自己啓発言説に啓発されて 自己以外のものを啓発したくてムズムズしてきちゃったkawai〜〜i自己が人文系大学人に英語デビューするための秘策を伝授するぜ!!
ルサンチマンについてのあらゆる理論は、それ自体がルサンチマンの症状である。
――アメリカの偉いマルクス主義者、談
ある方の はてブで↓を知りました。
◆中谷彰宏ですが、質問ありますか?◆
あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは! ヒャッ ホー! うひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひ! うほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ! ヒー!!!!!
いやー、笑いが止まらない。うふふふ。ホンモノの方は名前くらいしか知らなかったのですが、この「中谷」さんはスゴイ!
あははははは。
生まれて初めて「抱かれたい」と思いました。僕はこの人とセックスがしたいです。SEXと書くべきでしょうか?
ところで、たまに新興宗教の方が説教している動画がネットに落ちていますね。僕はそういうのが大好きです。たとえばコレ。
サンキュー ベリーマッチ センセイ!!
ウェルカム トゥー アメリカ、カンサイ メンバーズ!
先週はコレを再々生してるだけで一週間が終わってしまいました。センセイもさることながら、対立する宗派の方によって挿入されたと思われるブキミなBGMや男女のツッコミコメントも含めて、巨大な芸術作品になっています。鳥肌実が なんであそこまで強烈に池田大作をアーティストとしてリスペクトしてるのか先日まで疑問でしたが、謎が解けました。ちなみに「イデオロギー」という言葉に今までピンと来てなかった方もいらっしゃるかと思いますが、それはこの男女ナレーターの声のことです。それはまたの機会に[シリーズ:自由と強制と(無)責任の政治学]で書かせていただきます。
僕は昔々、地方の小学校に通っていて、幸せな少年時代を過ごしてました。ただ、今から思い返してみると、これがまたけっこう全体主義的な場所でした。
たとえば「帰りの会」という儀式が毎日あって、そこで子ども同士で密告をし合うのです。
「〜ちゃんが一人で買い物をしてました」(子どもだけでお店に入るのは禁止でした)
「〜くんが校区外にいました」(子どもだけで「結界」を離れるのは禁止でした)
「〜くんがウンコしてました」(←さすがにこれはない)
で、それに対して先生が一々ブチギレて、糾弾された子どもが泣いて謝るのでした。
先生たちは、授業中にも何の脈絡もなくキレました。そのたびに本題が中断して、2時間くらい「怒! 怒! 怒! 怒! 怒! 怒! 怒! 怒!」というお話が続くのでした。
僕はそういう時間が大好きでした。そもそも僕は とんだ良い子ちゃんでしたので、自分が標的になることは滅多にありません。で、先生がイタイケな少年少女の心をグサグサと切り裂いていくのを見物して、享楽に浸っていたのです。
大人になってからスターリン主義に興味を持ち、粛清裁判の記録に魅了されたりしましたが、それには少年時代へのノスタルジアもあったと思います。
僕は幼い頃から、全体主義とのシンクロ率が高かったのでしょう。
この小学校では年がら年中 軍隊式行進の練習をしていたのですが、僕は「全体」のリズムと同一化するのが得意でした。というか、あまりにも「全体」とのシンクロ率が高かったので、全体が僕に合わせることになったほどです。本来ならば背の低い子から高い子へ、という並びだったのが、先生の鶴の一声で 順番が逆転されました。背の高かった僕をスタンダードにするためです。
ところで少し前に『滝山コミューン一九七四』っていう本が出ました。原武史さんという方がサヨク系の学校教育でヒドイ目に遭ったという体験談なのだそうです。実物は読んでません。
いくつかの書評だけを見たんですが、まず、たいへんな経験をされた著者には同情の念を禁じえません。
ただね、原クン、それはキミの学校がサヨク運動に乗っ取られておったせいではなくて、学校ってのはそもそもそういうところなんじゃないか? 僕の小学校は地方にあって、何かイベントがあると必ず「君が代」が流れるような、まあ、アレなところだったが、十分に全体主義的だったぜ。サヨク教育を批判しているうちは、天竺に1ミリも近づけない。全体主義が嫌いなら、学校というものそれ自体を否定しなさい。そして、キミにとって「救済」となった「お受験」というカラクリがこの社会を どういうものにしているのかということに対して思いを馳せてみたまえよ。
「富士そば」で かけそばを食ったら死にかけたから訴えるって? ま、賞味期限が切れておったのかもしれん。けどね、ひょっとしたら、キミ、そばアレルギーかもよ。もしそうだったら、「富士そば」に行こうが「箱根そば」に行こうが一緒だよ。
と言おうと思ったんだけど念のために検索したら、著者もそのへんのことに配慮してるのですね。
もし私がいま小学6年生であれば、おそらく七小でも行われているであろう「君が代」の斉唱の強制による愛国心の育成に対して、同じように抵抗しようとするはずである。そしてその体験もまた、私にとっての原点として記憶されることになるに違いない。
[ http://d.hatena.ne.jp/kingfish/20070620 より孫引き。この人の感想文は面白いです→ http://d.hatena.ne.jp/kingfish/20070621 http://d.hatena.ne.jp/kingfish/20070623
ミソとクソを区別しようとするのはやめなさい。むしろ、クソに対する嫌悪感で、ミソへの批判精神を研ぎなさい。逆に、ミソへの依存心を、クソへの愛で置き換えなさい。
あれ? 何の話でしたっけ?
