」を批判することは、つまり、軍国主義に抵抗することでした。教師の政府からの独立は、平和教育が行われるということを保障していました。自民党が選挙で勝ち続けても、多くの教師は平和を愛していたからです。「不当な支配」の禁止は、民主主義から教育を保護する防火壁となっていました。
好むと好まざるとに関わらず、そのような時代は過ぎ去りました。今や、平和を愛する愛すべき教師は少数派となりました。これからも減り続けていくことでしょう。そして逆に、ウヨク的傾向をもつ教師が増殖しています。それは一つには自民党の地道な努力が成果を上げつつあるということもあるでしょうし、全体の人口が右傾化しているということもあるかもしれません。ともかく、以前のような図式が成り立たなくなったということは確かです。って調べたわけじゃないので僕はよく知りませんが、おおまかな印象としてはそうなんじゃないでしょうか。たぶん。
さて、このような新しい現実を前にして、教師の政府からの独立性は何を意味するでしょうか? ウヨクの教員は、何でも好き勝手にやっていいのだったら何をするでしょうか? もちろん、軍国教育です。サヨクの立場からすると受け入れがたいような歪曲された歴史を教え、科学に反するトンデモ情報を振りまき、保守政治家でさえも大っぴらに口にするのはためらうような人種差別思想を熱く語ることでしょう。要するに、教師の自主性を尊重することが、軍国主義を推進することを意味するようになったのです。
サヨクの皆さん、どうしますか? 平和教育を守るためには、あるいは復活させるためには、何が必要でしょうか?
反自由党はあらゆる教育に反対します。したがって当たり前のことですが平和教育にも反対です。というかどちらかと言えば軍国教育を好みます。軍国教育を受けた人が平和を愛しているのを見るのは心強いことですが、平和教育を受けた人が平和を愛しているのを見たら複雑な気持ちになってしまうからです。ですから、平和教育に手を貸したことがバレると党内で大変なことになるのですが、最近はこのブログを見てくださる方も激減してしまったので、今日だけは特別サービスとして、こっそりお教えします。
状況が変化しているのに相変わらず教師の自主性だの「不当な支配」への抵抗だのを主張し続けるのは、サッカーの試合でセカンドハーフに入ったのに以前と同じゴールに目がけてシュートするのと同じくらい滑稽なことです。教員の政府からの独立が軍国主義の復活を阻止することになる時代は終わりました。これからは、教師が自由になればなるほど、より極端な軍国教育が行われるようになります。
平和教育を推進するには、まず、日本共産党か社民党に政権を取らせて下さい。その上で、新政権が、まずウヨク傾向の強い教員をパージします。さらに、新政府が、つまりサヨクが適切と考えるような教育を実施することを残った教師に強制します。従わない教師は処分します。これが、民主的に教育の右傾化を阻止し、平和教育を実現するための唯一の方法です。つまり、サヨクが必要とするのは「自由」ではなく「支配」なのです。
同じようなことは、憲法論議についても言えます。かつては、護憲=平和主義、改憲=軍国主義という図式が成り立っていました。しかし、近いうちに憲法は変わるでしょう。その上でなお護憲を唱える人がいたら、その人は軍国主義者です。平和主義者のみなさん、もしまだご自宅に「護憲」のスティッカーがあったら、直ちに処分してください。そして「改憲」のスティッカーを注文しておいてください。まもなくハーフタイムです。
もちろん、とにかく教師が自由であるということが至上の価値であるという立場もありえます。それならば、軍国教育だろうが平和教育だろうが、各教員が好き勝手にやればいいことになるでしょう。その場合は、民意に支配された政府に支配された教師が生徒を支配するのではなく、教師が独裁的に生徒を支配することになります。もしあらゆる支配に反対するのであれば、学校そのものに反対しなければなりません。それが反自由党の主張です。
君が代の強制が、教育の自由を侵すだけではなく、労働者としての教師の良心の自由を侵害すると考えられる方もいるかもしれません。たしかに、君が代に対して思想的なアレルギーをもつ人々に斉唱や起立を強制することには問題があるかもしれません。強制はよくない。しかしそれは、ありとあらゆる労働について、常に言えることです。コンビニ店員は、お金をもらうために、レジで商品をバーコードに通したり、おでんをすくったり、雑誌を入れ替えたり、ゴミをまとめたりしなければなりません。そして資本主義社会で生きていくためには、お金が必要です。セブンイレブンに応募するか吉野家に応募するかを選ぶことはできても、全く仕事をしないという選択肢は通常はありません。つまり、労働というものはそもそも強制されるものなのです。「やりたいこと」と「やらなければならないこと」がたまたま一致するという人も中にはいるでしょうが、そこに強制があるという事実に変わりはありません。
労働者は毎日毎日鉄板の上で焼かれているのに、年にほんの数分間の儀式のことがこんなにも大問題になるのはなぜでしょう? インテリサヨクの皆さん、コンビニ利用してますか? 居酒屋で、フリーターにイカの塩辛を運ばせてませんか? 労働者は絶え間なく全身の自由を奪われているという圧倒的な現実。それが未解決の段階で教員というエリート階級の思想だの良心だのといったことについて騒ぎ立てるとしたら、2ちゃんねらーが共感しないのも無理はありません。あ、いや、反自由党が2ちゃんねるで支持を集めることもないでしょうけどね。それは飢えた難民の前で寿司を食べながら、「本当は焼肉がよかった」と文句をたれているようなものです。石原慎太郎やブッシュが支持を集めるのも、そのような思い上がったインテリへの怒りと共振しているからだということはしばしば指摘されます。
本当に自由を求めるのであれば、資本主義制度そのものを破壊する必要があります。それが反自由党の主張です。反自由党は、あらゆる強制の禁止を強制します。
ここで話は教育に戻ります。子どもに学校に行かないという選択肢はありません。だとすれば、卒業式に限らず、学校で起こっていることは全て常に強制の結果です。自由を尊ぶ教師も、「1足す1は2」だとか「イイクニつくろう鎌倉幕府」などという知識を生徒に強制するでしょう。あるいは、勤勉や自主性や思いやりといった道徳を注入(引き出す?)しているでしょう。思想的立場によっては、「君が代は悪いこと。算数は科学」と主張することができるかもしれませんが、強制は強制です。そしてついでに言っておくと、「国旗と国歌は強制ではなく、自然に国民に定着させるのが国旗国歌法や学習指導要領の趣旨だ」という産経新聞に引用されている判決文にあるような、「自然に」とか「自主的に」という外観をもつ強制が最も悪質な強制です。
だとしたら、このエントリーの冒頭に書いたことを訂正しなければなりません。学校教育に軍国主義が到来したというのはウソです。なぜならば、学校とは始まった時から常に軍国主義的であったからです。ま、ミサイルに少しマスタードガスがオマケでついたくらいに考えておきましょう。
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