(元)登校拒否系

反学校、反教育、反資本主義、反歴史修正主義、その他もろもろ反対

登校拒否

『不登校(ふとうこう)、選(えら)んだわけじゃないんだぜ』 第4章 ひらがなバージョン

ぼくは もと 「あかるい とうこうきょひじ」だ。「あかるい とうこうきょひじ」というのは、「こせいてき」 である ために がっこうに なじまず、がっこうの そとで たのしく いきてる ひとの ことだ。 これまで ぼくら「あかるい とうこうきょひじ」が かた…

「逃げよ。しかし逃げながら武器をつかめ」

逃げ方、避け方、守り方 (id:reponさん) いじめに耐える必要なんか無い。 学校なんか行かなくていい。 嫌な集団に取り入る必要はない。 そんな集団に属さなくても、その子が生きられる集団はいくらでもある。 それが、今のその子には見えていないだけなん…

「学校自殺」

最近の「いじめ自殺」問題についての報道を見ていて、ふと10年ほど前にあるミニコミに書いた文章を思い出しました。 学校自殺 ソ連と日本の共産党 昔、ソ連にスターリンという人がいた。当時ソ連では共産党による一党独裁体制が施かれており、彼はその書記長…

入試問題に挑戦

『不登校、選んだわけじゃないんだぜ! (よりみちパン!セ) (よりみちパン!セ)』の僕の執筆部分が入試問題(小論文)の課題文として取り上げられたそうです。教材会社の方から問題を送っていただきました。 平成18年度信州大学教育学部入学者選抜試験 次の文…

東京シューレ葛飾中学校

東京シューレが学校を作るそうです。 http://www.shure-chugaku.info/ 僕はすでに十数年前に退会しており、東京シューレの活動について参加権はありません。したがってこれは外部の人間としてのただの感想です。 この事業は、東京シューレにとって大きな転換…

貴戸理恵、原住民の人類学者?

先日、上野千鶴子さんが主宰されている「ジェンダー・コロキアム」で貴戸理恵さんの研究についてコメントする機会がありました。以下は、その時話したこと/話したかったことです。 riekido.comに発表された貴戸さんのコメントでは、今回の調査について、適…

選択の幻想から反学校の政治へ 第三回 学校制社会と反学校

今回は、「世界システム論」の基本を紹介した上で、個体をバラバラに見るのではなく、その関係に注目する方法を不登校と学校の問題に適用することを試みます。誤解していただきたくないのは、何も経済体制が学校のあり方を最終的に規定している、などという…

選択の幻想から反学校の政治へ 第二回 奴隷の「選択」

学校に行けなくなった10歳の頃の僕にとって、学校に行かないことは絶対に許されないことでした。このままでは生きていく資格はないと思っていました。そのような僕にとって、東京シューレや奥地圭子さんとの出会いは、大きな転換点となるものでした。初めて…

選択の幻想から反学校の政治へ 第一回 無人島主義

学校から家へ泣きながら逃げ帰ったことがあります。当時10歳だった僕がどんなことを考えていたのか、今となっては正確に思い出すことはできません。ただ、一つ確信をもって言えるのは、学校から逃げ出した当時の僕にとって、学校が世界の全てだったというこ…

『Fonte』(旧・不登校新聞)メーリングリストへの投稿

『Fonte』(旧・不登校新聞)のメーリングリストに以下の文章を投稿しました。 こんにちは。 このたび経済的事情により、定期購読を継続しないことにしました。『Fonte』の社会での必要性はますます高まっていると思いますが、お金があまりないもので。。。 …

『不登校は終わらない』は終わらない

東京シューレが貴戸理恵著『不登校は終わらない』に対する見解(以下「見解」)を発表しました。この見解に対する僕の見解は、貴戸さんによる本の出版を支持するというものです。しかしその思いは複雑で、どうリアクションしていいのか少々混乱しています。…

登校拒否解放の(不)可能性 荒井賢さんのコメント

「登校拒否解放の(不)可能性」(前編, 中編, 後編)に対して、荒井賢さんから「センチメンタルな東京コーヒー」というコメントをいただきました。「東京コーヒー」と聞いて懐かしさがこみ上げてきました。そう言えば80年代、「登校拒否」をもじって「東京…

『不登校、選んだわけじゃないんだぜ!』

このエントリーにスパムコメントが集中していたのでいったん削除してアップし直します。つけていただいていたコメントはエントリーの下にコピペします。 本が出ました。 「不登校は病気じゃない、自分で選んだんだ」そう言った瞬間にこぼれ落ちていく本当の…

<普通>と<登校拒否>をめぐって

登校拒否解放の(不)可能性 前編の最後を、僕は次のように結びました。 登校拒否は病気だ。登校拒否は暴力を生む。登校拒否はひきこもりにつながる。登校拒否は不自由だ。そして、そのようなものとしての登校拒否を肯定するのだ…。 これに対して、Mallkuさ…

登校拒否解放の(不)可能性 toyoさんの問いに応えて

toyoさん(=ぼよさん)からトラックバックが送信されました。「登校拒否解放の(不)可能性」に対するコメントがつけられています。ぜひ↓をご覧ください。 http://volvox.seesaa.net/article/1384204.html toyoさんいわく、 「登校拒否は『病気』ではない(…

登校拒否解放の(不)可能性 後編

再び前編の最後の言葉を引きます。 登校拒否は病気だ。登校拒否は暴力を生む。登校拒否はひきこもりにつながる。登校拒否は不自由だ。そして、そのようなものとしての登校拒否を肯定するのだ…。 しかしでは、病気などの社会的にマイナスとされている要素を含…

登校拒否解放の(不)可能性 中編

前編の最後を僕はこう結びました。 登校拒否は病気だ。登校拒否は暴力を生む。登校拒否はひきこもりにつながる。登校拒否は不自由だ。そして、そのようなものとしての登校拒否を肯定するのだ…。 これに対して、toyoさんはこう書きました。 なぜこんな事をく…

登校拒否解放の(不)可能性 toyoさんのコメント

登校拒否解放の(不)可能性 前編は、約2年前にある人への私信として書いたものです*1。その後、あるメーリングリストに同じ文章を投稿しました。その際に、toyoさんから以下のようなコメントをもらいました。ご本人の了承を得てここに掲載します。 「革命家…

登校拒否解放の(不)可能性 前編

近年、登校拒否解放運動*1は「バックラッシュ」(反動)に見舞われています。90年代は彼らの主張が一部マスコミに取り上げられ、「理解」が広がっていく時期であったとすれば、現在は不登校の「行き過ぎた肯定」が反省されつつある時期だと言えるでしょう。 …