あ、そうそう、そうです。「中谷」さんです。
全体主義の甘美に陶酔する美少年であった僕でしたが、10歳の頃に関東に引っ越したら、登校拒否児になっちゃいました。
そんで一年くらいは、暗黒の日々でした。
けど、しばらくして僕は東京シューレに出会いました。入って一週間で躁転しました。
もう世界の全てがバラ色になりました。とにかく一瞬一瞬が楽しくて楽しくて楽しくて楽しくて。「楽しくて」を一万回繰り返して、それをさらに一万倍して、それをさらに一万倍して、それをさらに一万倍して。っていうのをさらに一万倍して、それをさらに一万倍して、それをさらに一万倍して、それをさらに一万倍して、それをさらに一万倍して。さらに99999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999を加えて、仕上げにさらに一万倍したくらいのパラダイスでした。いや、それでも足りないくらいです。
この表現、いいでしょ? もしよかったら、今度mixiのラヴ・メッセージで使ってみて! 非モテを卒業できるかもよ。
ところが、この東京シューレ、前にいた地方の小学校とはうって変わって、超ウルトラ・スーパー・リベラルなところでした。今のことは知らないけど、当時はそうだったんです。
っていうのは「幸せ」な側にいた僕の偏った認識であったのかもしれない。ってことに後になって色んな人からの話を聞いて気づいたり、「自由」であることを実感しているうちはアレじゃんwと思うようになったりもしたのですが、少なくとも当時の幼い僕にとってはそういう所でした。
まあ、日本の教育機関の中では、史上まれに見る場所であったことは今でも確信を持って証言できます。
本当に楽しかったです。僕が東京シューレにフルタイムで在籍してたのはほんの2年ちょいくらいでしたが、その時間だけのためにも生まれてきて良かったと思ってます。そういう気持ちについては、↓でも書かせていただきました。
この本、こないだ増刷が決まりました。印税ヤホーイ!!
ともかく、僕は自由闊達な環境でのびのびと育ったのです。おそらくリベラルな教育論者の理想に一番近い場所にいたと思います。
そういう自由な子ども時代を過ごしたことが僕に深いトラウマを切り込み、歪んだ大人にしてしまったのかもしれません。
今でも諸般の幸運から比較的リベラルな環境にいますが、全体主義的なるものに対する憧れを捨てることができません。ず〜っと全体主義的な育ち方をされてきた皆さん以上に、「ひょっとしたら、<そこ>に素晴らしいものがあるんじゃないか」という幻想に取り付かれているのです。
ところで、ニートにもできるインスタント全体主義体験法を紹介します。
夏季限定ですが、東京ドームに都市対抗野球を見物に行ってください。
重要なことですが、自分でお金を出してチケットを買ってはいけません。
そうすると閑散とした外野席に回されることになります。ほとんど人がいませんが、かろうじて入ってる他の客が寝てます。比喩じゃなくて、睡眠してます。
そうじゃなくて、試合開始前にドームの周囲をウロウロしてください。出場する会社が、タダのチケットを普通にバラ撒いてます。
チケットだけじゃなくて、その会社の帽子やウチワ、社歌・社訓を印刷したパンフといったコスプレ・グッズもゲットできます。
ドームに入ったら、内野席のなるべく前の方に座ってください。プロ野球は外野席で見ないと面白くありませんが、社会人野球は絶対に内野席を確保する必要があります。
試合開始直後は、社長サンのキモイ挨拶や応援団の異様な盛り上がりにヒキますが、深呼吸をして、空気を読んでください。
自分以外の全員が一体となっていることに気づくはずです。
ハイ、全体主義の世界にようこそ!
