東京シューレ葛飾中学校
東京シューレが学校を作るそうです。
http://www.shure-chugaku.info/
僕はすでに十数年前に退会しており、東京シューレの活動について参加権はありません。したがってこれは外部の人間としてのただの感想です。
この事業は、東京シューレにとって大きな転換点となるものだと思います。シューレ出身者に話を聞いても、違和感をもったという声が大半です*1。
奥地圭子さんによる「ごあいさつ」にはこうあります。
ご存知のように、これまで私たちは、不登校の子どもや親への世間の誤解や偏見とたたかい、成長支援の活動を全力ですすめてきました。
そこでは、不登校を「治すべき困った存在」とするのでなく、学校と距離をとる在り方・生き方を肯定し、学校だけが成長の道ではないと価値観を広げることを訴え続けてきました。
このことと、子ども中心の学校を不登校の子たちと共に創っていくことは、何ら矛盾するものではありません。
……。
私たちは、不登校の子どもの解決策は学校復帰のみではないと考え、学校以外の成長の道を拓いてきました。
しかし、不登校の子たちが発信していることは、もう一つ、「学校を変えてほしい」というメッセージもあるのではないでしょうか。
上記引用の最後の2行はこれまでのシューレの活動とは容易には相容れないものであると思います。
シューレが存在することによって社会に求めてきたのは、学校の変革というよりは、学校に行かなければならないという常識の見直しです。全ての子どもにあった理想的な学校をつくることではなく、学校に行かなくても生きていける社会を実現することを私たちは求めてきました。そうする中で、私たちは旧来の市民運動にあった「よりよい学校という幻想」(太田昌国さん)を批判し、どのような学校であろうともそこに通うことを強制されるのは誤りだ、と主張してきました。
東京シューレは決して「理想の学校」のプロトタイプ(雛形)ではなく、学校に行けない・行かない者たちの居場所として存在してきました。「学校」をつくることは、このような従来の存在意義を書き換えることになると思います。
今回の事業は、構造改革特別区によって学校の設置基準が緩和されたことで可能になりました。このことは、これまで対抗運動として存在してきた東京シューレが、メインストリームに食い込みつつあることを示しています。
東京シューレは、「選択」や「自由」といったリベラリズムと共振する言説を紡いできました。保守主義的な従来の日本の教育界においてリベラリズムは対抗言説として位置しており、「自由」を唱えることが学校のあり方への批判ともなっていました。
ところが中曽根「臨教審」以降、この傾向に変化が現われます。体制側自身が、リベラリズムを取り入れ始めたのです。小泉構造改革は、その延長線上にあります。
リベラリズムは、今や主流言説となりました。「選択」や「自由」はかつては反体制派の言葉でしたが、今では誰もが口にします。
とすれば、現状を批判したいと願う人は、もはや「選択」や「自由」という言葉がもっていた対抗性をあてにすることはできません。リベラリズムを超える、よりラディカルな思想が、今必要とされています。
*1:とは言え僕が話を聞いた全ての人は今さら口を出すようなことはしないそうです。