特報:「「<佐藤優現象>批判」スルー現象」を構想中です。
一年ほど前に、↓の論文を読みました。
金光翔「<佐藤優現象>批判」(『インパクション』第160号(2007年11月刊)掲載)
僕はこれを読んで、衝撃を受けました。近年に日本語で書かれた論文で最も感銘を受けました。そして、2008年はこの論文をめぐってケンケンガクガクの論争が始まるに違いないと確信しました。
ところが、僕の予想は完全に外れました。この論文で批判されている人々は全く反論しようともしません。
佐藤優さんは、そうとう汚い工作をやったようです。しかし、金さんの論文の焦点は佐藤個人ではなく、彼をめぐるリベラル・サヨク界隈の言説を現象として分析することにありました。
また、岩波書店は経営・労働組合が一体となって壮絶ないじめを金さんに対して行っているようです。僕はこれまでにリベラルを自称する人や組織が極めて非リベラルに振る舞うことを目撃することに慣れてきましたし、別の出版社の労働組合でのいじめについて聞いていたのでそれ自体は驚きではありませんでした。
しかし、金さんの画期的な論文がストレートな反論を受けるのではなく、ひたすら陰湿な攻撃を招くに止まったことは、僕にとって新鮮であり、また憤りを感じずにはいられませんでした。
そこで僕はこれを「「<佐藤優現象>批判」スルー現象」と名付け、僕なりの分析と批判を試みたいと考えるにいたりました。そこで構想を色々と練っているのですが、そうしているうちにどんどん話が広がっていって、ブログエントリーとして完成させるためには、まだ少し時間が必要な気がします。
で、今回このエントリーを書いているのはなんのためか? なんでかな?
僕はサヨクなので、団結が好きです。
けども、みんなが誤った方向に熱狂するなかで、「王様は裸だ!」と叫ぶ一人の勇気を尊敬します。歴史上、そのような人は各時代に存在しました。そしてその一部は、現代では英雄としてまつられています。
けども、現代に生きる私たちにとって、ソクラテスは偉かったと言うことは簡単です。問題は、ソクラテスが死罪になろうとしたそのときに、何を言うのか、ということです。
僕には何の影響力もないだろう。出版界の事情もよくわからない。
けれども。
これだけは言いたい。
金さんの論文はスゴイと思う。
そして彼がいじめの渦中にありながら岩波に籍をおきつづける一日一日を思う。
涙が出てくる。
自分だったらそれができるか?
わからない。
けれどもそれを尊敬する気持ちだけは、絶対に手放したくない。
今日はそれが言いたかった。
私にも話させて(←金さんのブログ)
首都圏労働組合 特設ブログ(←労働者としての金さんの活動記録)