後は、「全体」と一体化してください。
自軍の選手が、特大ファールを打ちました。ファールになることは予測できます。
でも、誰一人として「けっ」なんてシラケタ顔をしている人間はいません。皆、ホームランになると確信してるかのように熱熱熱熱熱! となってます。あなた以外は。
案の定、ボールは逸れて行って、ファールです。「あ〜」っと、心底ガッカリしたような溜め息が流れます。
その間、約2秒弱。
そこで、「全体」にシンクロしてください。
その瞬間に、あなたは消滅します。
あなたは、貧乏ですか? 「希望なし」のフリーターですか? 一人ぼっちですか? 包茎ですか? え、短小? そりゃカワイソ。実は、僕もそうなんだよ。背が高いのにアレだとツライ!!!!! これ、ホント。
あなたは、変態ですか? バカですか? キモオタですか?
"kimoota"と入力してもすぐにカタカナに変換できないんですね、IMEは。マイクロソフトの大人たち、やさしいね!
それはともかくとして、そうした、ありとあらゆる属性が無意味になります。
もはや、「あなた」はどこにも存在しません。ただ全体があるのみです。「全体」というフィクションが全体として実感される瞬間です。
より正確には、外部が存在します。「敵」です。というか、「敵」を排除して、境界線を引くことによって初めて成立するのが「全体」です。
何もかも、ありとあらゆることは、全部、「敵」が悪いんです。「敵」を殲滅すれば、全ての問題が解決します。
しかしもっと正確に言うと、「全体」は常に危機にさらされています。
「裏切り者」がいるからです。
真の敵は、実は「敵」ではありません。驚くなかれ、私たちの内部に恐ろしい敵が混じっているのです。
ただし、「裏切り者」を発見して血祭りに上げても、ハッピーエンドというわけではありません。なぜならば、そうした瞬間に既に そいつは単なる「敵」になってしまうからです。
というわけで、優れた全体主義のシステムにおいては、定期的に「裏切り者」が発掘され続けていきます。「危機」を常に内側に見い出し、したがって常に差し迫ったものであり続けるものとして演出することによって、全体主義は栄えます。危機こそが、システムを防衛します。逆に、どこにも敵なんていない。あるいは、いるかもしれないけど、人々が「敵」を自由を売り渡すことの口実にしないようになったら、全体主義は滅びます。
というのも不正確な言い方です。それでもまだ「人々」を言い訳にしているからです。
私は、どこまでいっても自由です。法律があっても、それに従うかどうかを決めるのは私です。道徳があってもその通りに振舞うかどうかを決めるのは私です。「世間」があっても、同調するかどうかを決めるのは私です。私があっても、そこに留まるかどうかを決めるのは私です。何かを決めても、その選択を次の瞬間も維持するかどうかを決め直すのは私です。ナニモノも、私を束縛しません。ありとあらゆる束縛に束縛されるかどうかを束縛するのは私だけです。だから私は常に私を脱出し続けます。それが私です。
という恐ろしい自由の哲学を唱えたのがサルトルというおフランス人なのだそうです。
絶対にサルトルを読んではいけません。「危機」の幻想を養分とし、内部から「敵」を排泄し続ける享楽によって維持されるのが全体主義です。でも、サルトルだけは本当にアブナイんです。
幸いにも、この哲学者はメデタくも忘れ去られ、華麗にスルーするのが大人のマナーとして確立された明るい社会になりました。*1
よかったですね!
そういうわけで、来年の8月は必ず東京ドームに行ってください。一生の思い出になるプチ全体主義体験が堪能できます。
って言っても来年になったら忘れちゃうかもしれない。心配ですね。
だから、今すぐ、このエントリーをブクマしてください。そして[2008年8月東京ドーム]というタグを作ってください。続きは読まなくてもいいです。
え? そんなタグは具体的すぎるって?
