(元)登校拒否系

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「死刑廃止を推進する議員連盟」の非モテ思考と「フレーバー納豆」について



 反自由党は、「死刑廃止を推進する議員連盟」を打倒することを全会一致の圧倒的多数で決議しました。


死刑廃止終身刑創設 調査会設置、4年執行停止

2008年2月10日 02時01分


 国民新党亀井静香代表代行や公明党浜四津敏子代表代行らがつくる超党派の「死刑廃止を推進する議員連盟」が、死刑廃止に向けてまとめた法案が9日、明らかになった。(1)終身刑の創設(2)死刑制度調査会の国会設置と4年間の死刑執行停止−が柱で、今国会での参院提出を目指す。死刑執行の停止を求める法案が国会に出されれば1956年以来、52年ぶりとなる。


http://www.chunichi.co.jp/s/article/2008020901000546.html

 死刑を廃止すべきであるということは言うまでもありません。死刑は良くないからです。なぜか? 悪いからです。そしてこれは一瞬で了解されるべきことであり、それでわからない人は逆に何千年かけて何を知ろうが学ぼうがムダです。これについては以前書きました。僕は死刑を求める人と理解し合おうなどという用意は一切ありません。死刑の存廃を決するのは知識でも論理でも対話でもなく、人間の自由と暴力です。 

 さてでは上記法案の何が問題なのか? 「終身刑の創設」を求めていることです。

 死刑に反対だという人たちが、終身刑を求めている。なんと奇妙な事態でしょう? 劣化ウラン弾を落とすから原爆は止めとこう、みたいな感じです。死刑が非道であれば、終身刑も同じように非道であるはずです。

 いや、この議員たちの中には、何も人間をずっとずっと死ぬまで監獄に閉じ込めることを好き好んで求めているわけではない人もいるのかもしれません。できれば死刑も終身刑も避けたい。場合によっては、一般の刑罰の軽減を望む人もいるのかもしれない。けれどもそれでは、圧倒的に死刑を支持している「世論」を説得できない。ただ死刑反対と言ったのでは共感されない。だからまずは厳罰を望む国民にもわかってもらえるような死刑反対運動をしよう。死刑をなくしても厳罰は可能であることを示そう。

 そんな言い訳があるのかもしれません。

 この議員たちは、厳罰主義の風潮に一歩近づくことによって支持が得られるかもしれないと思っているのでしょう。しかし、死刑を終身刑で代替しようという提案は、まさに死刑を正当化する刑罰と嗜虐の思想に恭順することです。彼らのやっていることは、実際には死刑制度を存続させる精神の火に油を注ぐことになりかねません。人間を一生涯に渡って懲らしめる方法を開発して積極的に推進することによって、一体どうして「殺せ!」という人々の気持ちを変えることができるのでしょうか?  sarutoraさんいわく、


「納豆はあの臭いがいやだ。あの臭いさえなければ……」などと言っている人のどれぐらいの人が、超爽やかフレーバーの納豆が開発されたとして、「こんなのを待っていた」とそれを食べるだろうか。結局納豆嫌いだってだけちゃうんかと。


http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20060408/p3

 納豆業界は最近になって、 sarutoraさんのコンサルティングを無視してgoogle:フレーバー納豆なるものを開発しています。そうやって納豆嫌いの層への浸透を図ろうというわけです。完全な非モテ思考です。むしろ、納豆独特のあの臭いをどうやって強化するかということが課題です。パックの外側からも臭ってきて部屋に充満してしまうような商品を作りましょう。そうすることによって「臭い」ものを忌み嫌う基準そのものに挑戦しなければなりません。その先にのみ、納豆王国の扉があります。

 終身刑とは「フレーバー死刑」のことです。逆でなければなりません。必要なのは、死刑反対の思想と運動を、もっともっと極端なものに深化させていくことです。終身刑の提案どころか、無期懲役を批判しなければなりません。刑務所の廃絶を構想しなければなりません。「世論」からもっともっと遠くに離れていくことです。そうすることが死刑廃止の最短ルートだと信じます。

 

 ふと思い出したのが、猫のことです。昨日のエントリーで紹介した黒猫トレ子とその仲間たちは、僕たちが来た時には食事をしていました。

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 とっても大胆な形でキャットフードを撒いていった方がいたようです。猫は何をしていてもかわいいですが、特にエサを食べているのを見ると幸せになれますね。僕はうっとりと見とれていたんですが、同行していた とよちゃんは非情な人なので猫に興味はありません。それでキョロキョロしていて見つけてくれたのがこの掲示です。

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 右側の掲示は、数匹の猫に不妊手術を実施したことを伝えています。そして訴えます。「これ以上増える事はないので、小さな命の終えるまで暖かく見守ってください」と。

 不妊手術とは何か? 言い換えると絶滅政策です。人間界のナチスに相当します。しかし、ナチスユダヤ人の絶滅を望んだことに正直でした。けれどもこの団体の人々はむしろ猫を愛しているのではないでしょうか。愛しつつ傷つけるのです。

 左の掲示には、こうあります。


かわいい、かわいそうというだけでエサをあげる事は猫嫌いの人を増やす事になります。猫が嫌われたり、邪魔者扱いされたら、あなたの気持ちも無駄になります。ご近所の理解と協力を得る事が大切です。

 まさにこれがジジェクの言うイデオロギーです。終身刑がいかに正義に反するか、猫の絶滅政策がどんなにヒドイことであるか、ということを訴えても彼らには通じないでしょう。おそらくそんなことは百も承知で「織り込み済み」なのです。こうした行動は既に「苦渋の選択」としてあります。リベラルな国会議員は寛容な社会の実現を、猫を愛する市民は猫の生存の確保を心から願っているのでしょう。その彼らを縛り、やむを得ず逆の行動に駆り立てているものが「世論」であり、「猫嫌いの人」「ご近所」です。不正義の責任はこうして「他者」にアウトソーシングされます。

 僕がジジェクという哲学者をパクリながら 「シリーズ:自由と強制と(無)責任の政治学」 において考えようとしているのはこのことです。もちろん、「バカと言う奴がバカ」というループがここでも発生しています。自分を棚上げにした みっともないところがあるかもしれません。その点については僕も革命が成功した暁に人民裁判に呼び出されることになるかもしれないと思っています。ただこのシリーズ、非常にエンターテイメント性が高いです。というわけで、超長文が多いんですが、それだけの価値がありますので安心して読んでください。


 でもその前に、もっともっとお勧めの文章があります。


終身刑問題〉をめぐって(水田ふう)


http://www.ne.jp/asahi/anarchy/saluton/archive/kaze48.htm



リベラル保守」を探し求める論理と衝動金光翔


http://watashinim.exblog.jp/6798747/