違うんです。
来年の夏に、あなたの人生は輝きます。
来年の夏が、あなたの存在を定義します。
来年の夏が、あなたにとっての普遍となります。
あなたは[2008年8月東京ドーム]のために生まれてきたのです。
あなたがこれから経験した全てのこと、これから出会う全ての人、困難、喜び、悲しみ、セクース(そうです! あなたにもその「機会」が訪れます)……。ありとあらゆることは、[2008年8月東京ドーム]において意味を与えられます。
これからキミは、何かあるたびに[2008年8月東京ドーム]というタグをつけることになるんだよ。
あ、キミのこと、「キミ」って呼んでもいいよね?
距離があった。
でも、今日は精一杯キミだけのために書いてきたんだ。
キミに[2008年8月東京ドーム]の悦びを伝えるためにボクは生まれたのかもしれない。
つまり、ボクにとってこのエントリー自体が[2008年8月東京ドーム]なんだ。
だから、ボクは迷うことなくこのエントリーをセルクマするよ。
だって、キミと交信できた今日という日が、ボクの全てだからさ。
キミは、間違いなくこのエントリーをブクマするだろう。そしてボクと同じタグを付けるのさ。そうすることで、キミとボクは、「ボクら」になるんだね。
キミは、自分のブログでこのエントリーを紹介せずにはいられないだろう。
2ちゃんねるにも、 http://d.hatena.ne.jp/toled というURLを貼りまくるんだろうね。
「こいつキモイすぎ!」とかいうコメントを思わずつけちゃうかもしれない。
でも、ボクにはわかってるよ。それがキミなりの照れ隠しなんだってね。
……というわけで、僕は「中谷」さんの信者になったのです。
でも長文しか書けない僕はコンパクトに絶頂を反復させる「中谷」さんの足下にも及びません。
永遠に「中谷」さんには会えないような気がします。ホンモノの中谷氏はテレビに出ることもあるかもしれないですが、「中谷」さんは冒頭で紹介したスレにだけ存在しています。そしてそれは過去スレなのです。
僕にできるのは、せめて「中谷」さんのイメージと戯れることだけです。「中谷さん自体」は、逃げ水のように、近づいては離れ、触ろうとしては空を切り続けることでしょう。
「中谷」さんは永遠に離れていきます。だからこそ、「中谷」さんは いつだって僕らの隣りにいるんです。
「中谷」さんにハートを鷲づかみにされた僕は、生まれて初めて自己啓発言説に関心を持ちました。
ところで、自己啓発に感染した人々の特徴は、自己以外のものを啓発せずにはおれない強迫衝動です。
あ〜、ムズムズする。
誰かに説教して、スッキリしたい!
でもね、説教する側は気持ちがいいかもしれないけど、説教されるというのはイヤなものでそ?
人にイヤな思いをさせることに快楽を感じるって、その瞬間はいいかもしれないけど、なんていうか、人間としてのステージを下げるような気がする。
僕は、来世ではキムタクに生まれてきてナイス・ガールたちとニャンニャンしたいんだ!
だから、業を深めたくないです。
というわけで、なるべく人を怒らせないようにビクビク生きてます。
したがって一般のブロガーをdisるわけにはいきません。世界をネガティヴにして、地獄に堕ちる確率が高まります。
巨大なカリスマ・ブロガーで、何か叩けるような話題を提供してる人はいないでしょうか? そういう相手なら、僕ごとき者が何をほざいても蚊に刺されるようなもので被害はないでしょう。
蚊が善人の血を吸ってブチ殺されても、本望です。この人生では かわいそうな目に遭ったので、来世はハッピー・ライフになるに違いありません。
というわけで、ブロガーとしては活発に書かれてはいないかもしれませんが、「大物」の標的として今回 選ばせていただいたのがkanjinaiさんです。
kanjinaiさんは、「英語の支配」とやらにお悩みのようです。
ご自身が英語を学習されていることを認めた上で、kanjinaiさんは次のように書かれています。
英語帝国主義の問題はやはり避けては通れないという思いも強い。まず、英語が会議の言語なので、まず米国らの英語ネイティブの人たちの話す英語があまりにもスピードが速く、非ネイティブには着いていくのがやっとである。その結果、どういうことになるかというと、議論の基本的な方向性が米国人を中心とする英語ネイティブの人々によって決定されてしまうのである。また、彼らの英語が分からないときに、彼らがそれを言い直すということは、こちらがあえて尋ねないかぎり起きない。そして私の経験上、米国から来ている学者の多くは、自分の英語にまわりが合わせて当然、という暗黙の態度でしゃべる。(まれにその点に非常に気配りする人もいるが)。非ネイティブの人は、自分の言いたいことを、非常にシンプルな英語でしか表現できない。それに対して、ネイティブの人は、複雑なことをそのまま複雑な英語でしゃべる。その結果として、議論のベースはネイティブによって設定されていくのである。
あれまあ、これでは英語がニガテな人は困っちゃいますね。もんのすごく超スバラシイ理論を持ってても、自分のペースで話をリードすることができません。
悲しいP!!!!!!
どうすりゃいいんだろ?
今回、kanjinaiさんが素敵なソリューションをプロポーズしてくれました。ちなみに、プロポーズって英語では動詞なので注意してください。名詞形はプロポーザルです。
これは基本的に、英語を第二言語とするわれわれが考えるべき問題ではなくて、英語ネイティブの彼らが考えるべき問題である。だが、そういうことはほとんど起きない。英語がしゃべれて、そして英語で複雑なことが言えて当然、という設定がなされている空間では、そういうことは起きないのである。だが、今度私が司会をする機会があったら、ネイティブの人は簡単な英語でゆっくりしゃべってくださいと言うことにしよう。
要するに、こういうことです。kanjinaiさんご自身、英語を勉強されてます。でも、「ネイティブの人」の側も、配慮をしてほしいと。ハンディを付けてくださいと。
あのね、そういうことを言ってるからあなたはいつまでたっても非モテなのですよ。
一部ご存知ない方もいらっしゃるかもしれませんが、写真で見る限り、*2kanjinaiさんはたいへんなイケメンさんです。というか美少年です。もう中年だと思うのですが、美少年です。
なのに、非モテなのです。
っていうのは嘘で、実際にはモテまくってるに違いありません。*3
っていうか、kanjinaiさんの「モテ」論↓はメチャクチャです。
モテとはひとりの女を大切にすることである
何を言ってるんですかこの人は。猫猫先生が怒るのも無理ないわ。これを読んで、怨念を爆発させてムキー!とならない人を、僕は非モテとして認めません。
ハイ、英語の話です。
まあ普段だったら、kanjinaiさんの意見に半分は賛成するところです。
けど、僕は、このエントリーを[2008年8月東京ドーム]にしたいんです。
自己啓発に目覚めました。だから他人を覚醒させたいんです。
というわけで、kanjinaiさんを叱らずにはおけません。重症の非モテ思考の典型例です。
kanjinaiさんは「モテとはひとりの女を大切にすることである」とおっしゃてます。
間違いです。
あなたは、実物のモテを見たことがありますか?
モテるとは、こういうことです↓。
これが、本物のモテDAAA!!
相変わらず男女のナレーションがナイスです。繰り返しますが、これがイデオロギーの「声」です。そしてそれについて[シリーズ:自由と強制と(無)責任の政治学]でそのうち書くつもりです。とりあえず、今のうちにこの連載の「(その2)」を読んでください。
それはともかくとして、センセイのこのモテっぷり、どうですか?
身近のちょっとサワヤカくんに嫉妬している場合じゃありません。
本当にモテるとは、こういうレベルです。
全米が泣きました。全米が笑いました。全米が絶叫しました。
本当のモテは、言語の壁を超越してます。
kanjinaiさんは、国際学会での悲しい記憶をリプレイすべきです。「差」は、本当に英語のせいなんでしょうか?
ビジネスにおいて外国人とコミュニケーションする機会のある人は、全員が知っていることです。
異言語間コミュニケーションにおいて主導権を握るのは、英語ネイティブ・スピーカーとは限りませんよ。
何語を喋ろうが、経済的に優位にある側が話をリードします。これ、鉄則です。
日本企業にアメリカ人が営業をかける場合、一見すると、後者ばっかりが喋ってるように見えるかもしれません。
アメリカ人:「ペラペーラ、ペラペラ、ペラペラペラ」
日本人:「ぶつぶつ…」
アメリカ人:「ペラ! ペラペラペラペラ。ペラペラペラペラペラ。タトエバ、ワタシハ、ペラペラペラペラペラペラ。Hahahahahahahaha!」
日本人:「あっはっはっは」(とりあえず笑っとこう)
しかし表面に騙されてはいけません。アメリカ人は絶対に好き勝手に喋って「俺様ワールド」に入ったりはしません。
日本人は、アメリカ人には理解不能な堂々巡りを繰り返します。英語がどうとかってことじゃなくて、言語明瞭意味不明瞭ってやつです。
それでも、アメリカ人は常に日本企業の真意がどこにあるのか必死で読み取ろうとします。それで話を合わせていく。そしてなんとかして、望む答を引き出そうとするのです。そういうふうに、「聴き手」が解読することによって初めて誕生するのが「真意」です。
これは日本企業側が優位にある場合のことで、もちろん逆もまた真なりです。
実は、異言語間に限らず、コミュニケーションとはそもそもこういうものです。
これは、劣位にあることを日頃から思い知らされている人ならば、誰もが苦汁と共に理解していることです。
逆にこう言われてもピンと来ない方。いらっしゃいますか? ハイ、おめでとうございます。あなたの人生、「上がり」です。
国際学会での体験も、同じように考えてください。
英語の問題じゃありません。
「学者」として負けてるのです。
そこにいたアメリカ人が「たまたま」自分よりも大物だった。
というただそれだけの話です。
逆に、自分の側に大物としての自覚がある人は、一を言って十を知らしめることができるはずだとあらかじめ確信しています。ので、表面上ネイティブ・スピーカーにリードされているように「見えて」も、少しも不安になりません。
だから、英語がニガテでも、全く無問題です。
ただし、学者として大物になるためには、英語で発信できないとダメです。
ただし、本当に本当の超大物になると、英語が全くできなくても、他人が勝手に翻訳して紹介してくれます。ウソだと思ったら、”genji monogatari”を検索してください。
上の動画、同時通訳の女性、超超超優秀ですよね? うっとりしちゃいます。本当のモテには、こういう人がそばにいるものです。
ですから、kanjinaiさんにオファーできるアドバイスは、モテになっちゃえ! ってことです。
とは言え、モテは出発点でもあり、到達点でもあります。モテ待遇を受けるためにはモテである必要があります。でも、モテになるためにはモテ待遇があらかじめ用意されてないとダメなんです。
そのことは、少しでも「俺って非モテかも?」という不安を抱えている人ならば、必ず痛いほど自覚しています。逆にその自覚がない人は、繰り返しになりますが、もう、本当に、万々歳ですのでリラックスしてください。
というわけで、モテになれという助言だけでは不十分です。
ここまでガマンして読んできてくれた人だけに、こっそり、裏ワザを伝授します。
よかったね。だから言ったでしょ。[2008年8月東京ドーム]のタグをつけてブクマしてくださいって。
今日が、キミの[2008年8月東京ドーム]だよ。
ズバリ言いますが、国際学会に出れるだけで超超超ラッキーと思ってください。
そんなチャンスがあったら、事前に入念な準備をします。
最も大切なことは、当日の空気を読んでランダムに会話しようとしないことです。モテは、空気を読みません。空気をつくります。
じゃ、そのために何をすべきか?
原稿を丸暗記するんです。
え? フォーマルなプレゼンじゃなくて、ディスカッションで苦労してるって?
あのね、そういう発想だから、あなたは非モテなんです。
モテは、努力をしません。必要がないからです。しかし、その境地に留まるために、必死で努力してます。モテは、メビウスの輪のような形をしています。
人文系大学人の皆! 「自己ベスト」の論文があるだろ? 最近書いたやつじゃなくていい。学部生の頃に書いたレポートでもいいんだ。ぶっちゃけ、ホテントリを果たしたブログのエントリーでもいいよ。
まず、こうしろ。
それをプリントアウトしてくれ。
で、それをパラグラフごとにハサミで切り刻むんだ! チョキチョキチョキってね。
終わったら、全部まとめて、シャッフルシャッフルだ!
目をつぶって、ランダムに3〜4個くらいのパラグラフをピックアップする。
はい、そこにあなたのエッセンスが凝縮されてます。
後は、それを英語にするだけです。英語がニガテだったら、誰かに頼んでください。お金を払えばプロがやってくれます。まあ、大学教員だったら、学生にやらせればいいでしょう。なお、仮にプロを使う場合は、なるべくレートの高い業者を探してください。これ大切。
これで、あなたの世界への入場券がゲットできました。後は、それを丸暗記するだけです。英語のままだと読めないという場合は、それをさらにカタカナにしてもらってください。
では、音読してみましょう。
え? 恥ずかしい? あのね、モテは何をやっても似合うのです。かっこ悪い姿を家族に見られても精神的なダメージを受けたりしません。あなたはモテになるべく運命づけられた人間です。何より、この超長文をここまでギブアップせずに読み続けているということが その証です。だから、モテであるかのように振舞ってください。そうできる人だけが、非モテを卒業できます。ここだけの話ですが、モテとは、モテの「振り」をしている非モテのことです。
だから音読です。ひたすら音読です。
これを、800回ほど繰り返してください。
もう忘れませんね。自分では意味もわからなくてもOKです。お題目だと思ってください。
今、あなたは「持ちネタ」を一つ獲得しました。
別のネタで同じ作業を反復すれば、ストックがどんどん増えていきます。
この時点で、あなたは既にモテです。もう、何も恐れることはありません。
空を歩いている気分で、国際学会に行ってください。
ディスカッションです。
なんか、アメリカ人の学者が英語でペラペラ喋ってます。本当によく喋る人ですね。口から生まれてきたのかしら? でも、その人がロボットじゃない限り、絶対に「息継ぎ」をするはずです。
ハイ、「俺様タイム」のゴングが鳴りました。どれでもいいので、事前に丸暗記しておいた持ちネタを披露してください。
え? それまでの話題と関係ないことを話したら痛い奴だと思われるんじゃないでしょうかって?
もう、しょうがないなあ。キミ、世話を焼かせるねえ。今回だけだよ。秘密の魔法の言葉を教えます。
アイシー ユア ポイント、バット イズント イット パッシブル ザット
コレ、最強です。それまで何が話題になってても、「俺様トピック」を自然に導入できます。これさえ言っとけば、何を話しても許されます。というか、全く関連がないようなところで躊躇なく この呪文を唱えることができる人がリーダーです。
だから、相手の英語を理解する必要は全くないわけです。リスニングがニガテな人は、他人が話してることは音楽だと思ってください。意味はわからなくても全然大丈夫です。リズムだけ取ってください。
最悪、リズムも無視して発言をするという手もあります。その場合は、次の呪文を使います。
アイ ヘイトゥ インタラプト、バット
やはり、最強魔法です。少なくとも90秒は「俺様ワールド」になります。
これって無礼にあたるんじゃまいか? と心配しないでください。礼節をわきまえている人は、「無礼」にリアクションしません。↓の大橋アナのように、ニコニコして聞いてくれます。
やはり、ジジェクがロールモデルとなります。YouTubeで"zizek"を検索してください。山のようにお宝が上がってます。世界中に招待されててウラヤマシス! けど、イギリスでも、アメリカでも、アルゼンチンでも、イスラエルでも、スイスでも、どこ行っても同じ話しかしてませんね、こりゃ。これが、非英語圏からデビューしたい人が目指すべき理想です。要するに年末年始の一発芸人です。特に、講演の最後の質疑応答を手本にしてください。
こうして、皆に印象付けた あなたのスンバラシイ理論は、間違いなく その場にいる全員に衝撃を与えます。
お疲れさまでした。やるべきことは全てやりました。一週間、寝てください。
PCにスイッチを入れましょう。自分の名前をローマ字でググッてください。
わーーーーーーー! イパーーーーーーーイhitする!!! ああ、エール大学のセンセイがブログにワタスの喋ったことについて書いてる。あ、イェール大学だっけ? 韓国の人も。セネガルの人も。チリの人も。ウッホホーイ!*4
もう、死んでもいいです。何もしなくても、世界中から美女が集まってきます。
そうなったら、あなたが英語を使えないことは逆にボーナスポイントです。ちょっとした大物になるためには、英語ができないと、正直言って厳しいです。しかし、本当に本当の超超大物になるためには、かえってラッキーです。あなた自身がエニグマ(=研究対象)となるからです。アメリカ人が、あなただけのために必死で日本語を勉強するようになります。
というのが、あなたがモテであった場合のシナリオです。逆のケースでは、まあ、まことに残念なんですが残念賞となります。次の人生であなたを待ってます。
というリスクもあります。しかしです。神サマからの重大なお詫びと訂正があるんですが、実は、死んだらそれっきりです。来世、ないです。
それを前提にして、冷静に「場合分け」をしてみましょう。あなたは、モテであるか非モテであるのどっちかです。そしてモテであることの必須条件は既にモテであるかのように行動することです。
もし、あなたがモテであったとします。この場合、勇気を出してモテとして行動したことは報われることになります。逆に、非モテのようにビクビクしてたら? あら残念。せっかくの「当たりくじ」が台無しです。
もちろん非モテである可能性もあります。しかし、非モテは何をやっても非モテです。モテではないのにモテであるかのように振舞ったからといって、今さら何も失いません。
というわけで、せっかく生まれてきたんです。モテであると今この瞬間に確信してください。そうすることが唯一の合理的な選択です。やっぱり今日という日が[2008年8月東京ドーム]でしたね。
なお、kanjinaiさんは英語ネイティブ・スピーカーが「ゆっくり」話してくれたらいいのになあと思ってらっしゃるようですが、残念ながら、生まれてくるのが遅すぎました。そうした「配慮」は、古き良き「第一波」のPC(政治的正しさ)時代で終了となりました。
現在では、そういうのは特権的な地位にある者が絶対にやってはいけないタブーとなっています。コンデセンディングと言われます。ウソだと思ったら、たとえば↓をレンタルしてみてください。一部のTSUTAYAに置いてあります。
ここでは、過剰にPC的に振舞おうとして逆に差別的となってしまうという失敗が笑いの対象になってます。現在では調度いい湯加減の非PCであることこそがPCとして要求されるのです。この作品には、PCであるための非PCを意図して本当の非PCをやってしまうという喜劇も描かれています。英語の勉強にもなりますので、ぜひ見てください。また、多くの喜劇シリーズとは異なり、「笑い声」が入ってません。なので、文化的な「空気」を読む練習をする良い問題集にもなります。あと、一部、『働きマン』と非常に類似した手法が使われてて興味深いですが、それは今回の話とは関係がありません。
ところで、僕は自己啓発に限らず「啓蒙」的な物言いが大大大大嫌いです。自分だけが「目覚めた」のにバカな大衆のせいでゴニョゴニョ、なんて言ってるインテリはバカです。悪夢から目覚めたと思ったらまだ寝ていたという悲劇をホラー映画で何度も見てきたのに、その教訓を学習してません。
他人をバカにしてる奴がバカです。
非常に残念なことですが、こういう批判は、自分にそのまま跳ね返ってきて、以降、永久にループします。全てのチビッ子が知ってることです。だから僕は、あらかじめ短小だと書いておいたんです。しかもジョークではなくて、事実です。
そんな「配慮」の精神に富む僕が、イデオロギー批判というイデオロギーを乗り越える壮大なイデオロギー批判をこれからやろうとしているのが、[シリーズ:自由と強制と(無)責任の政治学]です。現段階では、まだジジェクの解説しかしてません。けれども、ここからビッグでジャパンでオンリーワンな哲学が生まれようとしてます。つまり、実は僕もモテだったんです。
そのことを、今この瞬間に悟りました。なぜならば、あなたがここまで約17,000字を読んでくれたからです。
だから、今日が僕とキミの[2008年8月東京ドーム]。さてと、セルクマしとくか。お互いのこれからの栄光に、乾杯。そして全ての過去に、ありがとう。
また宣伝オチかよって? その通りだよ。けどね、必死に自己宣伝した奴だけが宣伝不要のステージに行けるんだ。というか、偉大な作品は、常にそれ自体が宣伝だ。『資本論』は途中で終わってるから大ヒットしたんだ。もちろん、宣伝したからってモテになれるわけじゃない。0.0000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000001%の確率だ。でもね、僕は、もう本名でやってるブログで短小であることをバラしちゃった。もう失うものはない。
だから、飛べる。本当の本当にモテになれるのは非モテだけだ。そしてその境地まで行くと、モテだろうが非モテだろうが、どうでもよくなるよ。
というわけで本当に乙彼!!!
最後に、オマケのオモシロ画像だじぇい!!
ってゆかキミの場合、それ以前の問題として年齢的にアウトとちゃふか?
(元)登校拒否系は、センセイをアーティストとしてリスペクトする鳥肌実をリスペクトします。